ハヤシのブログ

物語創作、ピアノ・ショパン、漫画、クロノトリガー、社会問題などについて語ります。

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6月20日
キャラをどれくらい愛せるか。うむ、これに尽きるの。とドラマ『重版出来』9話を見て思った。

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追記
http://www.j-magazine.or.jp/magadata/index.php?module=list&action=list&cat1cd=1&cat3cd=14&period_cd=29
発行部数、少年サンデー38万8千部。ジャンプも239万5千、マガジン112万7千。

漫画家佐藤秀峰氏ツイート発言
【相当追い込まれているんだろうなぁ。不動産収入がない会社だったらサンデー、スピリッツはとっくに潰れてるという話はよく聞く】

・・・・・・
週刊少年サンデーが変わる?
ということで、こんな記事を目にした。
http://natalie.mu/comic/pp/sunday02より一部転載。

以下【】は転載部分。

【今年7月、出版業界をひとつのニュースが駆け巡った。長きにわたりゲッサンの編集長を務めていた市原武法氏が、週刊少年サンデー(ともに小学館)の編集長に就任したという。8月19日に発売された週刊少年サンデー38号には、市原氏の所信表明が掲載されている。

あだち充をはじめとする作家を長年担当し、新人育成に力を注いできた市原氏。ゲッサンを率いて、石井あゆみ「信長協奏曲」など数々のヒット作を世に送り出してきた。コミックナタリーは生粋のサンデーっ子だったと語る市原氏に、編集長就任の心境を伺うべくインタビューを敢行。また改革とも呼べる、新たな編集方針についても詳しく聞いた】

ということで・・・サンデーの新編集長はこう語っていた。

【改革の中枢として、新人作家さんの読み切りのネームから連載企画のネームまで、全部僕1人でOKかボツかを決定することにしました。普通マンガ雑誌の編集部には月例賞に送られてきた作品を読む班があって、一次選定もその班が行うんですが、それも全部やめまして。月例賞の選定も含めて、マンガに関わるすべての決定は僕1人だけでやります】


何から何まで編集長一人で決めるらしい。
新人さんのチャンスを増やしたいということ。

ま、少年漫画は、やはり作家の年齢が上になるほど、厳しいと思う。感性、感覚違ってくるもの。
私は今は少年漫画はほとんど読まない。おもしろいと思えない。つまり私の感覚が、少年とはかい離してしまっているから。当然だよね。

なので、世間で売れている「ワンピース」にもついていけなかった。
あれだけの人気作なのだからと思って、テレビで録画した劇場版アニメを見たけど、最初で辛くなり、結局、最後まで見ずに、消去した。

けれど、「進撃の巨人」のアニメ版のほうは、おもしろいと感じたので、完全に感覚が合わなくなったわけじゃないと、少しホッとした^^;


【僕はどんなところでも介入します。1人できちんとした打ち合わせをして、きちんと企画したマンガを僕のところに届けられる編集者はうちの編集部にはまだ少ないので、もっと鍛えなきゃいけないと思っていて。なので、打ち合わせだろうが飲み会だろうが、作家さんとのコミュニケーションは自ら取ると決めています】


これはすごい。
編集長と、いわゆる「あいさつ」ではなく、「きちんとした打ち合わせ」みたいなことは、私はしたことがない。
ちなみに、私が連載したことあるのは「サンデー」「スーパージャンプ」「ヤングチャンピオン」だけど、編集長とコミュニケーションなんてとったことない。軽いあいさつ程度。編集長は雲の上の存在というか、とくに売れてもいない新人に近い漫画家など視界に入らない、という感じだった。
私の場合、副編集長の力で、連載がとれた感じだ。

「音吉」を買ってくれた当時の副編集長には、今も感謝。名前も憶えている。
買ってくれたのに、結果出せなくて申し訳なかったなあ・・・


【就任から1週間くらいで結構な本数の打ち切りを決めました。今は毎日打ち切りを宣告しているような状態です】


そうかあ、そうなんだよなあ。編集長が変わると、そうなるよなあ。
で、今まで企画していたものもボツになり・・・しょせん「口約束」の世界で、きちんとした契約を交わさないので、連載準備していたのに「何の保障もなく、ナシ」になったりする。

漫画家はかなり不安定な仕事だし、今はネットで発表できるし、漫画ボックスやcomicoなどアマチュアでも参加できる場があるので、職業にすることは考えてしまうよな。


【自分の初期衝動を大切にしてほしいですね。「こういうのを描けばウケるんじゃないか」とか「こういうふうに描けば賞をもらえるんじゃないか」みたいなことを意識せずに、最初は「自分はこういうマンガが面白いと思うんだ」「こういうキャラがカッコいいと思う」ということだけ考えて描いた作品を持ち込んでほしい】


私も結局、「衝動」を大切にしている。だから趣味で小説書くようになった^^;
その「衝動」が、不特定多数の欲するものと合致すればいいけれど、そうでない場合は、そこで終わり。けど趣味なら最後まで描ける。

で、締切に追われると、「衝動」がなくなり、単に「作業をこなす」みたいな感じになってしまうので、難しいよなあ。

前記事の続き。

富田氏が出るはずだったイベント・プロジェクト=紫雲荘ワークショップ(WS)の頁が消えたとのこと。
事情は「システムの問題」と書いてあるだけだそうだが、今回の件が大きいだろう。

しばき隊(現在CRAC)が富田氏をつぶそうと、イベント・プロジェクトそのものもつぶした感じだ。もちろん中止決定後、今度は「なぜ中止にするのか?」という抗議も殺到しただろう。

私もツイッターにて「差別主義者の定義を明確にしてほしい」とコメントした。

なぜ、ここまで富田氏の漫画に一部左派・在日・CRACがやっきになったのか・・・漫画に「在日コリアンというかしばき隊=CRACに都合が悪いことが描かれていて、第2第3の富田氏が出てきては困るから、ではないのかと私も勘繰ってしまった。漫画はやはり文章のみの記事や本よりもとっつきやすい。

これでますますしばき隊=CRAC、一部左派と在日は嫌悪感を持たれるかもしれない。
ワークショップ側も困惑したというよりも恐ろしかったのでは、と推測する。富田氏も被害者だが、ワークショップ側主催者も被害者かもしれない。

ちなみにCRAC代表は過去発言で「オタクを馬鹿にしていた」そうだ。
在日を馬鹿にしたら差別で、オタクは差別にならない?

(というと、出自は変えようがないが、趣味は変えられると反論するんだろうが、馬鹿にされたくなかったら趣味を変えろ=生き方変えろはある種の強制だよね?)

結局、正義とはそんなもの。

かつて、在日コリアンに不利な情報はマスメディアでは取り上げられず、タブーだった。取り上げられる内容はいつも「被害者であった」というものばかり。だから、ある種「反日無罪」が通っていたところもあるのだろう。「被害者側・弱い立場=弱者」という錦の旗が、日本人らを黙らせていた。が、これからは日本人も黙っていないだろう。その流れが、今ネットで繰り広げられている対立に表れているのかもしれない。

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日の丸街宣女子」について。
前回でこの話題はお終いにしようと思っていたのだけど、こういったニュースを見て、今回も取り上げることにした。
そのニュースとは・・・
【トキワ荘通り協働プロジェクトのイベントが「日の丸街宣女子」の富田安紀子氏が参加しているという理由で【C.R.A.C.】に中止に追い込まれる】
といったものだ。

https://twitter.com/cracjp/status/603587604886528000
http://togetter.com/li/827209
http://hosyusokuhou.jp/archives/44204588.html

やはり違和感をぬぐいきれない。

私はhttps://twitter.com/tokiwasow/status/603521084093177858にて、いちおうこういうコメントを出した。

【表現・言論の自由の危機を感じます。何を持って作家を「差別主義者」=「悪、問題人物」と定義しますか?ここがあやふやであれば、この動きは言論統制につながります。戦中の「非国民レッテル張り」「言論弾圧」と同じ臭いを感じます。それこそ手塚先生が嫌がっていたことでは?】

そう、なぜ中止にしたのか、主催者側は理由を説明してほしい。

富田氏を差別主義者と、主催者側も断定したためなのか?
もし、そうであるなら、どの点を差別主義者だと判断したのか?
在特会とつきあいがあるからなのか? 漫画作品の内容が問題なのか?
富田氏の活動や言動、人間性に問題があると判断したのか?

あるいは単にクレームが多かったため、取りやめにしたのか?
当日、いざこざが起こりそうだから、取りやめににしたのか?

「非国民」というレッテルを張り、言論弾圧していった戦中の日本を思う。

もちろん、戦中の日本を直に知っているわけではないし、結局はドラマや漫画、あるいは小説、戦中のことを書かれた記事でそう思っているに過ぎない。そして、それらはウソ、あるいは過剰演出されたものかもしれないし、主に左派系の作品なので、今までの経緯から百パーセント信用していい、とも言えないかもしれないが。

富田氏が関わっているからと言うことで、中止に追い込まれた上記のイベント。

富田氏の人間性や考えが問題だとし、差別主義者と断定し、中止にしたのだとしたら、では、どの点が問題で、どの点で「差別主義者」と断定したのか、明確にしてほしいと思った。

(富田氏の人間性や考え方、思想か? 漫画の帯に桜井氏を起用したことが問題なのか? 在特会に関わったからなのか? 漫画の内容が問題なのか?)

あるいはクレームが多ければ中止に追い込めるのか?
ならば、これは左派も右派もお互いにやりあえてしまう。

が、言論には言論で、が民主主義社会の鉄則だと思う。

そこでドワンゴの川上量生氏のコメントを紹介します。
以下転載。
・・・・・・・

【ぼくはレッテル貼りによる攻撃は、もともと始めたのはマスメディアだと思います。ネットメディアの存在意義はそもそもそのアンチテーゼだったはず。ところが昔はマスメディアしかできなかったレッテル貼り攻撃を、いまはネットでだれでもできるようになった。

反ヘイトスピーチをさけぶひとたちがいかに危険か。今回もいいサンプルだよね。何度も何度も在特会しばき隊もクソで賛同できない、でも両者の発言の権利は守るべきというのがぼくの持論。その文脈で在特会の発言だって100%嘘じゃないでしょ?といった瞬間にネトウヨ認定されてレッテル貼り攻撃。】

・・・・・・・
転載終わり。

私も「両者の発言の権利は守るべき」という川上氏の意見に賛成。それが一番、公平だからだ。

差別主義者の定義があやふやなままで、こういった言論封殺に近いこと(社会的制裁を加えること)をやるのは危険だ。

誰が「こいつは差別主義者」と判断し、「こいつは差別主義者だから社会的に干せ、黙らせろ、社会的制裁を加えろ」と決めるのか?

だって、人によっては、中立だと思われる川上氏に対しても「差別主義者」などと言っているのだ。(そこで、私は川上氏の存在を知った)

私も有田氏からそう言われたし。富田氏を擁護したことで、某漫画家はじめ一部左派からはそう思われているだろうから、定義があやふやであれば、差別主義者の拡大解釈がされてしまう可能性がある。
もし仮に、有田氏のような人が「差別主義者が誰なのか」決められるとしたら、私も「差別主義者」になる。

差別主義者と断定された者を擁護すると、その者も差別主義者と言われる。
差別主義者と断定された者とつながりがある者も差別主義者とされていき・・・

まるで一族すべて、その人に関わった者が強制収容所送りになる北朝鮮みたいだ。

「こいつは差別主義者だ」と誰がジャッジするのか? ジャッジする人は正しいのか? 公平性があるのか? 差別主義者と断定された者と関わったり擁護すると、そいつも差別主義者なのか?

なんか恐ろしい。
悪のレッテル張り。

というか、言論封殺は、ほんの数年前まで、中韓への批判や在日への批判、憲法9条改正、核武装を主張することは許されず、それを言ったら「ファシズム、右翼・軍国主義者・差別主義者などなど」の悪のレッテルを張られ、世間からバッシングされ、社会的に干されていたように思う。

言論界は左派が牛耳っていた。

唯一、右派が牛耳ることができたのは「天皇制についての批判」だ。
今も、天皇制についての批判、疑問は言えないだろう。そして、それを取り上げる大きなメディアはない。やれば干されるだろう。

もしかしたら、右派の一部も左派の一部も「言論弾圧、言論封殺」を狙っているのかもしれない。
自分の都合のいいほうに持っていきたいのは、お互い様かもしれない。

なので、両者の発言の権利が守られるべき、社会的にも干されるべきではない、というのが、一番「公平」に思うのだ。

ま、みんな、敵を攻撃することを是としたいがため、己のやっていることを正当化したい、己の「不都合なところ」を隠したいがため、敵を【絶対悪】をしたがるのかもしれない。
左派はこの「絶対悪」を「差別主義者」と位置づけたいのだろう。

「こいつは悪だ。反社会的な問題人物だ」とジャッジする人は正しい価値観でジャッジできるのか? 
いや、すでに反社会的な人=犯罪者は、警察が逮捕し、裁かれるシステムが日本にはある。
なのに、それ以外に『ジャッジする人』が必要なのか?

(一部左派は、在特会を、オウムとか暴力団と同列に並べているが、在特会がそういった犯罪者集団であれば、警察がしょっ引くだろう)

今回、富田氏がこういったことで干され、このことに違和感、嫌悪感を持つ人も意外と多いのでは、と思ったりする。
そして、それが逆に左派とつるんでいる在日コリアンへの嫌悪感、違和感となり、最終的に在日コリアン全体への嫌悪感につながらなければいいのだが。

よって、私は、一部左派たち(および一部在日コリアン)のこういうやり方は賛成できない。

ただ・・・実は、正義を装いつつ、こういった分断を狙い、最終的に「中国のためにやっていること」なのだとしたら、それは「なかなか効果的なやり方」かもしれないが。

印象として、今の日本人は、おそらく中国・中国人より韓国・韓国人のほうを嫌悪している人が多い気がする。

日本人と韓国人がお互い、嫌悪しあい、日韓関係が悪化し、安全保障にまで影響を及ぼすところまで行けば、喜ぶのは中国だ。

ま、韓国が中国と組み、中国に飲み込まれるのを良しと考えているのであれば、仕方ないけれど。

・・・・・・・
余談。

※ちなみに、こういうコメントもあったので、載せておく。
日の丸街宣女子」の富田氏のイベントが中止に追い込まれた件について転載

【でもこれは左右共にあるんじゃない?前に日教組が集会の会場を予約したら、ホテル側が一方的にキャンセルして訴訟に成ってる】

転載終わり。

ということで、右派も左派のイベントをつぶしたこともあるのは事実なのだろう。

だが、これについてはこういう意見も。
以下転載。

【それはホテル側が自分で言い出したことだ。右の団体が圧力をかけたのとは全く違う。会場になると左と右の争いの場所になり、街宣車などが多数来て営業に支障・周囲に迷惑になるとの判断でホテル側が断ったもの。ただ、最初に一回予約を受けた為に、それを言質として左に散々ごねたり集られたりした。今回の様な主催者に直接圧力をかけて中止にしたのとは経緯が全く違う】

転載終わり。

私の感想。
ただ・・・日教組は団体で、集会はメシの種ではない。大きな力もある。だから裁判も起こせる。
漫画家の富田氏は個人だし、そういったイベント活動もメシの種のひとつだ。簡単に裁判を起こせる力もない。

日教組と言う大きな団体の、仕事とは関係ない(=死活問題とはならない)『集会の会場提供拒否』と、漫画家個人への『イベントつぶし』は、同等には扱えない気もする。イベントつぶしや、出版社への圧力は、漫画家の死活問題につながる。

そもそも富田氏は差別主義者で問題人物なのか? 誰がそれを決めるのか?

このイベント中止に追い込まれた件を知り、正直、一部左派のやり方に「嫌なもの」を感じた。
一部の日本人はますます在日コリアンの嫌悪感を募らせるかもしれない。

やはり右派も左派も、いかなる人も、いかなる犯罪者も、いかなる思想の持ち主も、いかなる問題人物も、反日も嫌韓も、言論(表現)の自由があり、発言権がある、というのが公平な気がする。そして、どちらの言っていることに「説得力を感じるか」「公正さ、公平さを感じるか」「理があるか」、皆それぞれが判断すればいい。もちろん、そこには批判意見も出てくるだろう。
言論には言論で。

もし、そこに暴力行為があったら、それは警察が介入すればいい。

ただ、今までは、左派の意見や主張ばかりがマスメディアで取り上げられ、不公平だったように思う。
不公平は反動を生む。

在特会の主張も封じずに、言わせておけばいい。一般人の判断に任せればいい。多くの人は在特会の過激な発言に違和感を持ち、「在日への差別的な過激な発言」には賛同していない。

在日に特権というか優遇されているところがあるのか、ないのか、過去にあったのかなど、それも正々堂々と議論すればいい。

だが、在特会関係者や在特会をちょっとでも擁護した者など、在特会とつながりがあるということで差別主義者扱いをし、在特会およびその関係者の言論を封じ、社会的に干そうとなると、こっちのほうに違和感を持つ人が出てくるだろう。
やがて、在特会に同情する人も出てくるかもしれない。耳を傾けようと思う者が増えるかもしれない。

ドワンゴの川上さんも【在特会の発言だって100%嘘じゃないでしょ?といった瞬間にネトウヨ認定されてレッテル貼り攻撃】されたという。これでは、反感を生むだけだろう。

また、この件について、こういう意見もあった。
以下転載

【在特会を支持するわけではないけど、ますます韓国嫌いになった。
表現の機会を奪うのはおかしいよ。

話を聞いて、聞き手がその内容が正しいか判断できるのが表現の自由の保障だし、表現の自由の価値だ。
少人数の人が正しいか正しくないか判断し、ある表現行為を事前に止めるなら検閲と一緒。
国民は検閲と同じ危機感を持つべきだね。

特に朝鮮絡みは執拗な抗議で表現の自粛があったのではないかと疑ってたが、これを見ると本当にそうなのかなと思ってしまう】

転載終わり。

私もこういったことを見聞きする度に左派系(在日も一部入っているよね)に不信感を持つようになってしまった。
よって、左派に反感、右派の意見に耳を傾けがちになる。

そして、韓国がああいう態度だし、「在日朝鮮人強制連行のウソ」を知った時は、(仕掛けたのは日本の左派だけど)、やはり在日コリアンに不信感をもってしまったし、被害者意識が強そうなので、ちょっとしたことで「差別だ」と悪人に仕立てられそうな印象をもってしまう。

左派の活動は、そういったことを助長しているのでは? とも思う。

いや、でも・・・もしこれが仮に中国の目論見だとしたら、成功しているよなあ。
日本では、ますます韓国および在日コリアンへの不信感が増し、韓国では相変わらずの反日で、日韓関係が悪化していくことで、利するのは中国だろうから。左派はやっぱり中国とつるんでいるのか、と邪推してしまう。

ドワンゴ川上氏について、こういう記事を見つけたのでリンクしておきます。
http://ameblo.jp/fuuko-protector/entry-12030239687.html

川上氏のツイート発言のやりとり
https://twitter.com/kadongo38/status/575872443207671808

【韓国のやっていることを非難するとレイシスト呼ばわりをする。じゃあと個別の議論をすると逃げる。つまり韓国への批判をさせないために実際のところヘイトスピーチという概念は使われているだけです】

※【kadonngo38】が川上氏の発言。

そういえば、以前、民主党が「人権擁護保護法案」みたいなのをしつこく出していた。
主に、外国人差別を取り締まる法案だ。
特高警察左翼版といったところ。
在日中国・韓国・北朝鮮、ほか外国人の悪口を言えなくなる・・・これって、将軍様の悪口が言えない北朝鮮や、共産党の悪口を言えない中国みたい・・・
悪口と差別、ヘイトスピーチの違いは? 定義は? なければ悪口は差別・ヘイトと捉えられ、「差別主義者」にされてしまうかも。


以下、川上氏の発言、転載。

【結局、なにをいっても、理由をつけて差別だとレッテル貼りをする。それじゃ議論はできないよね。だから、反ヘイトスピーチという彼らの一見もっともらしい主張は危険。差別している行動は個別に批判するでいいじゃん。なんでいちいちレッテル貼りをするのか。それは拡大解釈のためでしょ。】

【批判したい相手を批判するというのが目的で議論する気なんかないのがしばき隊。たとえ嫌いな相手の話でも正しいことは正しいし、間違っていることは間違っている。そんなあたりまえのことが通用しないのがしばき隊の実態だよね】

【ぼくは楽観主義なのでまともなひとがちゃんと議論すれば落としどころは自ずから見つかると思っています。なんで在特会としばき隊が、日本と韓国の仲をネットで悪くさせている一番の元凶だというのがぼくの中での結論です。あらためていわなくてもみんなもそう思ってんじゃない?】

【まあ、だから、名誉毀損なり、脅迫なりで既存の法で裁けば良い。どこまでも解釈が拡大できる、もしくはする気まんまんのしばき隊が主張するヘイトスピーチなんて断罪は認められないというのがぼくの立場です】

転載終わり。

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フィクションである物語について・・・
特定の集団に対する差別、特定の個人に対する名誉棄損などの問題点を考えてみる。

日の丸街宣女子」について。

差別表現があるのかないのか……漫画の中ではどうやら、これといって「ない」らしい。そう、在日コリアンに対する差別表現はないという。
じゃあ「差別を煽っているって何なのか?」というと、「都合のいいウソを描いている」と一部の者(左派)は言っているようだ。

http://d.hatena.ne.jp/akutsu-koumi/20150515/1431698891
一部抜粋、転載。
・・・・・・・・

「日之丸」世界(=漫画の中)で繰り広げられるヘイトスピーチを巡る動きは現実社会で起きているそれとはあまりにも隔絶していた。

描かれているデモは日韓国交を断絶せよという主旨のものである。主張の是非や実現性はおくとしても、それ自体はヘイトスピーチではない。参加者は国交を断絶せよ、李明博許すまじとは言うものの、在日コリアンは皆出て行けとも悪い朝鮮人も良い朝鮮人も殺せ毒飲め首を吊れとも言わない。

在特会のメンバーが「スパイの子供は出て行け!」「キムチ臭い!」「ウン○食っとけ!」(これでもまだ柔らかく意訳した表現。実際はもっと酷い)など、言い逃れしようのないヘイトスピーチを発した都合の悪い事実などは言うまでもなくこの作品では伏せられている。

本書の感想を一言で述べろと言われたら「良く出来た嘘話ですね」としかこたえようがない。

・・・・・・・・
転載終わり。

さて、ますフィクションなのだから、嘘が含まれるのは当然だ。レポではなく、物語なのだから。

いや、実在する人間や団体をモデルにしているのだから、ウソを描くのはけしからん、というのであれば、同じことが「はだしのゲン」や、あるいは大江健三郎の「沖縄ノート」にも言えてしまう。

これらは過度に日本軍を悪く描いたという点において「ウソ」のお話である。

「はだしのゲン」では、日本軍はアジアで3000万人虐殺したことになっているが、でたらめである。
日本全国を空襲しまくり、2発の原爆を用いた裕福なアメリカでさえ、日本人民間人を40万人しか殺せなかったのだ。3000万人はありえない数字だ。
そして、日本兵が、中国人女性の女性器を突いて殺すシーンも、でたらめだろう。日本にはそういう殺し方をする文化・習慣はない。そもそも、そんな殺し方をする理由がない。いかに日本軍が残虐非道なことをしたかを演出するために、そういう描き方をしたのだろう。

「沖縄ノート」はノンフィクションだが、ウソが書かれてしまったため、裁判にもなった。
日本軍が沖縄一般市民を玉砕させたとし、市民を自害に追い込んだ軍人として梅澤氏、赤松氏が悪人に仕立て上げられたという。
が、実際はその軍人であった梅澤隊長は反対に玉砕しようとする村民たちを止めようとしたという。梅澤さんらは、この「ウソ」を書いた大江氏の著書のせいで、人権を奪われた。隠れるように暮らし、仕事を転々とせざるを得なかった。梅澤さんを悪人に仕立てた「沖縄ノート」、これは梅澤さんへの名誉棄損だ。

事実が裁判で争われ、証言者も出てきて、梅澤さんの冤罪は晴らされた。
が、大江健三郎氏は裁判に一度も出廷せず、責任をとろうとしなかった。

このほか、日本を過度に悪く描いた物語はたくさんある。
いや、物語(フィクション)だけではなく、ノンフィクションでもだ。ウソを報道してはいけない新聞でさえ、ウソを報道してきた。

そう、都合よく書き、ウソを書き、あるいは都合の悪いことは隠す・・・このようなことは左派側の作家も、そしてメディアも散々やってきたことだ。

(そういえば、「永遠のゼロ」も都合のいいウソを描いている、と左派は息巻いているが・・・いやいや、フィクションはウソが許されるのだし、左派側の作品も散々ウソを描いてきたではないか、と)

ただし、いくらフィクションでも、実在する人物や団体をモデルにした場合、名誉棄損になる場合がある。
それで訴えられる作家はいる。

というわけで「日の丸街宣女子」は、差別ではなく、誰かを名誉棄損してますか? ってことになるのだろう。

もうひとつ、「街宣女子」の感想記事を紹介。
http://ameblo.jp/daitoaseinenkai21/entry-12030513316.html

【内容は、主人公の女子中学生・奏が、街宣・ツイッター・電凸を通じて活動していくうちに「外国人参政権とは?」「ヘイトスピーチとは?」といったことを学んでいくというもの】と書かれている。

そして・・・
【在特会と対立し、有田議員が支持している組織、レイシストをしばき隊(現:「C.R.A.C」)も、在特会のデモに参加する人に対し、刺青を見せて恫喝する、暴行をするなど、目に余る酷い行動があります】と。

私も動画で見たことがある。
在特会とは関係のない保守系デモにも、しばき隊が現れ、こういった行為を働くと、保守系デモを行っている人たちも訴えている。しばき隊から暴力を振るわれた女性もいたそうだ。

これは「本当だったか、どうだったか」は当人でないと分からないことだ。
デマ、ウソとも言い切れない。

そして漫画「街宣女子」では、ウソを描いたと言うよりも、左派が描いてほしかった「デモ隊のヘイトスピーチの部分」が描かれなかった、ということなのだろう。

ま、「ヘイトスピーチ」の部分を描いたら、それこそ「差別表現」として、この漫画は左派の餌食になっただろう。そこは作者側として外すのは当然だ。差別用語は使用できないのだし。

左派はこの漫画を「都合よく描かれたファンタジー」と言うが、「一部ウソ、過度な演出」「都合の悪いことは隠す。あえて描かない、報道しない」は、左派側の作品、ノンフィクション、新聞、テレビも散々やってきたことだから、お互い様だ。

そう、皆、肩透かしを食ったようだ。「街宣女子」に差別表現がなかったから。
とすると、あの有田氏の発言は何だ? とも思っているだろう。


都合の悪いことは、左派も隠す。たとえば・・・

http://ameblo.jp/daitoaseinenkai21/entry-11559553821.htmlより転載。

【現代史家の秦郁彦氏は12年10月に当時、元慰安婦に一時金(償い金)を支給するアジア女性基金の理事長だった村山富市元首相にインタビューし、こう問いかけたことがある。
「慰安婦の多くが日本人だったことはどう考えるのか。今後は、日本人も一時金の支給対象とするつもりはあるのか」
すると、村山氏は「うっ」と言葉に詰まったきり、何も答えられなかった。
同席した基金理事が、慌てた様子で「今の質問はなかったことに」と取り繕っていた。】

転載終わり。

ほか慰安婦問題については、こちらをどうぞ。マスメディアが報じない情報が満載。
http://ameblo.jp/daitoaseinenkai21/theme-10070173811.html

福島瑞穂氏はさらに悪質だ。
http://blog.livedoor.jp/aryasarasvati/archives/38968295.htmlより転載。

【長年、市民運動や女性の人権擁護に関わってきたフリージャーナリストの舘雅子氏が振り返る。
「私は92年8月にソウルのYMCA 会館で聞かれた『アジア連帯会議』に出席しましたが、それを仕切っていたのが福島さんと元朝日新聞編集委員の松井やよりさん(故人) でした。当日、私は会場内で迷って、ある小部屋に立ち入ってしまったのです」

 そこで舘氏は仰天の光景を目撃する。
「お揃いの白いチマチョゴリを着た女性が4,5人いて、日本人と韓国人のスタッフが”ああ言いなさい!こう言いなさい”と一生懸命、振り付けをしているのです。本番の会議でも彼女たちが登壇し、言われた通りに悲劇的な体験と、日本政府に対する怒りを切々と述べているではないですか」

 元慰安婦たちは操られている。舘氏はそう直感したという。
ところが、台湾人の元慰安婦の番になると”日本の兵隊さんは私たちに優しくしてくれました”などと言い出し、ステージの下に控えていた福島氏や松井氏が大慌て。

「それ止めて! 止めて!と遮り、それでも止めないとマイクや照明を切ったりして発言を封じ込むのです。タイの女性も”日本の軍隊ばかり叩くな””イギリス兵はもっと悪いことをした” と反発していましたが、福島さんや松井さんが抑え込んでしまいました」(同)

 ハプニング続出出にもかかわらず、会議は日本政府に強制連行の認定と謝罪と補償を求める決議を採択して終わる。そして、具体的なアクションも決められた】

転載終わり。

フィクションである漫画よりも、こちらのほうがよほど悪質では?
そして、村山総理(当時)や福島瑞穂氏は知名度から言って、その影響力は、漫画の比ではない。

ところで、在日コリアンがなぜここまで一部の者に嫌われるようになったのか、韓国の反日ぶりもあるが、在日コリアンの「数万人におよぶ強制連行のウソ」も大きいだろう。
実際、戦時徴用されたのは245名。そして全員、帰国した。

私も10年くらい前までは左派の報道を信じていた。日本が朝鮮人を強制連行し、奴隷のように扱い、非道なことをしたと。それは従軍慰安婦も同じ。
が、それらは日本を悪に仕立てようとしたウソだと、本当につい最近、わかったのだ。

もちろん、これらウソは、左派の日本人が仕組んだもので、在日コリアンではない。
が、在日コリアンたちも、その「都合のいいウソ」にのっかってしまったのは事実だろう。

あるいは、在日コリアン2世3世あたりは、そのウソを一般日本人と同じように信じてしまい、自分たちは被害者だと思い込んでしまった。そして一部の者は反日思考になり、被害者意識が強い。

こうなってしまった元凶は日本の左翼にあるが、在日コリアンへの警戒心が出てくるのは仕方ないかもしれない。

今の日韓関係の悪化のもとは、日本の左翼にある。
韓国の左翼も反日がすさまじい。
影で喜んでいるのは中国。
日本の左翼も韓国の左翼も中国のために働いでいるのだろう。

韓国が反日をやめられるか、在日コリアンの人が「反日ではない証拠を示せる」か、これにかかっていると思う。
そして、悪質な情報操作をしてきた日本の左派の力が衰えない限り、解決しないと思う。

左派と一部在日が在特会を叩いているだけでは、一般日本人の韓国に対する嫌悪感や、在日コリアンへの警戒心は解かれないかもしれない。

左派の力が強いと、韓国は安心して反日に勤しめる。
よって、一般日本人による韓国への嫌悪感や在日への警戒感は増し、関係はますます悪化していく気もする。

それは日本人が、ほかの国と較べて特別に差別主義者だから、とか、差別に鈍感だからではない。日本人は特別に善人でもないが、特別な悪人でもない。ごく普通の人間である。

一般の在日コリアンの方が「反日ではない証拠を示す」には、「つかこうへい氏」にように声をあげ、それを広く知らしめるしかないと思う。

http://ameblo.jp/daitoaseinenkai21/entry-11559553821.html
一部転載

・・・・・・・・

在日韓国人2世でもあった故つかこうへい氏の言葉(慰安婦について)

「僕は『従軍』という言葉から、鎖につながれたり殴られたり蹴られたりして犯される奴隷的な存在と思っていたけど、実態は違った。
将校に恋をしてお金を貢いだり、休日に一緒に映画や喫茶店に行ったりという人間的な付き合いもあった。 不勉強だったが、僕はマスコミで独り歩きしているイメージに洗脳されていた」

「悲惨さを調べようと思っていたら、思惑が外れてバツが悪かったが、慰安婦と日本兵の恋はもちろん、心中もあった。 僕は『従軍慰安婦』という言葉が戦後に作られたことや、慰安婦の主流が日本人だったことも知らなかった」

「常識的に考えて、いくら戦中でも、慰安婦を殴ったり蹴ったりしながら引き連れていくようなやり方では、軍隊は機能しない。大東亜共栄圏を作ろうとしていたのだから、業者と通じてはいても、自分で住民から一番嫌われる行為であるあこぎな強制連行はしていないと思う。 マスコミの多くは強制連行にしたがっているようだけど」

・・・・・・・・

つかこうへい氏の言葉はここまで。

次に、この記事を書いた人の言葉を転載します。
以下転載。

・・・・・・・・

現実問題、軍隊が侵攻し、他国の国民を敵に回しては、軍隊よりはるかに数の多い、他国の国民から、軍隊は嫌われ、統治することは不可能になります。そのいい例が、ベトナム戦争でしょう。
まして従軍慰安婦は、命を懸けて戦地で戦っていた日本兵の何十倍もの給与を得ていましたし、日本兵と結婚した人もおり、慰安婦をやめて豪邸を建てた人もいます。

・・・・・・・・

転載終わり。

慰安婦の中にはもちろん悲惨な目に遭った人もたくさんいるだろう。が、そうでない人もいる、つまり少なくとも「性奴隷」ではない、ということだ。

何度も言っているけど、『人権』という概念は戦後に出てきた。それまで、そんな概念などなかった。だから、朝鮮人だけではなく日本国民だって、悲惨な目にあった人はたくさんいるだろう。
けど、今の豊かな社会の中にいる人が、正義面して、昔の貧しい社会を裁くことはできないのである。

欧米は、豊かな社会を築き、『人権』という概念を作り上げたが、そもそも「その豊かさ」は、植民地支配、奴隷制度など、さんざん外国人の人権を蹂躙し、野蛮なことをして得たものなのだ。

ところで、よく左派は「ネット情報などウソとデマ」といい、「ネットde真実」と揶揄するが、中には証拠をそろえ的を得た情報もあるのだ。

従軍慰安婦や朝鮮人強制連行、南京大虐殺など、私はすべてネットの情報で『おかしな矛盾』『証拠となる写真』『記事』を見ることができた。新聞やテレビでは知ることができなかった、聞くことができなかった意見や考えをネットで触れることができた。

そのかなり後で、ついに朝日新聞が大々的に従軍慰安婦の『誤報』(ねつ造?)を認めた。

中国への脅威も、右派はかなり昔からネットで呼びかけていた。
当時は「右派が脅威を煽っているだけ」という空気だったが、今現在、右派の言うとおりになった。

ネットはウソやデマも多いが、テレビや新聞」が報道しない事実や証拠、いろんな人の考えに触れることができるのだ。
というか、テレビや新聞もウソやデマがあったりするのだし。

そんなわけで「日の丸街宣女子」は「差別表現はない」=「これといった問題のない作品」と言えてしまうのであり、有田氏の発言は「いきすぎ」「感情的」であり、ましてや一部の者たちが訴える「富田氏を社会的に干す」など、それこそ問題だろう。
もしもこの漫画に問題があるとするなら、モデルとなった人たちが名誉棄損されたかどうかであり、その訴えが通るかどうか、である。

いや、それにしても有田氏みたいな過剰な=過激な人が国会議員だということのほうが恐ろしい。(もちろん、有田氏だけではなく、福島瑞穂氏など左派系議員たちも)

そして、もしも「街宣女子」が問題ある漫画だとするならば、「はだしのゲン」も「沖縄ノート」も、ほか日本を過剰に悪に描いたすべての作品も問題である。
「街宣女子」が都合よく描かれた在日コリアンへの差別漫画だとするならば、左派系の作品は都合よく日本を過度に悪に描いた日本人への差別作品、かつての日本人への名誉棄損作品ということにもなる。

この「日の丸街宣女子」の騒動は、すべて左派へブーメランとして返ってしまう問題だ。

有田氏含め一部左派が騒いだだけとはいえ、左派の正義のメッキが剥がれに剥がれたなという印象。「差別を許すな」と一見、正しいことを言って、正義を掲げながら、「作家を簡単にレイシスト呼ばわりをし、その作家を使うのは問題だ」と言って、言論統制、言論弾圧に近いことまで言い出すから、ちょっとびっくりした。

そして富田氏を擁護する者も「差別主義者」として、簡単に「悪のレッテル」を張っていく・・・大げさかもしれないが、まさに共産圏の恐怖社会を思わせた。さすが左翼とでも言おうか・・・いや、あと戦中の日本にそっくりだったので・・・ちょっとしたことで「非国民」というレッテルを張り、言論統制されていたあの社会とリンクしたことが、興味深かった。

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http://ddnavi.com/news/234871/

↑によると、漫画家の数、1995年3000人が2010年は6000人に倍増。
でも、漫画家の定義って何だろう? デビューできたら漫画家なのかな? ちょっとでも原稿料をもらったら漫画家? あるいはそれで生活している人が漫画家

まあ、これ作家、物書きにも言えるけど・・・
プロという言葉を聞くと、やはり「それで生活している人」というイメージ。

そういえば、昔、ある人から「自称漫画家」と言われたっけ(汗)
漫画を描いたことあるとは言ったが、漫画家を名乗ったことない。恐れ多くて。

いや、ほんとうは私ごとき『何もできない人』と名乗るのが一番気楽だ^^;
が、それやっちゃうと、だれも興味持ってくれない^^;

このブログをやっていた頃は、ピティナで「ショパン物語」描いていたので、宣伝のために、プロフィールに商業誌で漫画を描いていた頃の過去作品は並べたりはしていた。

今は「プライオリティ」宣伝のために、そのまま並べている。
※「プライオリティ」(工作員と戦う物語)はこちらで投稿中。
「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062

※ただ今シーズン4――第3章、臓器売買に絡む政界の黒い策略――セイヤの推理、単独捜査によって、徐々に解明していくが……本当の黒幕は誰なのか? まだ疑問が残る――
(あと断章、4章、5章、終章で、終わり)

こういった宣伝行為も人様から見れば相当にうざいことは重々承知しつつ・・・
中には「宣伝するに値するようなもの、書いているのかよ?」と思っている人もいるだろうな、と。
けど自分が作った作品は自分くらいしか愛せないからなあ。親バカということで。

で、宣伝しないことには誰も読まない。宣伝しても読まない人の方がほとんどだ。興味を持ってくれる人はほんのわずか。それを期待して宣伝行為に励んでいるのだ。

「恥ずかしい、カッコ悪い、落ちた人、ずうずうしい」と思われそうだが、こういった創作活動やるのには、きっと「ずうずうしさ」も必要なのだろう。
創作活動している人は皆、やっていることだ^^;

なので、このような批判も今では嬉しい↓
http://o.sentaku.org/anime/1000012561/vc/%e6%9e%97%e5%80%ab%e6%81%b5%e5%ad%90(%e9%9f%b3%e5%90%89%e3%81%8f%e3%82%93%e3%81%ae%e3%83%94%e3%82%a2%e3%83%8e%e7%89%a9%e8%aa%9e)

あの頃よりは多少、画はマシになったと思っている。まあ、前があまりに酷かったからな~。
otokiti31.jpg

そして今度は文章力アップを自分なりに目指す^^;

ブログも、「てをはに」間違えていること、けっこう多い。確認して投稿しているつもりでも、やはりミスがあちらこちらにある。見つけるたびに直してはいるのだけど。
こうもたくさん間違えるとは・・・ま、がんばるしかない。

さて、今回は漫画について語る。

やっぱ気になったのは、以前にも話題にしたが「境界のないセカイ」打ち切り問題だ。

まず作者の方の、この経緯について書かれたブログ記事を紹介。
http://ikuya.sblo.jp/article/115089330.html

人気があったにも関わらず、講談社側から「クレームがくるかもしれないから」という理由で単行本を出さず、そのまま打ち切りとは・・・
それを理由に打ち切るとなると、担当編集者編集者としての仕事をまるでしていなかったと言えてしまう。

作品に何か「クレームが来そうな問題表現がある」のであれば、編集者はOK出さず、作品が表に出る前に直させる。それが編集の仕事だ。
この作者の方のブログ記事が事実であれば、天下の講談社はそれをしなかった・・・ということになる。

編集者はあれだけ高い給与をもらいながら、基本的な仕事さえしなかった・・・と思われても仕方ない。
なのに、その責任は漫画家がかぶる。理不尽だ・・・

表現にOKを出し、表にしたのであれば、「クレームがくるかもしれないから」という理由で打ち切るのはどうかと思う。

けど天下の講談社だからなあ。「漫画家なんていくらでもいる」という思いが、そうさせるのだろうか。
上で紹介した漫画家の数、15年で倍増だもんな。

志望者となれば、さらにその何倍もいるのだろう。

漫画家がこれであれば、作家(物書き)も、だろうなあ。

それでどういうことが起きるかと言うと、やっぱ「理不尽なことをされてしまう漫画家や作家」も増えているのではないだろうか、と。
出版社にとって、作家は掃いて捨てるほどいる。どんなに粗末に扱ってもかまわない。よほどの売れっ子以外は。
・・・となる?

けどネットのおかげで、作家側が声を上げることができ、どういったことをされたのか、表に訴えることができ、こうやって皆が知ることができる。それが抑止力になればいいけれど。

ま、それでも大手の力はすごいし、大手出版社で仕事ができるというのは作家にとっても大きいだろうから、こういったことがまかり通ってしまうのかもしれないな、と。作家は表では「先生」と呼ばれているけど、よほどの売れっ子でない限り、かなり下に見られているような気がする。

でなければ「境界のないセカイ」のような仕打ちはしないだろう。

そのうえ、漫画にしろ小説にしろ、今はもうプロの作家の作品もネットで無料で読める時代になり・・・「作品を作って、それで食っていく」というのはかなり大変そう。
趣味で公開していても、誰も読んでくれない、というのはあるかもしれないけど、いろいろ考えさせられた記事であった。

物書きの場合、兼業の人もわりといる。

もちろん、物書きだけで食えないから、なんだろうけれど、
もうひとつ仕事をもつということは、編集から理不尽なことをされても生活に困らない、強く出られるカードとなるのかもしれない。
全ての時間を創作に充てたいだろうけど、あまりにリスクが高いので、兼業でがんばっている人も多いのかもしれない。

となると、水嶋ヒロさんも、兼業で頑張ればよかったのに、と思ってしまった^^
イケメン俳優というだけで、それはもう売りになるのだし。

http://www.cyzowoman.com/2015/04/post_15632.html
『第5回ポプラ社小説大賞を受賞し次作が期待されたものの、いまだ発表はありません』とのこと。
デビューできても、次が書けるとは限らないのだな。

厳しい世界だなあ。

自分では面白いと思っても、他者はそうは思わない場合、多いだろうし・・・
たぶん自分がやろうとしていることに価値はないかもしれないけど、創作活動という漫画に近いところに、もうしばらく居させてもらおう^^;
その間、このブログも続くと思う、たぶん。

・・・・・・・
余談。

【自分が納得する『芸術』と人を楽しませる『芸能』】

あるところで見かけた言葉。なるほどと思ってしまった。

となると・・・『人を楽しませる』方が難しいと私は思う。だから芸術>芸能じゃないんだよな。

とりあえず「自分が納得すること」を目指して、物語「プライオリティ」を作っていこうと思った^^
多くの人を楽しませることはできずとも、自分を楽しませることと納得させることはできそうだから^^;

けど、「自分が納得」って自己満足だよなあ。「芸術」ってそういうもの? いや、芸術は「人を納得させて何ぼ」じゃないのかな、とも思う。結局「人=第三者」の存在があってこそ、人を楽しませるのも、人を納得させることも、どっちも難しいけど、できたら「面白い」ものなのかもしれない。

小説では、「芸術」が文学にあたるのかな。
だから文学>大衆小説みたいな印象があるけど、そういう境界線も今はあやふやになってきているのかもしれない。

そして、人を楽しませるのは難しい。文学>大衆小説とは限らないのだ。

んで、ライトノベルを「漫画的な小説」と定義づけるのであれば、一般の文芸小説とライトノベルの境界線もあやふやになり、より自由な物語がたくさん生まれるような気がする。

けど、ライトノベルをいろいろ見ていると、なんだかあらゆる要素(設定、ジャンル、キャラなどなど)で自由がなさそう・・・んで、一般の人からは「小説>ライトノベル」「ライトノベルはみんな似たり寄ったり、同じようなお話、内容、キャラクター」と思われ、「ライトノベル読むくらいなら漫画を読む」という人も多そうだ。

本当は、上下はなく、芸術=芸能、文学=大衆小説=ライトノベル・・・というか、その境界線もあやふやなのかもしれない。

漫画的な小説、目指しつつも、結局は面白いか、面白くないか、んで、それは自分には分からないし、決められない。
とりあえず、ネットであれば「アクセス数」で判断するしかない。

ちなみに、このブログ、以前の政治や社会問題、左派への突っ込み、中韓問題を扱っていた頃に較べ、アクセス数が落ちている^^;
こういった話はつまらないのかもしれないな・・・

しかし、自分の作品宣伝のためにブログをやっていると、漫画や小説、創作活動、創作について、語ることが多くなってしまうのだ。

不特定多数の興味をひくことの難しさよ・・・
なので「自分納得=自己満足」を目指すくらいしかできそうにない^^;

⇒続きを読む

今までも「とある飛空士への~」「獣の奏者」などについて感想述べてきたけど、今回はさらに突っ込んで語ってみよう。

「とある~夜想曲」と「獣の奏者」を主に取り上げつつ、ジブリ風立ちぬ」について・・・「千々石」と「風立ちぬ主人公」、酷い男はどっちか、を綴る。^^;

まずは前置き。

作家の宮本輝氏が産経新聞インタビューでこのように発言していた。

小説を書くにあたって大事にしている点。
○『わかりやすく簡単に書くこと、難解な単語や熟語は使わない』

例えば「雨が降った」という表現を難しく書くことはなく、ただ「雨が降った」と書けばいい。難しく表現してうちは、まだまだ・・・ということらしい。

そうか、やはりそうだよな。ちょっとホッとした。
ネットで文章による物語を描いているので、私も「簡単に、簡潔に、わかりやすく、短く表現すること」を心掛けつつも、「情景描写が説明不足、あまりにそっけないのではないか」「もうちょっと豊かな表現をしなくてはいけないのではないか」とも思っていたので。

まあ、「雨が降った」にしても、どのくらいの強さで、というのは表現したほうがいいのかも?
小雨なのか、ザーザー降りなのか、風はあるのか、気温はどうなのか・・・などなど。

プライオリティ」推敲・改稿中だけど、そういった描写について、いろいろ考えながら直すようにしよう^^;

プライオリティ」はこちら
「なろう」http://ncode.syosetu.com/n1557cj/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062

○『勇気や希望を与える物語でありたい。暗い小説は嫌い』

長い長い小説を読んで、最後に皆が不幸になったり、別れ別れになったり、というような物語は読みたくない、と。
基本的に「ああ、よかった」=ハッピーエンドが好ましい、と。

たしかにそうだよな。

すると主人公が最後に死んでしまう物語はどうなのか? という点について、主人公は死んでしまうが、その周りの人たちが救われる、主人公の死を乗り越え、希望をつかむ、主人公の死は無駄ではない、という感じであれば、読み手はショックではあるが、納得はできるのではないだろうか。

その作品が・・・「とある飛空士への夜想曲」「獣の奏者」「永遠のゼロ」だと思う。

ええ~と・・・主人公が最後に死んでしまう話はほかにもけっこうあったはずだが、思い出せない^^;
つまり、この3作品以外、それほど印象に残らなかった、ということでもあるのだな・・・

(「病気もの」も、そういったものがあったはずだけど、なぜか思い出せない。ああ、ひとつだけ、印象に残った話があった。有本浩の「旅猫リポート」だ。途中まで主人公が病気とは分からないので、分かった時はショックだ。けど心に残った。・・・というか、これ主人公は猫になるのか? すると「主人公の死」ではなく、「主要キャラの死」ということになるのかな?)

「闘い」が絡む主人公の死は、「病気モノ」よりも印象に残る。
病気で死ぬのはある種「仕方ない」、けど戦いで死ぬのは「回避できなかったのか」と思うからなのか・・・

ああ、そういえば・・・
私はRPG「クロノトリガー」にはまり、旧サイトで二次創作に励んだことがあるのだけど・・・。
http://www.rock.sannet.ne.jp/kiga2hon-dayo/mokuji6.html

2004年のことだ。ただし、その時に初めて「クロノトリガー」をプレイしたわけではなく、1995年に発売された当時に、一度プレイしている。が、当時はとくに感じるものはなく、すぐに売ってしまった。

それがなぜ、2004年になってから、クロノにはまったのか・・・
それは「クロノクロス」の存在を、この時、初めて知ったからだ。

クロノクロス」とは、「クロノトリガー」の続きの世界を描いたRPGだ。
その「クロノクロス」では、「クロノトリガー」に出てきた主人公はじめ主要キャラクターは若くして死んだ、ということになっている。

「ええ? クロノ、ルッカ、マール死んじゃったのか?・・・20代半ばで?」
と、びっくりした。
制作者は「これはパラレルワールド。キャラが幸せになっている世界もある」と苦しい言い訳をしていたが・・・^^;

ま、とにかく、クロノトリガーのキャラたちが若くして死んだ、というので、クロノトリガーが気になり、再び触れることになり、はまってしまったのだ。つまり「主人公および主要キャラの死」がきっかけだった。

それほど、「主人公の死」というのは受け手にインパクトを残すのだ。

逆に、主人公を死なせて、あまりインパクトを残せなかったら・・・その作品はちょっと・・・ということになる。
いや、だから、そうそう主人公を死なせてはいけないのだ、とも思う。


○「とある~」と「獣の奏者」、どっちのキャラに惹かれたか。

「とある」では主人公の恋人が、「獣の奏者」では主人公の息子が、自己犠牲を覚悟する主人公に対し、心を痛める。

それでも「獣の奏者」の場合、14歳の息子に「生きること」を約束するので、まさか死ぬとは思わなかった。
「とある」も、恋人に「お前のところへ帰る」とは言うのだけど。その前に「戦いで死ぬことは本望」とも言っている。

では、どっちの主人公に惹かれたか、となると、僅差で「とある」だ。

私的には・・・千々石>エリン

その理由。
「獣の奏者」のエリンは、あまりに「いい人」「理想的な人」「善人」「立派な人」で、欠点が見当たらない。
対して「とある」の千々石は、自分勝手な面がある。恋人を傷つけてでも戦うほうを選ぶ、恋人よりライバルを選んだ、と言っていい。欠点もある人間。

なのでキャラとして、千々石のほうがエリンよりも魅力がある。
欠点のないキャラにはあまり惹かれない。嘘っぽいから。


○テーマについて。
「とある~」も「獣~」も素晴らしい。

おそらく、左派は、「とある」を戦争美化、特攻隊美化、として「右傾化エンタメ」と言うだろうけど、「獣」だって、ある種の特攻だろう。なのに「獣」は反戦をうたった話として、左派も受け入れている物語のように感じる。

けど、「とある」だって戦争の愚かしさを訴えているし、「永遠のゼロ」も特攻作戦を批判している。
が、なぜか「獣」とは違う扱いをされている気がする・・・


○「獣」で一番、よかった場面について。

戦争・戦うことを「穢れ」とする人たち=戦う人(兵士、軍隊)を見下しつつも、その人に護られ、富を享受していた一団に対し、「富を手放す覚悟があるのか」と問う点だ。「富を享受したいのであれば、戦いに参加せよ」というような場面がある。
そして、多数決で決めるのだ。戦うのか、戦わないのか。そして「戦う」ことになった。

この場面を見て、左派はどう思っているのだろうか。

私が「獣」を評価する一番の場面である。

「とある」でも、「なぜ戦争になったのか」について、原因はあまりに多すぎる、とし単純化していない。「誰が悪いというわけではなく、時代の要求がそうさせた」と主人公・千々石は答える。

「はだしのゲン」のように、お金持ちや権力者が欲をかいて戦争を起こした、などと「単純なお子様的な理由」を並べたりしていない。

当時、人権という概念もなく、欧米諸国の植民地政策が当たり前だった時代、植民地を持っている国々が『ブロック経済』でもって、植民地を持っていない国を脅かしたこと、日本やドイツを経済的に追い詰めていったことなど、原因はほんとうに様々あるだろう。

ロシアも怖かったし、戦々恐々としていた時代だ。

「はだしのゲン」および左派は、日本を「欲をかいたから、戦争を起こした」というのではなく、このように言わなくてはいけない。「日本は貧乏になる覚悟がなかったから戦争をした」と。

もちろん、貧乏になる、ということは、弱者救済はできない、ということでもある。それでも戦わない、と言うのであれば、それはそれでひとつの考え、価値観だろう。

戦争で死ぬのは嫌だけど、病気や貧しさで死ぬのは仕方ない、と思う人もいるだろう。
戦争になれば、さらに貧しくなる可能性だって高いのだから。

そう、上でも触れたように、闘いで死ぬのはショックだが、病気で死ぬのは仕方ない、と受け入れられる人も多い。
だから、左派はそう訴えればいい。「戦いで死ぬよりは、貧乏の方がマシだ」と。

まさに「獣の奏者」が言っていた「富を手放す覚悟がありますか」だ。

そして「侵略の定義がない」ということは、植民地支配をしていた欧米諸国にとっても都合がいいのだ。だから「侵略の定義はない」のだ。正義は「戦勝国が決めるもの」だから。

従って、「侵略の定義はない」のだから、日本も侵略行為はしていない、ということになるのだ。
いやいや日本は侵略をしたというのであれば、左派は欧米諸国についても批判し、戦争に加担したことのあるすべての国に反省を求めるべきである。日本のみ「悪」とし、日本にのみに求めるのは、日本への差別だ。

つまり「とある~」の千々石の言っていることが正しい。
「誰が悪いわけではなく、時代の要求がそうさせた」と。

「戦うこと・戦争」について、「とある~」と「獣の奏者」は核心をついている。

が、左派はたぶん、「とある~」は嫌いで、「獣の奏者」は好き・・・なんだろうな・・・けっこう似ている部分、多いのに。

まあ、ただ「とある~」で、特攻(死)を怖がる、迷うキャラが一人も描かれなかったのは、戦争を描く物語としてひっかかるといえば、ひっかかるけど、物語上、それを描く余裕はなかっただろう。
「生き残ることを考えてくれ」というヒロインのセリフが、それに代わる。

もし、端役兵士でもいいから、その場面(特攻を躊躇する、迷う、怖がる)が描かれていれば、戦争ものドラマとして左派も納得100点満点だったかもしれない。

逆にそれがないと、「戦争美化、特攻隊美化」と突き上げられる。


ジブリの『風立ちぬ』の主人公ほうが、「とある」の千々石よりも酷い男だと思う点について^^;

よくよく考えたら、ジブリ風立ちぬ」の主人公って、妻になったヒロインの死に目に会ってないのでは? 
あの終わり方はそうだよな。

しかも、ヒロインがサナトリウムに帰った後、会いに行ってないのでは? ヒロインは「自分が病気でやつれて、ひどい姿になるのを見せたくない」ということで、主人公のもとを去ったのだから。

で、妻を追いかける描写もなく、おそらく主人公は飛行機作りに没頭し、夢に没頭し、ヒロインを放ったらかしだ。

主人公がその後、妻を見舞ったと想像しにくい物語だ。

うわあ、なんてひどい男なんだ・・・夫なのに、死に向かっている病気の妻を放っておく。それがたとえ妻の望みであっても、ちょっとそれはないんじゃない?

「とある」の千々石は、生き残って恋人と暮らすことより、戦うことを選択し、恋人=ユキと距離を置こうとし、会ったら余計に傷つけるとし、出立の前、ユキに会うか会わないか迷い、最終的に「会う」という選択をした。

ちゃんと「迷い」が描かれていた。
自分の死後、恋人が強く生きていけるか、思いやっていた。

しかし、ジブリの「風立ちぬ」の主人公に、そういった迷いの場面は一切、描かれてない。
ヒロインが主人公に黙ってサナトリウムに帰った後、主人公は何を思ったのか、も描かれない。

またヒロインも、自分の死後について、千々石のように残った人たちに思いを寄せる描写はない。ただ「自分のひどい姿を見せたくない。きれいなままの姿を夫である主人公に残したい」と、「自分のこと」しか考えてない。で、黙って姿を消す。

人間度から言って、
千々石>>>>>>>>ジブリ風立ちのヒロイン、でもある。

当然、ヒロイン同志で比べるなら・・・
ユキ>>>>>>>>>ジブリ風立ちぬのヒロイン、だ。

「>」の数、もっと多くていいくらいだ。

話を元に戻す。

ジブリ風立ちぬ主人公の、あのラストを見た限り、
主人公は出て行ったヒロイン・妻を追いかけもせず、会いに行くこともせず、おそらく死に目にも会ってない・・・あの淡々とした感じでは迷いもせず、ヒロイン・妻の望む通りにさせた(=生きている間は会わない)、と受け取られても仕方ない。

本当に呆れるほど、キャラもうすい物語だった。

迷いを描いてこそ、人間ドラマなのに。
そういったところを排除したキャラに全く人間味・魅力を感じない。

男として、人間としてのキャラの魅力
千々石>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジブリの『風立ちぬ』の主人公

「>」の数、もっと増やしたいくらいだ。

ついでに主人公としての魅力
千々石>エリン>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジブリ「風立ちぬ」主人公

エリン以下の「>」の数、もっと増やしたいくらいだ。


○「獣の奏者」について。言っていること正しいけど、引っかかった点。

「生き物の性を歪めてはいけない」・・・動物を家畜として飼い、食料とするのは仕方ないけど、子孫を残せない体にしてしまったことを「やってはいけないこと」とし、主人公エリンは人間の身勝さに罪悪感を抱くのだけど・・・
現実、ペットの犬なり猫なり、避妊させていることについて、どう思うんだろうなあ、とふと思ってしまった。これも「性を歪めている」ことになる。エリンから見たら「悪」だな、と^^;ペット飼って、避妊させている人、「獣の奏者」読んで、この点はどう思ったんだろう?

・・・・・

とまあ、好き勝手に語ってしまったが・・・

ハヤシは結局、何が言いたかったのか・・・それは前の記事でも叫んでいたが、なぜ「とある飛空士への夜想曲」が、「獣の奏者」「永遠のゼロ」「ジブリ風立ちぬ」ほどに、世間の話題にならなかったんじゃ~? ということだ。

また機会があったら叫ばせてもらおう。

⇒続きを読む


とある飛空士への夜想曲」を読み終わり・・・一番、困ったのが、ほかの小説のお話が物足りなくて、つまらなくなってしまったことだ^^;

そもそも種類が違う「まったり系、ほのぼの系、コメディ」と較べるべきでもないし、「それはそれ、これはこれ」で楽しむものだけど、こういった作品の物語性をうすく感じてしまうようになり、とりあえず、ななめ読み・・・続きを読むのも億劫となってしまった。楽しみにしていたはずの小説(「メディアワークス」なのでライトノベルに入るのかな?)だったのに。

なんてこった、大半の作品がおもしろくない、ものたりない、入り込めない・・・

また、同じ種類=戦闘テーマのお話、「土漠の花」(一般の文芸書・小説。ラノベではない)もつまらなく感じ、私の感覚では『とある~夜想曲』の足元にも及ばなかった。

この「土漠の花」・・・そうそうたる人たち(見城徹氏は号泣・・・まあ、見城さんはこの本の出版元だから当然として・・・秋元康氏は絶賛)が褒めているんだけど・・・う~ん、私の感覚がずれているのか?

「土漠~」の場合、仮に「とある~」を読んでなくても、つまらなかった気がする・・・
次々、自衛隊員の方が戦闘で死ぬのだけど、心に残らない。

「とある」の主人公・千々石の死が衝撃的で(覚悟はしていたが)、心に残っただけに・・・この差は何なんだろう、と思ってしまった。
おそらくキャラクターの描き方で、密度の違いが出た感じがする。

見城氏、「土漠」で本当に号泣したのか?

ただし、「とある~夜想曲」も、主人公以外のキャラの死については、私はあまり心に残らなかった。
下巻から登場する主人公の同期2人の死にいたっては、あっけなく思った。
上巻から登場していた主人公の部下2人の死についても、「ああ、部下が死んだか。これでもう主人公の死は決まったか・・・」と、まずは主人公のことが心配になってしまった。

キャラクターがどれくらい描かれているかで、「死」のインパクトも違ってくるのだろう。

というわけで、私の正直な感想。

「とある~夜想曲」>>>>>「土漠の花」


ただ「土獏」は主人公は死んでないからなあ。較べるのは酷かもしれないけど。

主人公、あるいは主要キャラの死、というのは、わりと「心を動かされやすい」し、特に主人公の死は受け手にインパクトを与える。

獣の奏者」(完結編)は特にそうだった。主人公の死は予見できなかったので、インパクトは強かった。レビューにも「ショックだ」という感想が多く見受けられる。

「~夜想曲」「永遠のゼロ」は主人公の死を予見できる。
「助かってほしいなあ」という気持ちがあるので、ショックは受けるが、
獣の奏者」の主人公の死は「えええ? うそ~」という感じで大ショックだった。

うん、「~夜想曲」=「永遠のゼロ」=「獣の奏者」(完結編のほう)
私的に、この3つは並ぶかな。
まあ、僅差で「永遠のゼロ」よりも「夜想曲」が好きだが。
「~夜想曲」と「獣の奏者」(完結編)は完全に並ぶ^^

(ああ、なのに、なんで「夜想曲」は、「永遠のゼロ」「獣の奏者」ほどに話題にならないのだ?)


そうそう、前の方の記事にも書いたけど・・・
小説ではないが、ジブリ映画の「風立ちぬ」について。

ヒロインの死にいたっては、まるで何も感じなかった。主人公も悲しんでいる様子が描かれなかったし・・・あまりに淡々としすぎ。人間味がうすい。全く共感できない、というか、何を共感していいんだか分からないお話。

戦争の悲劇もそれほど描かれていない。

それでいて、戦争の悲劇を主人公は口にする。
飛行機=戦闘機を作ったのは、ただ夢を実現したかった、と、のたまう。それも淡々と。
主人公は、人殺しの戦闘機を作ったつもりはないらしい・・・きれいごとだな・・・

このアニメ・・・もはや「きれいごと」を通り越し・・・よく分からない、一体、何が描きたかったんだろう?

戦争や死、恋愛を扱いながら、これほど、つまらなく、うすくて、心に全く残らない、訴えるものがない、人間が描かれてない、ドラマのない物語はちょっとめずらしいのでは、と。

あえて正直な感想を。同じく「とある~夜想曲」も、戦争、恋愛、死を扱っているが・・・・

とある飛空士への夜想曲」>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジブリの『風立ちぬ

「>」の数、もっと増やしたいくらいだ。


なのに、何度も言うが、なんで「とある~」がもっと話題にならなかったのだ・・・と思ってしまう。もっと一般的に広がってもいいのに・・・
やっぱ「ラノベだから、一般の人が手に取らない」っていうのもあるのかもしれない。

そういえば私も・・・世に出回っているラノベは、よほど話題にならない限り、手に取ることはない。

なので「とある飛空士への~」との出会いも偶然と言えば偶然だった。

中山七里の「追憶の夜想曲」(これはおもしろかった)を検索していたら、たまたま「とある~追憶」「とある~夜想曲」がひっかかった。

けど、そこで、もし【よくあるラノベのイラスト表紙】だったら、私は「とある~」に興味を示さなかっただろう。

(ラノベが小説より下と言っているのではない。感覚が合わず、私が苦手なだけだ。それに漫画的な小説は基本的に好きである。ライトノベルにカテゴライズされない「トッカンシリーズ」「3匹のおっさん」など、けっこうある)

「とある~夜想曲」の表紙が、「よくあるライトノベル風のイラスト表紙」じゃなかったので、目に留まった。



これ、漫画の表紙なら普通だ。けど「ラノベ」では異例だ。

右に至っては「女」がいない。「男のみ」というのはラノベ表紙では稀らしい。(男性読者が対象の場合)
「男のみ」だとしても、メディアワークスの「零能者ミナト」のような「キレイなイケメン」ならともかく・・・、
男臭いオトコが一人で表紙を飾るなど、かなり、めずらしいのではないか。

(ちなみに、私は、キレイなイケメンより、千々石みたいなのが好きだが)

メディアワークスは「脱ラノベ」(というか、今、出まわっているラノベよりも、大人の一般読者をターゲットにしている)を目指しているそうで・・・メディアワークス文庫は「よくあるラノベ表紙ではない本」も多い。主人公も社会人OKだ。

なのでメディアワークスはラノベの中でも異例。小説に近いラノベと捉えている。
だから、私はメディアワークスのほうは、たまにチェックする。

一方、「とある~夜想曲」は「ガガガ文庫」だ。「ガガガ」のほかの作品を見たら「ラノベど真ん中」である。「とある~夜想曲」が異例だ。


話を戻す。「とある~の表紙」について

この男=千々石を見て、ベジータを大人っぽくした感じに見えた^^;
性格もおそらくベジータタイプだろう、と。

で、女の子たちメインのよくあるラノベではなく、少年青年漫画に近い雰囲気を感じたので、興味を持ったのだ。

左の表紙も、パッと見、千々石は20代後半に見えてしまった。いや、これ30代でも通じるのでは。
手前の女性も、いわゆる「女の子」というよりも、「大人の女性」に見えた。

この絵で主人公とヒロインの年齢は、まさか10代ということはないだろう、と、ここでも興味をひいた。大人っぽい物語を期待させた。

だが、「とある~」について調べてみると、「~追憶」を先に読め、という意見が多く、「追憶」を調べた。

「追憶」はその人気から「劇場版アニメ」にもなっていることを知った。
「追憶」のほうが、「夜想曲」より、話題になった、面白い、人気をとった・・・という感触を持ち、「追憶」を選択した。
1巻で終わる、というのも大きかった。

ここで、もし「追憶」がつまらなければ、私は「夜想曲」は読まなかっただろう。

が「追憶」に感動したので、これなら「夜想曲」を読んでみたい、と思い、「夜想曲」を読んでみたら、まあ、なんということでしょう~。「追憶」よりも好きかもしれん、感動した、すばらしい、はまった・・・という結果になった。


「飛空士への追憶・夜想曲」は、よくある「ラノベ風なお話・キャラ・のり」じゃないところが良いのだ。

夜想曲に限っては、
主人公が22歳~23歳。ヒロインも20~22歳。
子どもの時の話はあるものの(主人公14歳、ヒロイン12歳)・・・

で、男キャラが多い。女はヒロイン一人だけ。

これは、10代後半から20代の男性を読者ターゲットにしているラノベではめずらしい。

で、ラノベでは、主人公は10代がのぞましく、20代だとしても大学生まで。社会人不可。ファンタジーであれば、主人公20代はありえない・・・ようだ。

一方、青年(成年)漫画なら、20代前半から後半の主人公は普通にいるし、社会人キャラも多い。
で、女キャラは少なく、男キャラが多い作品は普通にある。(恋愛コメディのぞく)

だが、ラノベでは女の子キャラは多い方がいいらしい。女はヒロイン1人だけというのは異例のようだ。

レビューや感想など見ても、「よくあるラノベは飽きた」「お腹いっぱい」「ハーレム、萌えはいらない」という意見もよく目にする。
なのに、何でラノベって、漫画みたいに広がりがないんだろう・・・みんな似たような印象。

メディアワークスのみ、ラノベと小説の中間をねらっている、今のよくあるラノベから脱しようとしている、ラノベではない漫画風の小説を目指し、読者層を広げようとしているのに・・・なんで、ほかの大手出版社はメディアワークスみたいな挑戦をしないのだろう。
漫画のように広い層に興味を持たせるようにしたほうがいいのでは、と思うのだけど。

いかにも「ラノベ風」というような本を敬遠する人は意外と多い気もする。私もその一人だ。

「とある~」でさえ、「恋歌」と「誓約」は表紙のイラストから「10代くらいの女の子がたくさんいる、よくあるラノベ臭」を感じ、私は「合わないかも・・・」と手を出さないでいる。「追憶」と「夜想曲」がこれほど良かったにも関わらず。

・・・・・・

ところで「夜想曲」を手放しで称賛しているけど、
12歳の時のユキ=ヒロインのほうは「大人な振る舞い」をするのに、20歳の時は、千々石に対し「バカバカバ~カ」と子どもっぽいセリフを口にするのに違和感もった。

このヒロインの子どもっぽいセリフは、「ラノベ風の女子にしないといけなかったから」なのかしら?
「バカバカバ~カ」と口にする20歳・・・無邪気というのとは、また違う気がする。

20歳のヒロインの「バカバカバーカ」と「バカ」が何度も繰り返される子どもっぽいセリフはひっかかった。(ま、高校生くらいまでだよね・・・)

「ラノベ」というジャンルが、そうさせてしまった(そうせざるをえなかった)気がするのは、うがった見方かしら。
もし「ラノベ」という縛りから、そうなってしまったんだとしたら、残念に思った。

作者の犬村小六さんのライトノベル第一作「レヴィアタンの恋人」のあとがき読んだので、よけいに・・・邪推してしまう^^;(古書店で「あとがき」だけ立ち読みした^^;)

そのあとがきによると・・・
犬村氏がこの『レヴィアタンの恋人』を各出版社に持ち込んだところ、「(今流行の)ラノベらしくない」「萌えがない」=女の子キャラがライトノベル読者好みではない、と多くの編集者らから言われ、原稿を突き返されたらしい。


私は、ライトノベル風の少女たち(幼さを演出したロリータ、失礼な言動のツンデレ、お姉さま、オドオド型で大人しい、無表情の綾波レイ型など)類型キャラに感情移入や共感できることはほとんどなく、物語に入り込めない。

この手の少女は「はるひ」「エヴァンゲリオン」で、もう十分では、と。
いや、この手のキャラは魅力あるから、あちこちで使われるのかもしれないが。

戦闘好きで強気でちょっと自分勝手で誇り高い千々石は、ま、ベジータ型で、これだって少年漫画の世界ではよくいるキャラだけど、この手のキャラは「お腹いっぱい、飽きた」とは、ならないのだ^^;

ま、私がベジータ型が好きなように、「ツンデレ型、綾波レイ型、ロリータ型」キャラが好きな人も多いのだろう。

あ、けど千々石は、ベジータよりは素直だし、お礼も言うし、ベジータよりも大人ですが。

で、「夜想曲」のヒロイン・ユキについても・・・「バカバカバーカ」など一部のセリフは気になったものの、全体的には共感、感情移入できるし、いいキャラクターだと思う。最後の方はやはり切ないしね。

・・・・・・

「とある~追憶、夜想曲」・・・「ラノベ」だからこその設定だな、と思ったところについて。

空母・戦艦が空を飛ぶ・・・つまり、あのような重いものを空に浮かべることができる技術を持っているのに(空母や戦闘機は電力で飛んでいる)

「追憶」では、皇妃候補の姫=ヒロインが馬車にのっていたり・・・(自動車じゃないのか・・・トップクラスの大金持ちが馬車を使っているなら、自動車はない? 少なくとも一般的に普及はしてないようだ)、

「夜想曲」では少年・千々石が炭鉱で働いている。(一般社会では石炭を使っているのか・・・ちなみにレコードは蓄音機でまわす・・・エアコンはないようだ)、

水素電池によって戦闘機や空母は空を飛ぶことができるらしいが、地上の一般社会の、ほかの技術は前時代的だ。

こういった世界観について、ひっかかりは覚えたものの、ファンタジー要素の強い架空世界ということで、そういうのもあり、と思うことができる。

ラノベはそれだけ「自由な設定」であっていい、ということだ。

ライトノベルは、一般の小説に較べ、ある程度「ご都合主義が許される」「リアリティが多少なくても許される」「漫画的」な気がする^^
これは「小説>ライトノベル」と言うのではなく、ライトノベルは「より自由に物語を作れる」ジャンルなのだと。

が、実際は小説よりも、そして漫画よりも、縛りが厳しい気がする。

10代~20代読者向けとなっており、読者層は漫画より狭そうだ。

男性向けの場合、女の子キャラは複数。萌えがないとダメ。ツンデレ、お姉さま、綾波レイ型など定型キャラがそろっていることが望ましい。
主人公は10代、どんなに歳くっていても大学生まで。
ファンタジー(SF)と恋愛ものがほとんど。似たり寄ったりという印象。

これが一般の人から「小説>ライトノベル」と思われる一因になっているのでは、と。

小説とライトノベルの境界線上の作品もあるけれど、そういう作品がもっと増えれば面白いだろうに、と。

ライトノベルの中にも『~夜想曲』のような作品があるのだ、ということで、小説とライトノベルの境界線がなくなっていけばいいのに、と・・・。

※ちなみに、ご都合主義はあっていいと思う。矛盾もある程度、仕方ない。

獣の奏者」だって、主人公エリンは当初、王獣に耳栓をして飛ばしていた。だれかが吹いた「音なし笛」を聞いた王獣が硬直してしまわないように、墜落しないように。
なのに、途中から「ハープの音」で王獣を操るようになり・・・「耳栓はどうした?」と思った。

そしてラスト、音なし笛を鳴らし、狂った王獣を硬直させ、墜落させるエリン。王獣もろとも墜落しエリンも死ぬ。「皆を助けるため、王獣を止める最後の手段」として、「音なし笛」を使う。
王獣に耳栓していなかったのか? いつから耳栓なしで飛ばすようになった?・・・ということを忘れてしまうくらいにショックであった。

獣の奏者だって、こういった「ご都合主義」があるのだ。で、おそらく、読み手はこういったことをあまり気にしない・・・のかな?


松浦だるまの「」読んだ。
情景描写に心理描写を絡めるあたり、ほんと上手いなあ、読ませられたなあ、すごいなあ~、ということで、
犬村小六の「とある飛空士への追憶」そして「~夜想曲」と共に楽しませてもらった。(「飛空士への夜想曲」は読んでいる途中)

その「」について。
・・・丙午の醜い女が、醜いがために村の人間から迫害される話、人間扱いされない話。なので復讐し、ある方法によって、醜い顔を捨て、美しい顔を手に入れる・・・自身も醜い自分とさよならしたい、醜い自分は死んだ、ということにしたい。

醜さは悪なのだな・・・

今でも、こういった記事があるくらいだし、http://p.booklog.jp/book/75662/page/1893830
原爆投下も、トルーマン大統領は「日本人は野人、醜い、人間ではない、黄色い獣」と思っていたから、できたんだとか?
「醜い=人間ではない=獣=人間扱いしなくていい=とことんいじめてやれ=迫害してやれ=殺していい」ということで、「」の話は、ホラーファンタジーではあるが、けっこう現実をうつしているお話かもしれない。(美の基準がどこにあるのかはおいておいて)

ま、容姿で人生が左右されることはけっこうあったりする。
容姿は劣等感を刺激することを、皆、わかっている。

容姿のことをからかえば、たいてい傷つけることができる。
直接的に「ブス」「デブ」「チビ」「ハゲ」「小太り」「目が小さい」「顔がデカい」と言うケースと、巧妙に「○○に似ている」と言い、暗に「お前は容姿が悪い」と示す場合もある。こちらのほうが多いかもしれない。

直接的に失礼なことを言う人は、その場限りの人間に多い。
周囲もさすがに引いてしまう。
皆が分かるような失礼なことを口にする人は、皆から敬遠されるので、その場限りの通りすがりの人間以外、お目にかかることはあまりない。

巧妙に、人の容姿を笑い、からかう人・・・「○○に似ている」発言。

つまり「○○」は、容姿の冴えない有名人だったり、あるいは仲間内では知っている容姿の冴えない人だったり・・・要するに「○○に似ている」と言われても、苦笑いするしかない状況にさせるわけだ。もちろん「○○さん」にも悪いけれど、「○○に似ている」と言われて嬉しいはずがないことは、相手も承知しているはずだ。

巧妙な意地悪をしている自覚がなくても、「からかい」「笑いもの」にしていることは自覚しているはず。

けど「○○さんに似ていると言われるのを嫌がると言うことは、○○さんに失礼だ」ということで、「○○さんに似ている」と言うのは意地悪でも何でもないんだよ、ということになる。悪気のないからかい、となる。

けど、本当は悪気があったりして・・・こういう場面に遭遇すると、なんだかイヤなものを感じ、そういうことを口にする人からは離れるようにしている^^;

そう、容姿が劣っていることは重々承知。人前でも控えめに、できるだけ表に出ないようにしているのだから、許してほしいものだ^^;

「本当のブスには容姿のことでからかったりしない」などと言う人もいるが、あきらかにマイナスを示す容姿のからかいをするのは、笑いものにしよう、という意図を感じてしまうので、少なくとも好意は持っていないのだな、と思う。
嫌われてもかまわない=どうでもいい人、という扱いを受けるのは、やっぱり気分は良くない。笑いものにせず、いっそのこと無視してくれ、と。

容姿コンプレックスは、よほどの美人イケメンでない限り、誰でも持っているだろう。

巧妙にマイナス表現を仕掛けるのは、意外と「ご自分もコンプレックス持っているよね?」という人だ。だから、悪意を感じる。その人自身、同じことをされたら嫌なことを承知してやっている気がする。悪気なくやっているのではなく、悪気があってやっている・・・ように見えてしまう^^;
おそらく、同じようにやり返したら、空気は相当悪くなる気がする。

ま、不愉快な気分にならないためには、逃げることができるなら逃げるが勝ち^^;

今は「花粉症です」ということで帽子かぶってマスク姿で顔を隠しても不振がられない良い時代?になった^^;・・・いや、私のようなひとにはね。


さてさてさて、この「」であるが、星海社から出ている。

で、その星海社には、ちょっとまえに話題にしたあの『コルク』へ移った編集者がいた、とか、そこの副社長が講談社編集者、とか、講談社が出資している、とか、
なんだか、いろいろ話題を見つけたのでネタにする。

まず星海社の小説で新人賞をとった作品の盗作疑惑について、いろんな記事があった。

盗作された方の・・・いや、盗作というほどのものではないが、たくさんの類似点があると訴える作家さんの言い分はこのようだ。
http://togetter.com/li/599860?page=1

対して、真似したとする作品に賞を取らせ、その担当となった編集者の反応
http://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa010/01/01.html
(この編集者の方が講談社出身、というか、今でも講談社とつながりあるのだろうな)

ま、私は読んでないし、ほかの人の意見も様々「盗作だ」という人もいれば、「オチも違うし盗作ではない」「騒ぐほどのことではない」という意見の人もいる。

それよりも、この星海社の新人賞に送られた作品について、編集者らが座談会と称し、けっこうキツイことを言っている様子を公にしていることに、ちょっとびっくりした。

いや、真面目に講評しているところもあるんだけど、このほかにも何回かある「座談会」をいろいろのぞいてみると、投稿者に対し「失礼なこと」を言い、それを公にしている箇所を見た時、もしかして投稿者をバカにしている?、と思ってしまった。

クソ原稿、クズ原稿を送ってくるな、と公にモンクを言うのであれば、募集やめればいいのに^^;ま、読むの辛いのは分かるけど。
募集やめれば、クソ原稿やクズ原稿は送られないのだから。

いやあ、私もそうだけど、自分の作ったものは「クズかどうか」「クソかどうか」判断できないのだ。クズ、クソだと思えば、最初から送ったりしない。

「お前は、自分の作ったものが、プロの作品と並べられると思っているのか? 頭おかしいんじゃないのか」と言われそうだが・・・うん、頭、おかしいかもしれない。おかしいから、描けるのかも^^;
クソだと思っていたら、最初から描かないもの。

漫画だと、最初の2,3ページ見て、つまらん、と思ったら、編集者は読まないで、パラパラ~とめくり、目を引くところがあれば、そこで止まるが、そうでなければ、そこでおしまい。1分もかからん。小説の場合はどうなのだろう?
ま、辛いと思うってことは、「クソ原稿」でもいちおう最後まで読んでいる、ということかもしれない。だとしたら、それは偉い、と思うけど。

いや、このキツイ座談会、わざと「キツさ」を売りに、話題になることを目的としているのかもしれない。
インパクトはある。これで星海社という出版社は印象に残る。少なくと私は、星海社がどんな本を出しているのか、興味も持った。

この座談会といい、盗作疑惑問題といい、話題にはなる。宣伝の一環として行っているのかもしれない。

私も「プライオリティ」宣伝のために、エロネタを持って来たり、どギツイことを言ったり、ネタにしたり、インパクトを考える。えげつないこと考えているもんな。このブログも、その一環。だから、きっと不愉快になった人、ウザいと思った人はいるだろう。

※ちなみに「プライオリティ」はこちら
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062
「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/

それでも・・・私のような人間は、きっと編集者から見たら、頭悪く思われているんだろうな。
とくに大手出版社の正社員として入る編集者は高学歴だし。講談社あたりだと、東大出がゴロゴロいそうだ。
よってプライドも高そうだ。

・・・そういえば、漫画家も含め作家、その志望者って、人間扱いされない場合もあるのかもなあ、と。

こういう漫画を見つけた。
連載が決まっていて、いろいろ作業を進めていたのに、急に「なし」になってしまったお話。契約書をかわしているわけでもなく、口約束だから、そのようなケースになることもあるのだろう。おそらく実話だ。本人が経験したのか、あるいはほかの漫画家の体験なのかは分からないけれど・・・
http://ent.smt.docomo.ne.jp/article/17479
※この漫画家さん、講談社のモーニングで活動しているようだ。

契約書なしで口約束で仕事が進む・・・一般の社会では考えられない。それだけ軽く見られている、ということなのかもな。(このことは前にも話題にした)

口約束だから、いつでも反故にできる。

作家や漫画家は先生と呼ばれるが、実は人間扱いされていない、のかもしれない^^。いや、売れっ子は「先生」だろうけれど。

人間扱いしてないのを隠すために「先生」と呼んでいるのかも^^;

先生じゃなくていいです、そのかわり、人間扱いしてください、と思ってしまった。

そう言えば、前回話題にした「境界のないセカイ」を、クレームがくるかもしれないからといって突然、打ち切りにしたのも講談社だっけ。

ま、講談社関連ネタということで。(悪口じゃなく、たまたま、こういったネタを講談社つながりで見つけてしまった、ということじゃ)
松浦だるまさんも、講談社で漫画連載されているし・・・

・・・・・・・・・
余談。

大手出版社の編集者の給料の高さ・・・コストかかりすぎという意見も聞く。海外では、編集者は、本当に『編集の仕事』しかしないので、給料は低め、つまりコストがかからないという。日本は「作品を作る時」にかなり編集者が関わる。とくに漫画は。

漫画家にとって、どっちがいいんだろう・・・
編集者は作品の内容には関わらず(問題表現については口出しをするだろうけど)、好きなように描かせ、その代わり人気がなかったら打ち切り、すべて漫画家の自己責任となるか、
あるいは編集者が人気が取れるようにと口出しをし、作品の内容に関わり、おかげで人気が取れればいいけど、取れなかった場合、打ち切りになるのがいいのか・・・

編集者が作家の面倒見過ぎるから、その分、給料が高いのだ、と。
面倒見てもらいたい作家、反対に、好きに書かせてほしい(描かせてほしい)作家、いろいろいるのだろうな。

⇒続きを読む

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近所の
あっと言う間に、が8分咲き。満開まですぐ、となりました。

ということで、
日本文化と風習をテーマにしたハートフル・コメディ短編集「パラレル・プライオリティ日本編」では、9編目「お花見尽くしの休日」をアップしました。

「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/9/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5100379

静也と理沙のづくしの素敵な休日。サクラの由来、桜餅桜茶桜御飯桜湯などなど、桜に因んだ雑学も満載。ほっこり小さな幸せ話。

お話には、桜餅はもちろん、みたらし団子、お稲荷さん、太巻き、天丼、炊き込みご飯などなど、食べ物もでてくるのですが、書いている時、そういったものが食べたくなり、非常に困りました。
書いている(描いている)時だけではなく、そういったシーンを小説や漫画で読んだり、テレビや映画で見たりしても、食べたくなりますよねえ^^;

天丼は、「てんや」に行って食べた(物語上にも「天や」として出てくる・・・^^;)
桜餅も。今もまだ家にあるで。
おいなりさんは・・・なんと、うちの近くにあった『小僧寿し』が閉店してしまい、気軽にお寿司を買えるところがなくなり、仕方ないので、家で作った^^;
揚げを、醤油と砂糖で煮て、中身のご飯は「寿司太郎」を利用し、混ぜご飯。ちょいと寂しいので、甘辛く煮たシイタケ入れて、ゴマもふりかけ、それを揚げで包んで、お腹いっぱい食べましたとも。

ちなみにコンビニなどで売っているのは、あまり好きではない。やっぱり専門店のがいいよなあ。
作者の好みは、そのまま物語上にも表れてしまう^^・・・理沙と静也夫婦はおにぎりはともかく、コンビニ弁当には手を出さないだろう^^;

こういった「幸せ物語」にはお料理、食べ物シーンが欠かせませんっ。
静也と理沙にも旨いものを食べさせてあげたい、と作者ながらに思ってしまう。

って、静也と理沙は実在しない自分の頭の中で作りあげたキャラだが・・・。
物語を創作している人は分かってくれるよね。自分が作ったキャラを実在する人物のように思ってしまうことがあるってことを。

んで、できれば幸せになってもらいたい、と。

しかし、おそらく一般の人から見たら、そういう行為を「気持ち悪い」「オタク」と思うのだろうな・・・いや、でも「オタク」も、わりと認められつつある時代となったのだし、はまらなければ、一次にしろ二次にしろ創作活動はできないよね・・・^^;

ま、静也と理沙は、あまり極端な性格にせず、実際にいるかもしれないキャラクターづくりにしてあるし。

なので、『キャラが立ってない』かもしれないが・・・私は、歳のせいか、あまり極端なキャラには、はまれなくなってしまった・・・こんなヤツ、いるわけない、と白けてしまうのだ。


実は、極端な「ツンデレ」は苦手だ・・・なんだか「ただの粗暴な人」「失礼なヤツ」にしか見えず、現実にいたら、どんなに美人で可愛くても、どんなにイケメンでも、引いてしまう^^;
ま、漫画やラノベに出てくる強烈な「ツンデレ」は、現実にはいない。そんなことしたら人間関係破たんする、というか、結べない。
クロノトリガーのルッカあたりまでが、私にとってちょうどいい「ツンデレ」だ^^;

キャラを立てるって、難しいよな、と思いつつも、結局、作り手がはまれるかどうか、なんだよなあ。
(テレビドラマ『デート』もはまれなかった。けど周囲はキャラが立っている、おもしろい、と評判だから、私の感性が、世間と離れてしまっているのかもしれない)

「パラレル~」は自分が思う「こんな夫婦、カップル、いたらいいよなあ」「こんな生き方もいいかもなあ」というのを描いていきます。

理想は、静也と理沙夫婦みたいな「たまに風情を楽しむ暮らし」ができたらと思うものの、実際は「面倒だし、ま、いいか」となりがちだ^^;
けど、健康的な食事というのは自分も実践しているそ。(作者の理想=憧れと現実=経験って、物語に反映されるものかもしれない)

夫婦でもカップルでも友達でも、完成がある程度一致し、そういったことが一緒に楽しめるパートナーがいたらいいよね、ということで。

⇒続きを読む

ハヤシ

Author:ハヤシ
2003年から8年間、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)のサイトで、マンガ「ショパン物語」を連載してました。

商業誌でマンガ連載経験あり。

主な作品 
「音吉君のピアノ物語」(小学館・少年サンデー) 
「ご令嬢金崎麗子」(集英社・スーパージャンプ) 
「スカイプレイ」(秋田書店・ヤングチャンピオン)
ほか読み切り多数。

ちなみに「音吉君のピアノ物語」(全6巻)が欲しい方はこちらへどうぞ↓
小学館コミックス「音吉君のピアノ物語」オンデマンドのページ

書き下ろしピアノ漫画「ピアニスト」(彩図社)は現在、中古本としてアマゾンなどで流通。

このブログでは、ピアノ、ショパンネタ、マンガ・物語創作、作品感想、社会ネタ考察記事を書いてます。
RPG「クロノトリガー」に、はまったので、「クロノ関連ネタ」もあります。

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○ハヤシの過去のHP(凍結)

クロノ曲ピアノアレンジ、イラスト、二次創作物語、クロノ関連雑記などを保管したHP↓
「クロノトリガーとドラゴンクエスト」

マンガやピアノなどについての過去の雑記があるHP↓
「マンガとピアノの道」

ハヤシのピアノ演奏録音↓
「クロノ曲」ピアノアレンジ
「ショパン」の曲


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