ハヤシのブログ

物語創作、ピアノ・ショパン、漫画、クロノトリガー、社会問題などについて語ります。

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今日は「サマーウォーズ」と「おおかみこどもの雪と雨」について、語ってみる。

そう、昨日「サマーウォーズ」、テレビ放映していたっけ。
初めて観た時は「面白かった。絵もキレイ。田舎もたまにはいいよね」とお気楽な感想を持っていた。

が、今の感想はちょっと違ってきている。
で、以下の記事を読んで、「ああ、たしかに、そうだよな」と思ったりする。

・・・・・・・・・
サマーウォーズ」をつくった細田守はずるい
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20150703/E1435852914189.htmlより一部、編集転載。

この映画を見るたびに苛立つシーンがある。
スーパーコンピューターを冷却していた氷を、おばあちゃんを冷やしたいと警官の男が移動させたことで、作戦が台無しになる場面だ。
人情がやらかした行動だ。だが「外側」の人間として見ている視聴者からしたら、全く笑えない。
なぜ、一言相談がないのか。
子どもたちが操作を邪魔したことで、キングカズマがラブマシーンにKOされたシーンも、我慢できない。

陣内家の家風は、男は戦え、女は家を守れ、という思想がとても強い。
性差による仕事分担がものすごくはっきりしている。
特に、嫁入りした女性たちは、本家に気を使いながら、でかい屋敷の家事全部背負わないといけない。

船の持ち込みや、スーパーコンピューターのシーン。絵的には、これから何が起こるのかとワクワクする場面だ。
しかし家を守る女達がリアルに描かれちゃった分、見ていて気が気ではない。
畳がいくつだめになったことか。フォークリフトをぶつけた渡り廊下の傷に背筋が凍る。
嫁さんたちの胃は、クライシスだ。

一方、陣内家に密着している側は大変だ。
嫁入りしたショートカットの奥さんは、一切台所から出してもらえていない。

「次男坊って本当に役に立たないわね」「なんでこんな時によそんちの心配までしなきゃなんないわけ?」
独特のルールが流れる、殻に閉ざされた「陣内家」という小さな世界。
突然やってきた健二にオヤジが「ヤったか」と聞いてくる。
人間関係が、濃すぎるのだ。

コミュニケーション過多によるストレスは、『サマーウォーズ』の原点になっている『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』でも描かれている。
電子世界のピンチだというのに、島根の田舎のばあちゃん連中が焦りをわかってくれない。好意がじゃまになってしまうシーンが、幾度も入る。
深すぎる人間関係の鬱陶しさが、戦う子どもたちをいらだたせる。

サマーウォーズ』で、細田守はあえてこのような「濃すぎる関係」の面倒臭さを全部隠さなかった。
息の詰まりそうな人間関係の濃度をひっくるめて、「家族」として表現した。
「美味しいものを食べて手を取り合えばなんとかなる」という「理想=おばあちゃんの思想」で、まとめあげる。

細田守はインタビューの中で、家族について「面倒くさい」「契約にしばられる」と考えていたことを明かしている。
しかし結婚した時に、「それまで会った事もない人と次の瞬間には家族になる、ということが、とても不思議で面白かった」と述べている。
彼の考える、「コミュニケーションの理想形」と、現実と照らしあわせた時に咬み合わないいびつさは、『おおかみこどもの雨と雪』でさらに深化していく。

・・・・・・・・・
転載終わり。

記事の中では、大家族の嫁さんのツイート集も紹介されていた。
http://togetter.com/li/342972

現実はやっぱり大家族は大変。
うまく、まわしていくには、誰かが『犠牲』になるのかも。昔であれば「お嫁さん」だ。そして、おそらく今も・・・

大家族はたぶん・・・精神的にかなりキツイ、厳しいところもある。
賑やかで楽しいところもあるのだろうけど、イライラ、ストレスも相当たまりそう・・・。

そして、一番、上記で紹介した記事の中の「印象に残ったところ」
転載。
・・・・・・・・・

笑顔の葬式の向こう側で、「愛情」の名を持つラブマシーンだけは、誰にも救われなかった。
細田守は自分の思う「理想像」を美しく描ける作家だ。
そして、理想の輪に入れないヤツも、必ずいるのだ。

・・・・・・・・・
転載終わり。

理想の輪の中に入れない人、けっこういると思う。私もその一人。
だけど・・・理想の輪の中に入れる人・・・おそろしく自由が制限されるだろう大家族でやっていける人って、どのくらいいるんだろうか?

ほんとうに大家族が皆が憧れとする「良いもの」であれば、これほど核家族化、そして少子化は進まなかっただろう。プラス面、マイナス面がそれぞれあるだろうが、たぶん「マイナス面」が大きいから、少なくなったのだろう。

ダンナさんだって、お嫁さんの家族、親せきとのつきあいに疲れるだろう。
けど、お嫁さんはもっとだろう。
大家族はストレスが相当にかかり、そこに幸福感はあまり見いだせない気がする。

大家族になり、人間の数が増えれば、それだけ問題が起きる数も多くなる
夫婦2人でさえ、一緒に仲良く生活していくのが難しい場合もあるのに、そこに舅や姑、小姑や親せき一同が加わったら、あちこちで軋轢が生まれるだろうな。

集団になれば、いじめ、も起きる。
これが村になれば、村八分・・・集団は怖い。

まずは夫婦関係。この関係がうまく築けてから、次のステップ。「子ども」だろう。
けど、産後クライシスという言葉がある通り、「子ども」ができると、ガラッと夫婦関係が変わる場合もあり・・・
そして、イクメンという言葉が出てきた今でも、子どもの責任は、主に母親に重くのしかかってくる。

なので、前のブログ記事で話題にしたが・・・「女性の半数が子どもを欲しがらないアンケート結果」が出てしまったのだろう。
いちがいに「女性のわがまま」とは片づけられない気もする。

そこに舅姑、親せきがのしかかれば・・・助けてもらえることもあるかもしれないが、かなり人間関係が大変そうだ。よほど人間関係を結ぶのに長けた人でなければ、ストレスだらけの生活になりそう・・・

サマーウォーズ」は、大家族のストレスを知っている人から見たら、あまり「はまれない物語」だったようだ。

さて、次の細田監督の作品「おおかみこどもの雨と雪」について。
これは、私も最初からあまり楽しめなかった。

主人公の『花』の描かれ方が、あまりに過酷と言うか・・・あれだけ働きに働き、最後は、子供が巣立ち、独りになる。
それが世間でいう「正しい子育て」「(男性が)求める母親像」なのだろうか。

う~ん、母親業ってなんて過酷なんだ、と思ってしまう。

これは賛否両論、分かれると思うし、感じ方は人それぞれだけど、私は『花が幸せそうに見えなかった』のだ。
人間、あそこまで聖人になれるだろうか? なので主人公『花』にも余り共感できず、感情移入もできなかった。よって感動もできなかった。

あれこそ「理想の母親だ」とするなら、ま、花のような「強い生き方」ができる女性はごくわずかだと思う。今の時代ならゼロかもしれない。

よく見かけるイラスト・・・「花があの細い腕で、片手ずつ子どもたち(3、4歳くらいに見える)を抱いている姿」にも違和感もった。両手で一人の子ども(2歳~4歳)をダッコするにも、筋力のない女性にとっては大変だ。

人間あそこまで強くないと、無償の愛を注げる人格者でないと、子どもを持ってはいけないのかもしれないが・・・普通の女性には無理なのでは、と。

というわけで、この記事を紹介。
・・・・・・・・・・・
「おおかみこどもの雨と雪」の花は果して理想の母親なのか
http://www.excite.co.jp/News/reviewmov/20131220/E1387476308916.htmlより一部、編集転載。

この作品が描いているのは、無償の母の愛と、頑張りと、子供の成長だ。
花はとにかく頑張る。ただでさえ子育ては大変なのに、「おおかみこども」という秘密のために誰にも頼れない。子供も思うようには育ってくれない。それでも花は惜しみなく子供たちに愛情をそそぎ、子供のことを一番に考える。花のことを「理想の母親」という人も多い。
だけど、私はちょっと怖くなった。お母さんって、こんなに頑張らなきゃいけないの? 愚痴ったりとか、ヒステリックになっちゃいけないの? こんなに無条件に子供のことを愛せるの?

特に仲の良い友達もいない。バイト先のクリーニング店の人たちはよくしてくれるが、花はどこか心を許していないような印象を受ける。

花が自然にふるまえるのは、おおかみおとこに対してだけ。自分より深い孤独を背負ったおおかみおとこに、花は夢中になる。
「母」になる前の花は、とても寂しい人だ。

序盤に描かれる学校のシーンで、花はいつも一人きりだ。
花が子供に限りない愛を注げるのは、寂しい人だったから。一度は喪った家族。また手に入れたのに、夫は死んでしまった。でも、まだ子供がいる。今度こそ家族を喪いたくない。絶対に守ってみせる……。

盲目的なふるまいは、母親のロールモデルがないことも大きい。花の周囲には、父親のロールモデルはいても、「母親としてどうふるまうべきか」を示してくれる人がいない。花が参考にするのは本。育児の本を片っ端から読み、熱心にメモする。花は母としてのふるまいを「知って」はおらず、「勉強」している。

監督は公式インタビューでこう答えている。
「自分の身近で子供が出来た夫婦が増えてきたときに、親になった彼ら、特に母親がやたらカッコよく、輝いて見えて、子育ての話を映画に出来ないかなと思ったんです。自分が体験してみたい憧れを映画にしたという感じです」
「それまで『母』というと、ちょっと縁遠い印象があったのが、自分の知り合いということもあって、自分たちの目線の中で、子供を育てるという責任を背負う姿が素敵に見えたんだと思います」

不思議な感じがする。どこか他人行儀なのだ。結婚したら自分も親戚の一員になるし、子供だってできて妻が「母」になるかもしれない。でも、細田監督の視線は外部からの「羨ましい」「憧れ」に留まっている。その中に加わりたい、加わろうという目線ではない。

細田監督は、親戚の絆も、母子の愛情も、実感として持っているわけではない。周りで出会い、「そういうものなのか」と学び、作品にしている。その姿は、がむしゃらに子供二人を愛する花と似ている。

『時をかける少女』も、『サマーウォーズ』も、『おおかみこども』も、コミュニケーションや絆を描いているはずなのに、どこか歪な印象が残る。それは、細田監督が憧れを抱き、理想だと思うものが、私にとって完璧すぎるからだ。

・・・・・・・・・・・・
転載終わり。

そこで、ほかの人のこんな感想を目にした。

転載【それにしても、『雨』(息子)が山に帰った後、村の人にどんな言い訳をしたんでしょうか】

ああ、たしかに・・・
花は、助けてくれる村人らにも、自分の子どもの本当の姿=秘密を明かしていない。
つまり、本当に村人たちと『信頼関係』を築いていないのだ。
そして、子どもたちが巣立ち、花は村に独り「取り残される」・・・たぶん、ずっと村で暮らすのだろう。
ものすごい孤独だ。あそこまで子どもに尽くし、そして独り取り残されたら、『空の巣症候群』になりそうだ。

花はなんだかずっと「寂しい人」のように思った。家族の縁にうすい人。よって、幸せそうに見えない。

「いや、花は崇高な人生を歩んだのだ。それだけで満足なはずだ」と受け取る人もいたかもしれないが。

花は本当に立派で偉い、理想的な母親だ。大変な子育て、家族を食べさせていく重労働を一人でやり、笑顔を絶やさず、決して、子どもに当たったりしない。そして、納得して、子どもを送り出す。子どもに見返りを求めない。そういう生き方に満足をし、喜びを見出せる人格者。聖人のような生き方だ。

けど、じゃあ、花のように生きたいか? となると、答えはNOだ。
おそらくNOと答える女性はたくさんいるだろう。

男性でなければ、ああいう話は描けないだろうな、とも思った。

※「花」は、男性に都合のよい女性像にしか見えなかった。おまけに花の外見はずっと「少女っぽい」・・・あれだけの苦労をしているのに、ずっと若いままだ。畑仕事をすれば紫外線を浴び、シワも増える。人よりもずっと「老ける」のに、そういった描写はされない。

世間は、母親に「フルタイムで働く仕事との両立」も求め出した。病児保育どころか、普通の保育園もまだまだ足りないし、仕事との両立は相当きつそうだ。いつもいつも時間に追われ、精神的にもイライラしてしまうだろう。けど、イライラを子どもにぶつけてはいけない・・・愛情いっぱいに育てなければならないのだ。夫も仕事で忙しい。
でも、「花」のような女性ならできるのだろうな。
けど、ほとんどの女性にはおそらく無理なことだと思う。

なので、あの映画で違和感を持った女性はけっこう多かったりして。
素直に感動したのは男性が多い?
それとも、子育ての大変さを味わっているママさんの多くも感動したのかしら?
ファンタジーなので、そんなの気にならなかった人も多いかもしれないが・・・

このアニメ映画に違和感をもった女性に、「わがまま、母性がない、人間として冷たい、女としてどうかと思う、女性の権利ばかりふりかざしたがるサヨク」と思う男性がたくさんいるとしたら、やはり、結婚子育ては、お互いにいばらの道になりそうな気がした^^;
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、「子どもをほしくない女性が半数もいるのか」と意外に思った記事を紹介。(けど、考えてみれば、そうかもしれないな、と思った)

・・・・・・・・
「子持ちママが幸せそうに見えない」 アラサー女性の半数が「将来子供は欲しくない」と回答
http://wotopi.jp/archives/16648より転載

【アンケート】将来、子供は欲しい?

※サンプル数:1,652人(3月5日現在)
※ウートピ世論調査結果より(投票結果はコチラ)

<アンケート結果>
「欲しい」・・・・・・・・50%  (833件)
「欲しくない」・・・・・・50% (819件)


○「欲しくない」と回答した人の意見は?

・一人の時間のほうが大切!
・ずばり…めんどくさそうだから
・子供は好きだけど、産んで育てることに興味はない
・犬の世話で充分に幸せ。子供を産んで育てて、何がどう幸せなのか…?
・子どもに、自分の人生左右されたくない。身勝手と言われるかもしれないけど、1回しかない人生、好きに選択させて欲しい


○「そもそも子供を産み育てることへの興味がない」「子供に人生を左右されたくない」という女性が想像以上に多いことが分かりました。一方、「育てる自信がない」という意見も。

・今の収入でどうやって子供に惨めな思いをさせずに育ててあげられるのか、誰か教えて…
・子どもがきっかけで一生の苦労を背負うこともあるから、今は子どもを持つのが怖いです
・自分に余裕のないなかで子供が出来ても、可愛がれる自信がない
・この先、義両親の介護と自分の老後もあるのにぜんぶは無理!


 まだまだ自分のことで精一杯という女性は多いようです。


○“子持ち女性”に幸せ像を見出せない、また、子供を欲しくない理由に、自分の周りにいる“子持ち女性”を引き合いに出す人も。

・子供欲しい気持ちあるけど、女社会が嫌いだからPTAとかママ友とか学校行事とかに関わりたくない
・最近身近にいる子持ちの母親に変な人が多く、あの中に入らないといけないと思うとゾッとする
・子ども産んで、老けて、旦那とも仲悪い人が多いし、子持ちにいいイメージがない
・「大変だけど子供っていいよ」とかいう人って、本当は後悔してたり、子ナシが羨ましかったり、旦那とうまくいってなかったりして、今の自分に満足してない気がする

人の幸せは他人からは計り知れませんが、身近に「うらやましい」と思える先輩ママがいないことも、要因の1つのようです。


○“生物としての役割”は押し付けでしかないとして、こんな怒りの声も。

・「子供を産む」という話になると、なぜ生物としての役割だとか“アニマル全開”な理由が出てくるのだろうか
・「女は子供を産むのが義務」「病気で産めない体でもないのに子供産まないのはワガママ」みたいに見られるから余計に嫌になる!
・今のように圧力かけて仕方なく産ませておいて、いざ産んで愛せない親に対して「自分で欲しくて産んだくせに愛せないなんておかしい」と手の平返す状況は絶対におかしい


○「子供を産むことは“生物としての役割”である」という世の中の決め付けに対して、違和感を訴える声にはたくさんの共感が集まりました。

・産むのも産まないのも、個人の生き方として尊重されていいと思う
・子どもがいて幸せという人もいるだろうし、違う人もいると思う。生物としての役割とかいう主張は押し付けでしかない。私はまだ子どもを育て上げる覚悟も心の余裕もないと思うので、今は考えられない。

多様な生き方が認められつつある現在。「将来、子供は欲しい?」という1つの質問から、これから子供を産むことを考える女性たちが日々感じている将来への不安や不満が、心の声となって垣間見えた気がします。

・・・・・・・
転載終わり。

ちょっと前なら「子どもは幸せの象徴」というイメージだったが、時代は変わったな。

やっぱり子育てママに『余裕がなさそう』『大変そう』『辛そう』というイメージもあり、『発達障害』のことも世に知られるようになり、いじめ、不登校、引きこもり、ニート、犯罪、就職できるのか、などなど、そういう問題に対応する自信がないことも、大きな原因だと思う。自分たちが子どもの頃と、社会状況が全く違うので、指導するにもどうしたらいいのか分からない。

「昔とは社会状況が違うし、時代はどんどん変わっていくのだから、昔を生きてきた親のアドバイス、指導など役に立たない」という話もよく聞く。ごもっとも。

子育てに向く性格ってあるのかも。
ポジティブに物事を捉えることができ、不安を笑い飛ばせる人が、育児に向いているのかも。そして、その親の性質は子にも引き継がれる率が高いだろうから、子どもも明るくポジティブな性格となり、グローバル化した厳しい社会でなんとかやっていけるのかもしれない。

それに、昔は「老後の親の面倒は子どもがみるもの」ということで、親も子どもに期待をしていた部分もあっただろう。

もちろん、『無償の愛』で子どもを育てている、子どもには何の期待もしていない、という人もいるだろうけれど・・・無償の愛を貫ける強い人間=聖人ばかりではないとも思った。
いや、無償の愛は高潔で素晴らしいけれど。

でも、ニュースで度々耳にする「振り込め詐欺」
これだけ話題になって、「気をつけろ」とテレビでも注意が呼びかけられているにも関わらず・・・未だに「詐欺」に引っかかる老人がこれだけいるということは、いかに子どもとあまりコミュニケーションをとっていないか、子どもとの関わりがうすいか、距離が離れているか、だよな。あるいは、多少「認知症」になっているのかも? ならば、なおさら子どもは気をつけてあげるべきだろうに。
子どもが自立し、育児は大成功だ。でも「振り込め詐欺」に、なんだか寂しい現実を見た気がした。頻繁にコミュニケーションとっていれば、こういったことは防げるだろうに。

またこんな記事もあった。
・・・・・・・

妊娠中に子どもが障害児だとわかったら? 6割以上が「産まない」と回答
http://wotopi.jp/archives/22732より転載

※サンプル数:1,200人(6月26日現在)

<アンケート結果>
「産む」・・・・・34%
「産まない」・・・・・66%

○「産まない」と回答した人の意見は?

・はじめから障害者だと分かって人を産んで、社会でお金だして育てるの? みんなのだいじなお金じゃん。そういう子が出来ないようにする事に力やお金を使って!!早く分かるようにすれば堕ろす時に母体のリスクが少ないから早めに検査出来るようにしてあげて!
・自分が死んだ後の事を悲観し、心中をはかる親もいる。子どものせいでも親のせいでもなく、日本が障がい者を受け入れる制度が、まだまだ整っていないから
・独身の頃は「どんな子でも自分の子は可愛いはず」と思っていたが、結婚出産を経て「子育てはキレイゴトじゃない」と実感したから

新型出生前診断を実施している病院グループの発表によると、出生前診断で胎児に異常の可能性がある陽性と判定された人のうち、人工妊娠中絶を選択したのは76%にのぼったそうです。

・・・・・・・・
転載終わり。

この中の【はじめから障害者だと分かって人を産んで、社会でお金だして育てるの? みんなのだいじなお金じゃん。そういう子が出来ないようにする事に力やお金を使って!】という意見。おそらく左派は反対しそうだな^^; 「障害者差別」と問題にしそうだけど、現実的に「税金を使って支援しなければならない」のだし、今だって支援は不十分、発達障害にも支援してほしい、となれば、莫大なお金がいる。ならば、今いる障害者を手厚く支援し、そのかわり、数を増やさない、という考えも大事では、と思う。

こういうと「冷血人間」と悪しざまに言う人もいるだろうけど、世の中『理想ときれいごと』では、まわっていかない。

まさに今の、右派(現実思考)VS左派(理想思考)と同じ構図。

戦争を回避するのに、右派は、民主主義という価値観を共にする国々と協力関係を築く。核武装。国防軍を持って相手をけん制することこそ、平和が保たれると考える。
左派は、軍縮、軍隊を持たないことこそ、平和が保たれる。核武装などとんでもない。核廃絶を訴え、憲法9条・軍縮を世界に広めることこそ、日本の役割。それが平和を実現できるやり方だと考える。

左派の考えは「正しい」が、まるで現実味がなく、きれいごと。

出産育児に関しても、左派的な理想思考の女性であれば、「家族愛」を信じ、子どもを持って育てることこそ幸せと信じ、育児を生きがいにできるのかもしれない。
右派的現実思考の女性は、そうではないのかも。
いや、出産育児については、右派は保守的で「子どもをもつことを『絶対幸福』と思わない現実思考をする女性を嫌う」だろうけれど。

そう、こんな記事もあった。
・・・・・・・・
http://wotopi.jp/archives/13340より転載。

「子供が欲しくない」女性がいてもいいと思う?

※サンプル数:747人(12月15日現在)

「いいと思う」・・・・・89%
「うーん…」・・・・・・11%

反対派の意見

・生物としての役割では?
・不妊症ならしょうがないけど、妊娠できる体ならワガママだなと思う。
・産みたくないなんて言ってる人は、心の闇がありそうで近づきたくない
・子供がいるほうが幸せだなんて決めつけるなって言っても、実際にいるとホントに幸せだから、つい子供産んだほうがいいよって言っちゃうんです
・社会の構造が子供を産む事を前提にしているんだから言われるのは仕方ないのでは? 法律で明文化されてないとは言えほぼ義務といっても良い
・子供に時間取られたくないとか、自由に生きたいとか、痛い思いしたくないとか、そんな理由だとただのワガママで働きたくないって言ってるニートと同じ
・産みたくないって言っていた友人がギリギリの年齢になってから「やっぱり子供が欲しい」て言い出した。周りは以前から産むなら早いほうがいいとアドバイスしていたのに。不妊治療も大変だったみたい。産みたくないって人は、他人の意見をもっと素直に聞いたほうが良いですよ。

・・・・・・・・・
転載終わり。

反対派の意見に「全体主義」的なものを感じた。

そして未だに、平気で人の考え方や生き方を否定する人がいるんだな、と驚いた。「産みたくない」という女性を「非人間的」としたり、「わがまま」「ニート」と言ってみたり。

まるで悪いことのように否定するその思考・・・
ちょっと昔、オタクを「気持ち悪い」「関わりたくない」と蔑視し、平気で「抹殺しろ」と言っていた世間を思い出す。
さらに昔であれば「非国民」と言っていた戦中を思う。

それでも、反対派は1割しかいない、ということで、9割は「別にいいのでは」と個人の自由を尊重し、多様性を認めているので、ホッとするけれど。
ま、それだけ「自分の生き方、考え方は正しい。それ以外は間違い」という傲慢な人は少ないということか。

けど、右派はきっと「反対派」の意見を支持するかもなあ。そういったところでは、私は右派とは相いれない。どっちかというと左派の意見に立つ。

「女性の人権問題」ということでは、私は今までの左派の役割を評価はしているし、賛同している。昔は、たとえば、女性の職業と言えば、教師か看護師くらいしかなく、『女に学歴は必要ない』という考えが蔓延していたし、年齢差別もあからさまだった。25歳を過ぎれば価値がない、とされていた。
ずっと昔、嫁は奴隷のような扱いで、家族と一緒に食卓を囲むことも許されず、土間で食べさせられたなんていう話も聞いたこともある^^;

左派の活動はそういったことを正してきたことも認めてはいるし、そういうことでは昔は左派を応援してきた・・・が、これが国際問題、外交、歴史観・歴史認識、在日・移民問題になると全く賛同できなくなるのだ。

と、そんなことを思ってしまったのだった。

・・・・・・・・・
余談。

中絶は女性だけのせいではないよね。社会的に成功している男性も、こういったことについては無責任な人がわりといるのか・・・ということで、こんな記事を紹介↓
この田中社長、子どもがいらないのであれば、ちゃんと避妊すればよかったのに。仕事関係においては、注意深く、冷静で慎重、自分の犯したミスについては面倒くさがらずに真摯に謝罪し、反省し、顧客のことを考えるだろうに(じゃなきゃ、成功しないよね)・・・なぜ、こっちのほうは「だらしなく、その場の雰囲気に流され、きちんと対処しなかった」のだろうか? つまり、それだけ軽く見ていた=見下していた、ということなのだな。この社長にとって、この女性は、仕事関係者や顧客以下のどうでもいい存在だったということかもしれない。

男性も、中絶する女性に付き添うべきだろう。
付き添合わず、逃げる男性は、人間としていかがなものか、と思う。自分がしたことの責任は、お金の身で解決しようという人であり、こういう人は、仮に後々結婚したとしても、家族内トラブルが起きた場合、関わろうとはせず逃げるだろうから、女性はよくよく注意したほうがいいかもしれない。


http://girlschannel.net/topics/114683/より転載。
『GREE』の田中良和社長、元交際女性に「産んでも誰も幸せにならない」と堕胎させる →訴えられる

ソーシャルゲーム事業、ソーシャルメディア事業等を主な目的とするグリー株式会社の田中良和社長が、東京都内に住む20代の一般女性(A子さん)から、「やむなく中絶させられた」と3000万円の損害賠償を要求されていることが〈平成26年(ワ)3989号〉、さくらフィナンシャルニュースの取材でわかった。 訴状によると、2人は、2010年9月頃、友人の誕生日パーティーで知り合い、翌年1月から交際を開始したという。転機が訪れたのは、2012年3月。A子さんがそれまで勤務していた会社を退社したのを機に、当時、田中社長が居を構えていた、港区高輪のマンションで半同棲生活をスタートさせたという。

その年の8月、一度A子さんは実家に戻ると伝えたが、「(家に)帰ると原告が待っていてくれるのが嬉しい」と田中社長に引き留められ、新たにA子さんのために借りたという港区高輪のマンションに引っ越すことになる。

田中社長が、避妊せずに、性行為に及んだのは、この直後の10月頃。「自分との交際は結婚を見据えたもの」と思ったA子さんは受け入れてしまい、翌月には妊娠が発覚。

ところが、妊娠の事実を伝えた途端、田中社長の態度は一変したという。11月21日にA子さん宅を訪れた田中社長は、 「産んでも誰も幸せにならない」「(出産は)誰のためにもならない」 と、暗に中絶するよう迫り、帰り際、玄関先に中絶費用と思われる30万円を置いて行ったそうだ。ちなみに、田中社長の住まいは、赤坂のアークヒルズエグゼクティブタワーにある。

その後、田中社長の冷淡な態度は変わらず、連絡すら途絶えるようになったという。

間もなくして、田中社長は個人的な秘書が交渉の代理人として現れ、「話し合うつもりはない」、「認知をするつもりもない」などと伝えられたことから、A子さんはやむなく中絶手術を選択。

交際期間は、1年6ヶ月にわたり、一連の田中社長から受けた精神的・肉体的苦痛ははかりしれないとして、A子さんは、今年2月に提訴するに至った。

・・・・・・・・・
転載終わり。

まずはお知らせ。
梅雨をテーマに短編集「パラレル・プライオリティ日本編」更新。

11編目「梅雨の休日と和菓子」
静也と理沙の素敵な休日。梅雨の由来、和菓子の日とその歴史、6月の薬湯『ドクダミ湯』のことなど雑学満載。ハートフルなほのぼの小さな幸せ話。静也と理沙の学生時代のお話もちょびっと入ります。

11編目はこちら4か所にて。
「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/11/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5410286
「ディノベルズ」http://www.dnovels.net/bodies/detail/77888
「FC2」http://novel.fc2.com/novel.php?mode=tc&nid=198068

「パラレル~」は日本の風習や文化をテーマに、雑学満載でお送りしてます。
若夫婦のほっこりコメディです。

今まで「殺伐とした話題」ばっかりだったけど、物語の世界ぐらいは癒し系で。
※本編「プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n1557cj/は殺伐とした場面もたまにありますが。


では本題。
愛之助さんと熊切りさんの「別れ問題」について♪

いろんな人の意見、聞いていると・・・どうやら私は『男性脳』というか『男性的思考』なんだなと改めて思った。

電話で別れ話、「あり」か「なし」かといえば、とりあえず「あり」。何年付き合おうが、同棲していようが(相手が出て行った段階で「別れ」の意思表示しているよね?)

もち、それは失礼な態度かもしれない。

が、相手は所詮、その程度の人間性、もしくは「その程度にしか思われていなかった」「軽く扱われた」ということで、そこで踏ん切りつけたほうがいいのでは、と。

もし恋愛のゴールが結婚なんだとすれば、そういう相手と結婚せずにすんだ、ということでラッキーと思うしかない。

相手は「会ってする別れ話」も面倒くさかったのだ(ま、話しづらいよね。できれば、すったもんだは避けたいだろうし、フェードアウトして平和的にお別れしたいだろう)、そんな相手と一緒になって、その先、一緒に人生を歩む方が不幸だと思う。

一緒になったところで、何かトラブルが起きた場合、おそらく相手は逃げるだろう。一緒に解決しようなどとは思わない。浮気も不倫もしまくりだろう。
穏やかな家庭生活を築けるとは思えない。


んで、別れるについて。

男性はどちらかというと「完全に縁を切りたくなく、できればお友だちで、もしかしたら復活の可能性も・・・なので別れ話はしたくない」という人が意外と多いようだ。

女性はその反対だという。完全に縁を切りたいと。

ワシはせっかくの縁なんだから、完全に縁を切るのももったいないし、お友だちでいいじゃんか、と思う。(男性的思考のようだ)

もち、ほんとうに嫌な奴で縁を切りたい場合もあるだろうけど、
「嫌いじゃないけど、もっと他に好きな人ができたので、あなたとはお友だちとしておつきあいいただければ嬉しい」「あなたを最優先にする気持ちはないだけで、嫌いじゃないのだ。お友だちとしてならOK」という男性の気持ち、よく分かるし、ワシもそうだ。
嫌いじゃないんだから、お友だちでもいいじゃんか、なぜいかんのだ? と。
もち、相手が「自分が一番じゃないのなら完全に別れたい、二度と関わりたくない、友だち関係なんて成立しない」というのなら仕方ないとは思うが。

その代わり、男性側も、女性が「あなたのこと嫌いじゃないけど、ほかに好きな人ができたので、今後はお友だちとして♪」と言われた時、それを受け入れないと不公平だよな^^;

ま、相手にとっての1番になる、って結構、大変。
自分、そんなできた人間じゃないし、相手を縛るのは気が引ける。
っていうか、皆、自信、あるんだなあ。
ただ結婚となると、第一優先してもらわないと困るので、そこがネック。
だから自信のない人は結婚に向かないね。

それに相手に対し、恋愛ならいいけど、結婚にはちょっと、って男女共にあるだろう。

まあ、そんないざこざを見ていたら、「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ またはhttp://www.pixiv.net/series.php?id=486383(および「プライオリティ」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/
)の静也と理沙は相思相愛、恋愛からスムーズに結婚まで行き、その後もうまくやって行っている様子なので、恵まれたカップルだよなあ、と思ったのでした。(いや、作者がそうしているのだけど)

でも、この二人、その後、不倫とか浮気とかあり得るかしら???

ところで、男性側の結婚には及び腰な理由、分かる気がする。
仕事を続ける女性が結婚に及び腰なのと一緒。
「イクメンっていうけど、オレ、家事育児の分担、自信ない。仕事するだけで手一杯。家庭内コミュニケ―ション?・・・疲れる・・・奥さんの、興味もてない話題に何でつきあわないといけないの? 休日くらい自由でいたい・・・」などなど。

なので恋愛と結婚は別って、男性側にもあるわけで、「オレを疲れさせない奥さんがいい」という男性の気持ちも理解できる。女性側もそうなんだろうから、お互い様だね。

と、静也と理沙を描いていると、そんなことを考えてしまったのであった。
(そーいや、「パラレル~」みたいな、こういったタイプの話を作るの、初めてじゃ。だからよけい、こういったこと考えてしまうんだよね)

⇒続きを読む

まずはお知らせ~♪
http://ncode.syosetu.com/n1557cj/114/ 「なろう」でも、「プライオリティ」最終回を迎えました^^

・・・・・
では本題。

前のほうの記事で下重暁子氏の著書「家族という病」をネタにした・・・ここんとこアクセス数が増え、どうやら「家族という病」「下重暁子」のワード検索で当ブログを訪ねてきたくれた方がけっこういるようだ。

家族という病」アマゾンのレビューは低評価だが、売れているらしい。
まずタイトルがいいよな。興味をそそられる。

たしかに家族がいる=幸せという単純な図式に当てはまらない人も多いだろうし、家族を抱えたがため苦労することも多々あるし、そのことを「不幸だ」と声に出して言えない雰囲気もあるし、あるいはほかの幸せそうな家族を見ていたら、「なんでうちは違うのだろう」とますます不幸感を募らせたり・・・一方、独身者は「家族を持たないといけないプレッシャー」を感じているかもしれない・・・そういうことでは「家族という病」という本が気になる。


で、ワード検索かけて、当ブログを訪ねてくる人が多いということは、わりと多くの人が「家族について」いろいろ問題を抱えているのかしれない、と思ってしまった。

そこで改めて「家族」について考えてみた。

まず、疑問に思ったのは、下重さんはなぜ結婚したんだろう???
もし家族についてネガティブなイメージしか持てないのであれば、事実婚同棲でいいのでは? と。

じゃあ、結婚同棲と何が違うのか?

やはり、お互いへの縛りの度合いが違ってくる気がする。同棲は自由度が高い気がする。結婚よりははるかに「いつでも別れられる」し、「不貞」も許される。(よね?)
結婚していた場合、浮気をすると「不倫」ということになり、パートナーの浮気相手へ「慰謝料を請求する」こともできる。

この縛りは大きい気がする。
縛りは『安定』という言葉にも置き換えられる。

じゃあ、下重さんは家族を否定しながらも、この「縛り」だけは欲しかったのか?
そのへんは本を読んでないので分からないが、「縛り」が欲しいのであれば、それなりの「家族からの縛り」も発生する。

結局、自由と不安定、束縛と安定、どちらを選択したいか、ではないだろうか。
もち、どっちが正しい、でもないし、どっちが幸せか、でもなく・・・どっちが自分に合うのか? どちらにもそれに伴うマイナス面があり、どっちのマイナス面に耐えられるのか?、かもしれない。

束縛されると、何か問題が起きた時、逃げることはできない、その問題があまりに大きすぎ手に負えない場合、かなり辛い思いをするだろう。

家族や親族が皆で平等に協力できればいいが、ま、現実はなかなかそうはいかない。
負担の分担の仕方で、また「いざこざ」が起きたり、大変な思いをするかもしれない。

けど、大きな問題が起きない場合もある。
その場合、平穏に暮らせ、幸せを感じることができるのだろう。

問題が起こるか起こらないか、これも結局「運」だ。

「家族を得たのに、幸せを感じられない」「周りは幸せそうなのに、なんで?」、というのが、しんどそうだ。
家族=幸せという図式、これを信じている人が「家族と言う病」にかかっている、ということなのかな。

で、家族の問題で、一番重いのはやはり「子どものこと」ではないだろうか。

そして、子どものことも「運」が大きい気がするのだ。親の努力ではどうにもならない問題があるケースもあり、そして、子どもに問題があった時、配偶者が協力してくれるかどうか・・・逃げてしまう人(夫)も意外といたりするようだ。こんな時に助けてくれないなんて、これはもう家族でいる意味もないと、離婚になることもあるけれど、経済的な問題も発生してくるし、この場合はほんとうに辛いだろう。

(しかし、離婚したって、父子関係が消えるわけじゃないのだから、扶養義務はある。なのに実際、養育費は支払われず、貧しいシングルマザー世帯が多い。養育費は国や地方自治体が、夫=父親の銀行口座や給与などから強制的に天引きできないのかしら? エジプトではそれをやっているらしい=フィフィさんの話による。だから、nihonndatte
できないはずはないのだが・・・)

家族とは助けてくれるものだ、というか、助けるのが家族だ、と大半の人は思っている。
が、これが裏切られた?場合、期待した分、辛いだろう。

反対に、助け合いができた時は、家族のありがたみを感じ、家族っていいよなあ、と家族を肯定的に捉え、
家族は作るべし、家族のいない人は不幸だ、と思ってしまうのかもしれない。

ある意味、そういう人は幸せだと思うが、その考えが「家族とうまくいってない人」にとっては、しんどいのかもしれない。


私個人の問題を見てみよう。

私の近親者には発達障害がいる。んで、精神を患った。

発達障害の場合、公からの何かしらの支援は受けられない。(NPO関係が行うサポートなどはあるのかもしれないが)
ま、精神障害になって、初めて支援を受けられるので、精神障害になってよかった、と思うことにしている。

発達障害者は精神を患うことも多い。

そして、病院で訊かれたのだ。
「親族に発達障害者はいるのか?」と。

発達障害は遺伝することがあるのか?」と問うと
医師はあいまいな態度を取り、「それもあるかもしれない」みたいなことをにおわせた。

発達障害について遺伝性があるのかないのか、私個人の感触では「まだハッキリとは分からないが、遺伝も関わる」と捉えた。

ま、これが公になると、子どもが「発達障害」になった場合、きっと夫婦の間で「どちらの遺伝か」も問題になることもあるのかもな、と思ってしまった。
で、結婚の際、これを気にする人は結構出てくるだろう、と。

発達障害は厄介であることには間違いない。
仕事ができる人もいるが、コミュニケーション能力が低く、仕事ができない人も多いだろう。
精神病になるリスクが高い。
それでいて、一般の障害者ほどには支援を受けられない。

子どもが発達障害だったら、やはり親は相当の苦労を抱え込むことになる。
それでいて「不幸だ」と訴えることもできない。それをやったら「障害者への差別」「親の資格なし」「冷酷人間」扱いだ。
家族(というか子ども)を持ったら、幸せでなければならない、というプレッシャー。
これがますます親を追い詰めていく気がする。

これも「家族という病」に入るかもしれない。
いや、発達障害までいかなくても、虐めや登校拒否、就職に失敗、ニート問題などなど、心配が尽きることはないだろう。

で、ふと思うのだ。
そういったことをあまり考えないでいられる人が、結婚をし子どもを持つこと=家族を作ることに合っているのでは、と。

発達障害、虐め、登校拒否や、就職失敗などなど、そんな問題は気にならない、心配してない、気に留めないという人は、「自分および近親者がそういったことに縁がなかった」ということでもあるのだ。
だから、気にしないでいられる。

そういったことを気にしないでいられる人は、おそらくイジメ問題にも縁遠く(いじめられたことがない)、わりと人間関係をスムーズに結べ、うまくやっていくことができ、
自分に自信がある人(=子どもへ自分の性質が遺伝することを心配しないでいられるということ。むしろ自分の遺伝子を受け継いでくれることを嬉しく思っている人)、自分は才覚と努力で今の幸せを勝ち取ってきたと自負できる・・・幸せな人なのかもしれない。
あらゆる問題は努力で解決できると信じられる人であり、実際、努力家でもあり、問題解決能力が高い人なのだろう。

私自身は、私の性質(性格、能力、容姿など)がたとえ半分でも遺伝してしまったら申し訳ない、と思ってしまう。卑下しているのではなく、この性質を抱え込んだ子供は、これからの時代、ますます苦労をするだろう、この社会でやっていけないかもしれない、と考えてしまう。

発達障害を身近に知っているので、現実の厳しさも分かる。

一方で、発達障害という言葉にも鈍感でいられる。『何それ?』と言う人もいるだろう。そういう人は近親者に、「発達障害っぽい人」がいないから、知らないでいられるのだ。そして、近親者にいない、ということは重要なことでもある。
自分自身、発達障害かも、と考えることもないのだろう。
コミュニケーション能力に長け、性格も明るく、コンプレックスも克服できた強い人だ。

そういう人同士のカップルこそ、結婚し子どもを持つことに向いているのかも。
だって、その人の能力や性質を子どもも受け継ぐことになり、さほど大きな問題(解決が難しい問題)を抱えることなく育つ可能性も高いだろうから。

反対に、そうではない人は、向かないのかも?
子どもと言う存在は大きい。夫婦間よりも親子間のほうがずっと難しい気がする。夫婦はどうしてもという場合別れることができるが、親子はそうはいかない。責任は重く、だからこそ、何か大きな問題が起きた時、ものすごい大きな傷を残すことになるのかもしれない。

うまくいっている人にとっては、家族は心強い存在、心の拠りどころ、一番大切なものになるが、そうでない人にとっては、かなり辛い存在になるのかもしれない。

※いや、子どもの問題がなくても、家族の経済を担う男性側(お父さん)も大変かも。
家族を背負えば、↓こんな目にあっても、簡単に仕事をやめるわけにはいかないのだから。
http://www.sankei.com/west/news/150514/wst1505140004-n1.html

ま、だからこそ女性(お母さん)も、フルタイムで仕事を持とう、育児との両立を、と世間では叫ばれているけど、子どもが病気の度に休ませてくれたり、早退させてくれる企業はどれくらいあるんだろうあ。ま、中小零細企業には無理だ。
結局、育児と仕事(パートではなくフルタイム)を両立できる女性というのは「育休や産休がとれる大企業に就職できた選ばれた女性」でもある。そして、それでもおそらく「実家の両親=おじいちゃん、おばあちゃん」に頼っているはずだ。それなしで両立している女性っているんだろうか?

んで、両立しているお母さんは、おそらく、子どもについてもさほど問題がない。(=障害や大きな病気を抱えていない。学校生活も問題なく、やっていけている)

転勤のある仕事かどうかも両立問題に深く関わってくる。仮にお父さんが転勤族の場合、単身赴任という方法もあるけど、そうしたらお父さんの方は物理的に育児には関われない。結局、お母さんが一人ですべてやることになる。一人でというより、おじいちゃんおばあちゃんに頼ることになるだろう。おじいちゃんおばあちゃんが協力してくれるかどうか?、できる環境にあるのか? できない人だって、けっこういるだろう。

並々ならぬ努力も必要だけど、両立できている人はやはり「運がいい」のかもしれない。
そして、「並々ならぬ努力が必要」という生き方は、人によっては「余裕をなくし」、疲れさせ、心身が疲弊し、さほど幸福感が味わえないかもしれない。

というか、幸福感も気の持ちよう、人それぞれだし、家族がいようと独身者であろうと、どちらが幸福度が上かは言えない。

ま、家庭を持った場合、うまくいけば幸福度は高いが、うまくいかない場合、独身者が抱える不幸度よりも、深刻になる場合がある気がする。ハイリスク・ハイリターンってことか。
独身者が抱える問題よりも、家庭の問題のほうが深刻度が高いイメージがある。それが極端な形に出るのが「家族間の暴力事件、殺人事件」なのかもしれない。

と、そんなことを考えながら、物語上(「プライオリティ」および「パラレル・プライオリティ」)では家族至上主義というか、家族を一番の拠りどころにしている主人公を描いているのだった。

主人公にとって、家庭は安らぎの場であり、家族は絶対的な味方であり、「家族間の暴力・虐待事件や殺人事件」など別世界の出来事であり、子どもも親の背中を見て、すくすく育つ、と信じでいる・・・そんな主人公はある意味「幸せな人」かもしれない。

が、「プライオリティ」では、それ以外のキャラ・・・母親に捨てられ父親に虐待されたアントン・ダラー、両親に自殺された(=捨てられた)ミスズ先生、両親に臓器売買業者へ売られたサラ、両親に捨てられたキリル、などなど「家族によって不幸に陥ったキャラ」もたくさん出てくる・・・

なので http://ncode.syosetu.com/n1557cj/108/ では、主人公に対し、家庭に恵まれなかったキリル少年に「身の回りに大切な人がいて……そういう感情が持てるヤツらは……幸せだよな」と言わせたりしている。

・・・・・・・・・・
余談「どちらが幸せか」

学食、給食ななど、ほかの人たちが一緒に食事をしている中、ひとりで食事をすることが、恥ずかしい、辛い、みじめ、さびしい、などなどマイナスに捉える人、わりといると思う。

けど、私の場合、高校時代、寮生活をしたことあるんだけど、寮の先輩や同僚と人間関係うまくいかず、一緒に食事をするのが辛かった経験がある。寮の部屋の人と一緒に食事をすることが基本ルールだったけど、何かの用事で食事の時間が皆と合わず、独りで食べられる時の気楽さ、自由がなんとありがたかったことか・・・

この寮生活を家族生活に置き換えれば分かりやすい。

関係がうまくいっていれば、皆と食事は楽しいだろう。独りは寂しいだろう。

が、うまくいっていない場合、一緒の食事は苦痛である。私の場合、先輩の目を気にし、いつもビクビクし、ストレスであった。独りで食事ができる時、ゆっくりと味わうことができ、幸せを感じた。

んで、寮なので、簡単に出る(一人になる、別れる)こともできず、どんなに苦痛でも、うまくいってなくても一緒にいなくてはならない。
まさに「家族」と一緒。

簡単に言えば、そういうことかもしれない。
もち、うまくいくよう努力することは大切だろうけれど。人によってはその努力が苦痛、あるいは努力できない、努力のしようがない、どうしていいか分からない、努力してもどうにもならない(相手もあることだし)、などなどいろんなケースがある。

気の合う人と一緒になれればいいが、そういった出会いも結局は「運」だと思うのだ。

・・・・・・・・・・
余談「家族が枷になるケース」

そう言えばテレビで「兄弟がニートだったり、障害をもっていたり、あるいは犯罪的があるなど、何か問題があった場合、結婚できない(相手からお断りされる、引かれる)」といった話を聞いた。
ああ、たしかに結婚の場合、親族とくに兄弟がどうなのか、相手から見られるかもなあ、と思った。もちろん、こちらも相手の兄弟のことは気になるだろう。
全く気にならないっていう人もいるかもしれないが。
「本人ではなく、兄弟に問題があるからといって、結婚に二の足を踏むような奴はこちらからお断り。本人同士の気持ちが大切だ」というのはキレイごとかもしれない。
結婚とは結局、親族同士もつながる、ということになるから。
親族関係ありません、となると、同棲事実婚)でいいじゃん、ということになるのかも。
「兄弟のことで、結婚がうまくいかない」=「家族が足かせになるケース」もあるということで・・・まあ、でもそんなことでお断りされる結婚ならしないほうがいいとも言えるけど。
ただ自分だって、もしも相手の兄弟が何か大きい問題を抱えていたら、二の足踏むだろうから、難しい問題でもある。

事実婚(同棲)なら、このへんのハードルは低い気がするが。

・・・・・・・・・・

ということで、「家族と言う病」のワード検索数が多かったので、家族についていろいろ考えてみた。
自分は基本のんびりしており、怠惰なので、あまり問題を抱えたくない、並々ならぬ努力などできない、体力気力が追いつかないので、できるだけ大きな問題は抱えたくない・・・ので、そういった問題を抱え、またリスクをとることに躊躇しない人を本当に偉いと思うのであった。

では、以下、毎度毎度の物語紹介です。

⇒続きを読む

昨日は子どもの日。
ほのぼの短編物語「パラレル・プライオリティ日本編」では「端午の節句 こいのぼり」をアップしてます。
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/10/
またはhttp://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5254138※こいのぼり、菖蒲湯、柏餅、粽など歴史、由来など雑学満載。

さてさて・・・買い物に出ると、ママと子どもをだっこしたパパをよく見かける。
ほほえましい♪ 

昔はあまり見かけなかった。夫婦でお出かけしても、子どもをだっこするのはお母さんだった。
でも、お父さんの方が筋力あるんだし、お父さんがだっこしたほうがいい、と私も思う。
お母さんもだいぶ助かるだろう。
というか、お父さんも育児参加するのが当たり前となってきているのだから、当然の風景なのかもしれない。

家庭にどれだけエネルギー注げるか、男性も問われてきているんだろうな。
子どもが小さいうちは、休日も育児に関わり、自分の自由な時間はあまり持てないことは覚悟したほうがいいかも。自由に使えるお金はもちろん、時間も制限される。
「仕事で疲れているんだから休日くらい休ませてよ、自由にさせてよ」は子供を持ったら、そうはいかないのだ。
なので、なかには「結婚したくない。結婚したとしても子どもはいらない。子ども欲しいなら、こっちにイクメン押し付けるな」という男性もいるかもしれない。

もち、女性も「子供いらない」っていう人もいるだろう。
どうしたって育児は女性のほうに負担がかなりかかる。

ということで、こんな記事をみつけた↓

http://tabi-labo.com/124892/not-having-kids/ 「結婚・出産=女の幸せ」ではない?数字で見る、現代女性が子どもを持たない本当のワケ。

その中に
『育児にかかる労力をネガティブに考えてしまう』
とあり・・・

そうだよなあ、やっぱり子育て、大変そうだよな。
「みんな、当たり前のようにやっているでしょ」と思う人もたくさんいるだろうけど。
かなりの覚悟が必要のようだ。

ところで前回、ちらっと話題にした下重暁子氏の「家族という病』、私はまだ読んでないのだが、アマゾンのレビューではあまり評判良くないな・・・


レビューより転載。
・・・・・・
「お互いを理解し助け合って生きている。そんな家族がいたらいっそ気持ち悪い
著者の、家族に対する憎悪・嫌悪感がにじみ出ています。

・・・・・・
転載終わり。

へえ、気持ち悪いのか。
私はこの「気持ち悪い」という言葉が出てきた時点でアウトだな。

安易に「気持ち悪い」という言葉を使う人物こそ、気持ち悪い
それはオタクが散々、そういう言われ方をしてきたから、なのかもしれない。世間に対し・・・ならば、オタク作品を作っている作家(漫画家、編集者、アニメーター、アニメ映画監督)、クリエイターを「気持ち悪い」と非難してほしい。見下してほしい。とずっと思っていた。けどなぜか、クリエイターは持ち上げる。
現在に至っては『クールジャパン』などといって、漫画やアニメ、ゲームを持ち上げている世間様に唖然とする。

ま、この「気持ち悪い」は、自分が優位に立ちたいがため、自分の考えや生き方が正しいと思いたいがため、出てきた『感情的な言葉』なのだろう。この著者は感情的に本を書いてしまったということで、この本は社会的な分析本ではなく、エッセイの類なのだろう。

で、そこまで家族を憎悪しているのに、下重さん、結婚はされているようで、独身や親と同居する生き方も良く思っていないらしい。

レビューより転載。
・・・・・・

独身と親の同居がNG
とか、さも相手を見つけて当然調な書き方に閉口。

それでいて、その後には結婚や家族となった後の暗い世界観が述べられており、何がいいたいのか。。。

・・・・・・
転載終わり。

レビューだけで判断するのは間違っているかもしれないが、レビューを信じるのであれば、この本は「著者=私の生き方は正しい。ほかはダメ」という狭量な内容のようだ・・・いや、読んでないので、あくまで推測ね。

少なくとも「こんな生き方もあるよね」「こんな考え方もあります」と多様性を認める本ではなさそうだ。

他者の生き方をマイナスに見立てた時点で、正直「何様?」と思ってしまう。
もちろん、下重さんはNHKアナウンサーということで、エリートであり、とてもすごい人なのだろう。偉い人なのだろうけれど。
・・・きっと私が「正しい生き方をしていない」ので、そう感じてしまうのだろう。

そう、『この生き方が正しい』っていう考え、結局、「結婚し子どもを持たないとダメ」と言っている人と、多様性を認めないという点において同じ。

結局、「自分の生き方は正しいのよ~』と言う心の叫びなのだろう。そう叫ばずにいられない=他者を否定することによって、自分の優位性を示す=本当は自分の生き方に自信がない、自信がないから他を否定したり、見下してしまう・・・のかもしれない。

って、まあ、私なんぞが偉そうに言う資格はないし、そもそも読んでないのだから、ここまで書くのは間違っているかもしれないが。

ま、家族とうまくいってない人にとっては『救い』の本なのかもしれない。

下重さんは夫はいるようだが、子どもはいないのかな? たぶんいないのだろう、そういう話は出てこない。いるなら出てくるだろう。

もしかしたら・・・うがった見方かもしれないけど、下重さん、子どもがいないことが劣等感なのかな? 子どもがいないことで、他者から批判されたり、見下されたりした経験があるのかもしれない。だから「気持ち悪い」という言葉で「普通の家庭」を見下し返してしまったのかもしれない。

結局、家族がいるから幸せとは限らない、不幸になる場合もある、そういうことなのだろう。
どう生きようが、正解はなく、けっこう「運」に左右されるものなのかもしれない。


そう「運」なのだ。

そこで余談として、「パラレル・プライオリティ日本編」の静也と理沙夫婦はなぜ上手くいっているのか、綴ってみた。
以下は「ピクシブ」の「パラレルプライオリティ・鯉のぼり編」で『コラム』として追記した部分を以下転載。
・・・・・・・・・・・・

⇒続きを読む

前のほうで「夫婦円満」をテーマに山口智子の記事をネタにしたけど・・・人によっては「まったく参考にならない」「普通はこんなに自由にできない」「夫婦生活、結婚生活とは言えない」「主婦はこんな気楽じゃない」「ママゴトもいいところ」とカチンとくるところもあるようだ。

山口智子のインタビュー記事http://news.mynavi.jp/news/2015/04/02/003/より一部抜粋

【「凝ってあらゆる料理を作った」という手料理で、まるで「毎日が誕生日会」のように連日知人を招いていたことも。ところが、5年ほど経過した頃に「プチッと燃え尽きちゃって」。今は週に1~2回程度で、ほとんど料理をすることはなくなったという。】

転載終わり。

たしかに普通は『プチっと燃え尽きたから』といって、料理をほとんどしないですませられる、それが許される人というのは、まあいないだろう。唐沢さんはそれを許しているが、一般の男性は許さないだろうし、もし子供でもいれば、完全にアウトだ。

そこでちょっと考えさせられた。

結局、「運」も大きいかもしれない。伴侶が『唐沢さんだから』というのも大きいかもしれない。ほかの男性なら許さないかもしれない。

ま、料理は、別に女性の仕事でもないし、男性がやってもいいのだし、やらないですむなら、やらなくてもいい。
家庭料理を求めて結婚したわけでもないのだろう。

唐沢さんも毎日、家に帰ってくるわけではないだろうし、家庭料理にこだわらない、外食OK、むしろプロが作ってくれた料理の方が美味しいだろうし、毎日外食できる経済的余裕もある。

山口さん自身かなり稼げる人だ。一時期、テレビ界からは姿を消したけど、仕事をしようと思えば、引く手あまた。唐沢さんに養ってもらっているわけではない。

すれ違い、一緒にいる時間はほとんどない、結婚した意味がない、ということで離婚した人もけっこういるけれど、あまり顔を合わせないからこそ、一緒にいる時を大切にできる、ということで夫婦円満を保てる場合もある。

そこに家庭料理があるかどうかも関係ないのだろう。

これはもう人それぞれ、相性の問題かも。
相性がいい相手と結婚できた、というのも「運」かもしれない。(相性がいいかどうか、付きあっているときには分からないことも多い。一緒に生活して初めて分かるのだろうから)

幸福感を持てるかどうか、気の持ちよう、プラスに考えることができるか、マイナスに捉えてしまうか・・・だけど「運」も作用するかも、と思ってしまった。

山口さんには子どもがいない、あえて持たなかったのか、それとも欲しかったけど叶わなかったのかは分からない。
けど子どもがいない自由気ままを満喫し(子どもがいないことをプラスに捉えた生き方)、幸せを追求する生き方もあっていいのだ。

しかし、こういった「子どもがいない既婚者」または「独身者、未婚者」は、「ちょっと不幸であってほしい」「幸せアピールしてもウソっぽい」と思う人が、いたりするようだ。
自由気まま=苦労してない=いずれ、そのツケがくるに決まっている=老後は寂しい・・・と、こんな図式を描いているんじゃないだろうか。

そこで、ホリエモンの「今を生きよう」「将来のことをあれこれ心配するのは無駄」「将来どうなるか、誰にも分からないのだから」「将来の不安を払拭しようと、今を我慢するのはやめたほうがいい」を思い出す。

山口さんも「無理せず、気持ちよく過ごしている=今を生きている」のだろう。それが「できる立場にいる」のだから、それでいいのだ。

普通は「我慢する」「無理せずなんて気楽なこと言ってられない」「みんな、耐えてがんばっているんだ」ということで、自由気ままな人に反感を持ってしまいがちだけど。

ただ我慢したからと言って、その先、幸せになれる、または将来安定が得られる、とは限らない。将来のことは分からない。

もち、我慢しないと今の生活が成り立たないのであれば、我慢するしかない。
我慢しないでやっていけるなんて、よほど運のいい人、恵まれている人。そんな人が幸せアピールしてもムカつくだけ・・・というのは、私もよく分かる^^;

けど「ガマン」はできるだけ回避しよう、我慢は美徳でも何でもない、我慢したからと言って幸せになるとは限らない。

しかし幸せになると信じて何かを我慢するのはあり、とは思う。

じゃなきゃ「ガマン」なんてしていられないもの。けど、しないでいいガマンなら、することないと思う。逃げられるなら逃げろ、と。しないでいい方法があるなら、そうしてもいいのでは、と。

プチッときて料理をしなくなった山口さん、逆にガマンして料理していたら、ストレスたまり、ダンナにもそのストレスをぶつけ、結婚生活は破たんしていたかもしれない。
世間の価値観に合わせることなどないのだ。

世間の価値観=家庭をもったからには家庭料理があるべき、外食ばかりなんて偏るし、愛が感じられない、そんなの家庭じゃない、子どもがいないと寂しい・・・なんだろうな。

たぶん、それは子育てがいかに大変か、とも言える。
でも、その「大変である先」には幸せがある。
それはそうなのだろうけど、逆に「幸せである」と思わないといけない空気をそこに感じる。
不幸だと思ってはいけない、思ったら人間失格みたいな・・・

だから「我慢しないで自由気ままに生きている人」は、世間的にちょっと「不幸であってほしい」のかもしれない。

まあ、「子供のこと」は置いておいて、「家庭料理」について。
家庭料理のない結婚生活なんてありえない、と思っている人のほうが断然多いだろうから、山口さんはほんとうにレアケース、ということは分かる^^;

いや、「我慢すること」について、ちょっと考えさせられたので、書いてみた。

それにしても・・・、もう終わりだなあ・・・

とはいえ、「パラレル・プライオリティ日本編」の9編目「づくしの休日」よろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/9/
ピクシブではここです。http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5100379

日本文化・風習をテーマに、に関する雑学(餅、湯、茶、桜の由来など)も満載。
ちなみにこの物語の静也と理沙夫婦・・・理沙は健康を考えた家庭料理にエネルギーかけているし、静也はそのことをちゃんと知っている^^

(ダンナがそういったこと知らないままだと、奥さんもやりがいなくすよな。だから、そういったことを何となくアピールしたほうがいいと思う。ダンナはそれをうざがらずに聞いてあげてね。聞くだけでいいんだから)

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前回の続きと言えば続き。

「パラレル・プライオリティ日本編」作っていて、夫婦関係、しいては人間関係について考えてしまう。

ま、夫婦関係って、友人や恋人みたいに、「嫌になったら別れる」ことが、そう簡単にできない、かといって、親子関係のように「よほどの場合をのぞき、別れることがほぼ不可能」というわけでもない。

そんなことを思いながら、「気持ちの良い人間関係」=理想を描いているのだけど。

前回の記事で、「人間関係を維持するにおいて、何が重要か」で

○対等意識が持てる(相手を見下さない、尊重できる)
○価値観にさほど違いがない(相手の価値観を受け入れられる、理解できる、許容できる)
○コミュニケーションができているか(相手に関心がある、共通の話題、趣味がある)・・・になるのかな。

と3点挙げて・・・
その中の対等意識について、

見下すと(=相手を軽く見ると)、相手に対し、平気で人格否定したり、馬鹿にしたり、人間扱いしなくなる。
よって「礼儀」が全くなくなってしまう。

通常の人間関係なら破たんしかねないことをやらかしてしまう。
それを許すのが家族だ、という人もいるけれど。
言葉の暴力、言葉の刃って、けっこう威力あるんだよ。相手の心を破壊し、修復できないくらいに。

・・・と書いたことについて、補足。

言葉の暴力を放った場合。

まず放ったという自覚がない・・・相当、相手を見下している。人間扱いをしていない。
と私は判断する。

誰に対しても、言葉の暴力を放ってます、上司にも放ってます、っていう人は、仕事もうまくいってないはずだし、生活が破たんしているはず。
だから「言葉の暴力」がどういうものだかは分かっているはず。、つまり、暴言をガマンしようと思えばできているということだ。
なのに、それを放ち、放ったことさえ自覚してない、ということは、相手をまるで人間扱いしていない、どうでもいい存在ということ。

この場合、すぐに離れたほうがいい。(本物の暴力行為であれば、それは犯罪であり、論外)
どうでもいい存在は、単なるストレスのはけ口になってしまいがち。

相手に「相当、失礼なこと=暴言」を放ったことを自覚し、しかし、罪悪感がない場合、それもやっぱり相手を相当見下している。
罪悪感なさそうだな、と思ったら、やはり離れたほうがいい、と思う。

これはもう修復不可能、というか、相手に関係修復の意思がないと見ていい。
修復の意思のない人と関係を結ぶのは困難だ。

罪悪感がある場合だけ、修復の余地がある。

友人や恋人関係であれば、関係破たんさせたくない場合、それなりの努力をするけど、そう簡単に別れることができない家族関係になると、けっこう平気で「相手を見下す言動」をしてしまうものかもしれない。

親子関係の場合、子どもが未成年の場合、どうしたって上下関係になり、対等意識など持てないけれど、それでも最低限の対等意識は必要だろうと思ってしまう。

いじめ問題でも、この「対等意識があるか、ないか」って大事だよな、と。
ま、いじめる側は、相手を見下している。
対し、いじめられる側は、自分を下位に置いて場合がけっこう多いかも。

見下されないようにするには、どうしたらいいのか。

いじめの場合、やられたら、それなりの報復をする、これが一番手っ取り早いかも。
報復ができれば、相手は見下すことはない。

もちろん、相手がまた仕返すことはあるが、その時には「イジメという見下し行為」ではなく、「復讐」という対等行為になる。もちろん、復讐など、お門違いもいいところであるが。

そもそも復讐をするような相手であれば、話し合いなども通じるはずもなく、相手ととことん戦うか、相手から逃げるしかない気がする。

逃げることが出来なきゃ戦うしかない。
(ということが「プライオリティ」の断章のテーマにもなっている^^;)

ちなみに「プライオリティ・シーズン1」の断章はここです。
「なろう」断章1話目 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/28/ 2話目http://ncode.syosetu.com/n1557cj/29/
「ピクシブ」断章とエピローグ http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4591671

ま、でも、戦うというエネルギーを使うより、逃げれるものなら逃げたほうがいい(距離をとる)
戦えば、相手は復讐をし、憎悪の連鎖が始まってしまうかもしれないし。

その前に話が通じるのであれば、話し合いで解決したほうがいいに決まっているが・・・話し合いで見下し行為が止むのであれば、そもそも相手はさほど見下していない。話を聞いてくれる、話し合いに応じてくれるということは、尊重してくれている、ということだ。

対等意識=相手を見下さない、相手から見下しを受けたら、相手から逃げる(縁を切る)、あるいは戦って相手に分かってもらう、対等であることを主張する、

ということが人間関係を結ぶのに大切な・・・というより自分を守るのに大切なこと、なのかもしれない。

見下し続けられると、心が殺される=人生台無しにされてしまうから。
ただ、それが家族間だと逃げ場がない。
家族間の人間関係がこじれると厄介だよな・・・

と、実はけっこう厳しいことを思いながら「パラレル」=幸せ家族(夫婦)物語を作っているのだった。

※「パラレル~」はここで投稿↓
「なろう」http://ncode.syosetu.com/n2006cl/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=486383

いや、でも理想はこれだなあ・・・
山口智子さんのもうひとつの記事http://news.mynavi.jp/news/2014/11/28/110/より一部転載。
「幸せの時間は、大好きな唐沢寿明さんとご飯を食べているとき」

「今この瞬間から未来が続くと思っているので、『人よりも最高のものにするぞ』と思いながら生きているかもしれません。世界で一番幸せだと思って生きてますよ」と回答。
さらに「幸せの実感は?」というMCの問いに「(夫の)唐沢寿明さんと一緒にご飯を食べている時とか、毎日美味しく食べている時です。ちょっとしたことが大事で、毎日楽しく幸せに美味しいと思いながら大好きな方と食べるご飯は最高です」と来年で結婚20年を迎える現在も幸せオーラを漂わせていた。

転載終わり。

「パラレル~」の静也と理沙も、食事の時間を大切にしている。これが夫婦円満、幸せにつながるのかも。

ま、食事なんてさっさと終わらせたい、会話も別にない、っていう夫婦もかなり多そうだし、忙しくてそんな余裕ないという人もいるんだろうな。

山口さん唐沢さん夫妻の生活を『ママゴトだ』『子供がいないから余裕あるだけ』という人もいるだろうけど、幸せなら「ママゴト」大いに結構。子供を持つ持たないは自由だし。

⇒続きを読む

夫婦愛?もテーマな「パラレル・プライオリティ日本編」書いているので、こういった記事は気になる。

山口智子、唐沢寿明との生活についての記事
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e5%b1%b1%e5%8f%a3%e6%99%ba%e5%ad%90%e3%80%81%e5%a4%ab%ef%bd%a5%e5%94%90%e6%b2%a2%e5%af%bf%e6%98%8e%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%86%86%e6%ba%80%e3%81%ae%e7%a7%98%e8%a8%a3%e3%81%af%e3%80%8c%e6%af%8e%e6%99%a9%e6%89%8b%e3%82%92%e3%81%a4%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a7%e5%af%9d%e3%82%8b%e3%80%8d/ar-AAajk1W?ocid=LENDHP#page=2

一部転載。

日常的な夫婦喧嘩は「しない」。「唐沢さんは人の話とか聞いてない」ことから、喧嘩に発展することがないのだそう。

国分太一からの「夫婦円満の秘訣は?」という質問には、「それはやっぱり、手をつないで寝るとか」「毎晩」と即答。

「うちに帰って唐沢さんと遊んでいる時とかは、自分にとってのオフかも」と告白。「なかなか一緒にいる時間はないから、会う時はできるだけくっついていようと私は思うんです。だから、本当にくっついていたくて」「抱っこ~! 抱っこ~! みたいな」というアツアツぶりだが、唐沢はそんなスキンシップに無反応。それを聞いた松岡昌宏が、かつて唐沢と酒を飲んだ時に「あー! 山口に会いてぇ!」と言っていたことを打ち明けると、山口は「どうだろう」「うちでは絶対に言わない」と怪しみながらも、「うれしいっす」と素直に喜んでいた。

転載終わり。

ほお、唐沢さん、名前ではなく「山口」って呼んでいるのか・・・・^^;
いや、なんかいいよね。

うちの静也と理沙夫婦とは違う「夫婦ぶり」だけど、共通点は「夫婦、一緒にいる時間を楽しんでいる、大切にしている」ってところかな。

でも、子どもがいると、そうもいかなくなるのかも?
やっぱ子どもができれば「パパとママ」になってしまうし。(山口、唐沢夫妻は子どもがいない)

夫婦円満の秘訣について・・・というか、夫婦に限らず、友人など人間関係すべてに言えるのかもしれないけど・・・

相手に対し・・・

対等意識が持てる(相手を見下さない、尊重できる)
価値観にさほど違いがない(相手の価値観を受け入れられる、理解できる、許容できる)
コミュニケーションができているか(相手に関心がある、共通の話題、趣味がある)・・・になるのかな。

話が合うかどうかも重要かも?

反対に、家庭の問題以外、話が合わないのはさびしい気もする。
いや、昔の夫婦はそれが当たり前のところあったけど。

そんなことをいろいろ考えながら
日本文化、風習をテーマに「パラレル・プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n2006cl/ を綴っているのだった。
※ピクシブはこちらhttp://www.pixiv.net/series.php?id=486383

9編目は「お花見 づくしの休日」
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/9/

ピクシブはこちら
http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5100379

の由来、湯、茶、御飯、餅などなど桜に因んだ雑学も満載。ほっこり幸せ物語。
短編コメディ。

静也と理沙の夫婦の桜づくしの休日を描いたのだけど・・・こいつらは似た趣味、感性を持っているので、夫婦でお花見して、桜づくしの風流な生活楽しめるんだよなあ。

もし、感性、趣味が違うと、

『花見なんて面倒だ。家でゲームしてたほうが楽しい』
『夫婦で出かけて何が楽しいの』
『桜茶、まずい。ふつうのお茶がいい』
『桜湯に、桜の花びら浮かべるの? あとの掃除が大変、やめてよ』
『桜御飯、そんなにおいしくないよね。普通の炊き込みご飯にしてよ』
『桜エビに桜鯛。贅沢。そんなのにお金かけられない』
『桜の由来? そんなの興味ない』

ということで、一緒に楽しく過ごせなくなる。
けど、実はこういったケースの方が多いかも・・・

そりゃ、楽しいだけじゃないだろうけど、楽しい部分がまるでない、となると一緒に生活していて辛い気がする。

ただ、だからといって不幸ともかぎらない・・・かもしれないが。

興味を持つところに接点がないと、休日(自分が自由に使える時間)を一緒に過ごすのがつらくなる。
会話もなくなる。会話も面倒になる。
一緒に過ごす時間は食事の時だけ。その食事もさっさと済ませたい。

で、相手がいつも不機嫌だったり、すぐに切れる性格だと、当たらず障らず、距離を置いて、できるだけ接触を避ける、という事態になり、コミュニケーションをほとんどとらない、相手に無関心となっていき・・・

離婚して生活が変わるのも面倒だから夫婦を続ける、という感じになる場合もけっこうありそうだ・・・

山口さん唐沢さん夫婦かのような「仲良しぶり」はレアなケースだろう。(いや、子どもがいない夫婦はそうでもないのかな)

対等意識というのも大切だな。夫婦に限らず。

いや、つまり「見下さない」ということ。

見下すと(相手を軽く見ると)、相手に対し、平気で人格否定したり、馬鹿にしたり、つまり人間扱いしなくなる。
つまり「礼儀」が全くなくなってしまう。

通常の人間関係なら破たんしかねないことをやらかしてしまう。

それを許すのが家族だ、という人もいるけれど。

言葉の暴力、言葉の刃って、けっこう威力あるんだよ。相手の心を破壊し、修復できないくらいに。

・・・・・・・・・・・
さて、ここからは全く別なお話だけど、前回話題にしたことについての補足。
(ちょっと疑問に感じたことがあるので)

漫画家の坂本未明さんが、自ら発達障害だと産経新聞インタビュー記事で告白していたのだけど・・・(だから飛行機内で泣いた赤ちゃんの声に我慢ができず、パニックを起こしたという話)

発達障害の定義って何だろう? と思ってしまった。
作家の市川拓司氏もそうだと自ら告白しているのだけど・・・

私は発達障害を、「コミュニケーション障害、相手の気持ちが全く分からない、読み取れない、よって人間関係がうまくいかず、職に就けない、長続きしない、生活に難儀している」と捉えている。

しかし、坂本未明氏も市川拓司氏も「成功者」だ。
坂本未明氏はテレビのコメンテーターとして見たことがある。漫画も売れて、バンドもやって、2度目の結婚をされて・・・
う~ん、これのどこが発達障害者?

コミュニケーションがうまくとれない人が、テレビでコメンテーターをし、アシスタントを使って、漫画を描き、編集者と打ち合わせをし、恋愛してお付き合いをし結婚までこぎつけることができる?

結婚すれば、相手方の親族とのおつきあいもあるだろう。
バンド活動では仲間たちとのアンサンブルになるのだから、当然、仲間たちと交流し、音楽について打ち合わせ、話し合いもするだろうし・・・

人間関係をうまく築けない人に、パニックを起こし、すぐに切れる人に、雇われている者=アシスタントがついていく? 

人の気持ちが分からない人が、物語を描き、それが人々の共感を得て、人気作品を作れる?

(私は坂本さんの漫画を読んだことがないので分からないが、漫画家としてずっとやってこれたということは、読者の人気を得て、本が売れていた、ということだ。漫画家でずっとあり続ける、ということはそれができたということだ)

ちなみに市川拓司氏も同様。結婚し、お子さんもいる。

コミュニケーションをとるのが苦手、性分である、というのと、障害である、というのと違いはどこにある?
障害そのものの定義も分からなくなる。

発達障害というのは、人とコミュニケーションをとって付き合うことに困難が伴うので、仕事につくことはもちろん、結婚も難しい、人とつきあうことが怖い・・・公の支援が欲しい、障害だと理解してほしいと本当に苦しんでいる人から見たら、噴飯ものでは、と思った。

坂本未明氏や市川拓司氏が発達障害であるならば、私もそうだ。おそらく3分の一の人は「発達障害」ではないだろうか。

⇒続きを読む

http://www.asahi.com/articles/ASH3W76FKH3WUTIL04M.html?ref=mixiより

一部転載。

4月の入園募集を始めていた東京都内の認可保育園が、開園を延期していたことがわかった。子どもの声による騒音などを心配した住民から反対運動が起きたのが原因。

転載終わり。

こういったニュースを見ると、「パラレル・プライオリティ日本編」の妊娠中の理沙ちゃんは、仕事を続けるのは無理だろうな、と思ってしまった。

※日本文化、風習をテーマにとある夫婦のほのぼのハートフル・コメディ短編集「パラレル~」はこちらにて。
「なろう」→ http://ncode.syosetu.com/n2006cl/
「ピクシブ」→http://www.pixiv.net/series.php?id=486383

いや、べつにこの「保育園の開園」を反対している近隣住民を非難しているわけではないのだ。

近隣住民にも「静かさを求める権利」がある。
この静かな環境が気に入り、ここに暮らしている人もいるだろう。

子どもの声は、うるさく感じる人にはうるさい。
しかも、保育園ができれば、ずっとずっと10年も20年も『その音』は続く。
「一日中うるさいわけではない。夜は静かなはず」と言う人もいるだろうけど、昼間の静けさを求める人もいるだろう。

が、働くお母さんにとっては保育園は必須。

働くお母さんの権利VS保育園開演に反対の近隣住民の権利

権利と権利のぶつかり合い。
どちらの権利が優先されるべきか、ということになる。

左派の意見を聞いてみたい。

ちなみに右派は、おそらく「個人の権利より公共の福祉が優先する」と考えがちな人は「保育園は必須。近隣住民はわがまま」「女性も働き、日本の経済を活性化させよう」と思う人もいれば・・・
「母親は自分の手で子どもを育てるべき」と古い考えの人もいて、「従って保育園など必要ない」と思う人もいるのだろうか・・・
両方いるような気がする。

まあ、保育園を「公共の福祉」とみるのか、それとも「働くお母さんのための個人的な権利」とみるのかでも、違ってくるのかな?

「個人の権利を大切にする左派」は、近隣住民の権利を優先するのかな?
しかし「子どもを預けて働く女性の権利」ということでは、近隣住民より女性の権利が先に立つのかな?

弱者の権利が優先されるとしたら・・・
近隣住民はお年寄りも多い。
お年寄りと女性、どちらが弱者かな。

『子どもがうるさい』といえば、漫画家の坂本未明さんの「飛行機内で、泣きわめく赤ちゃんに切れて、大騒ぎした事件」を思い出す。

ま、たしかに赤ちゃんの甲高い鳴き声、ものすごく耳に障ることがある。
私もちょっとびっくりし、心臓がバクバクしたくらいだ。すぐに離れたけど、逃げ場のない飛行機の中でやられたら、かなりのストレスであるのも確かだ。
もちろん、お母さんはいたたまれないだろう。何とか泣き止んでほしいだろうし、泣き止ませようと努力するだろう。それでも泣き止まないことがある。

あの甲高い声はキツイものがあるかもしれない。

で、坂本未明さんも切れてしまったようだが・・・
産経新聞のインタビュー記事では、坂本さんはその件について「自分は発達障害であり、パニックを起こした」と答えていた。

発達障害のことをもっと知ってほしい、という主旨のインタビュー記事だった。

が、坂本さんに切れられてしまった赤ちゃんのお母さんもいたたまれず、傷ついただろう。

発達障害には発達障害者の事情があり、権利があるだろう。

けどパニック障害者の怒り、暴言を許容しろ、とも言えない。健常者には健常者の権利がある。

このように、子どものことで怒られ、皆の視線が怖くて、外に出られなくなったお母さんもいるかもしれない。

権利と権利のぶつかり合いは、そこいらじゅうにある。

世間様は、若者の初体験年齢を気にするよりも、恋愛しているかどうか気にするよりも、未婚率を気にするよりも、こういったことを気にしたほうがいいかもしれない。

あ、そういえば芸能人の道端アンジェリカさんが「週1回は子どもを預けて、夫婦二人きりでデートしたい」みたいな発言をしたそうで、賛否両論あるみたいだね。
週1回、預けてもらえるところがあるのならいいんじゃないか、と私個人は思う。

ただベビーシッター、信頼できるかなあ?
ちなみに、私は他人の子どもを預かるのは責任重いし、何かあったら大変だから、いくら高額なバイト代を提示されても断るな。
血縁関係があったとしても、たとえば兄弟のお嫁さんの子どもも預かることはできない。何か事故があったら、やはり、そのお嫁さん(義理の姉妹)とは修復不可能となり、憎まれるだろう。

子どもの世話をする責任は重い。

だから週1回、休みたいお母さんの気持ちもよく分かる。

難しい問題だ。
それでも子育てがこれだけ大変であることが、世間で認知されるようになって、昔の女性よりは恵まれているとも言えるかもしれない。
昔は「子育てなんて誰でもやっている簡単な仕事。遊びと同じ。3食昼寝つき」と言われていたのだから。

とは言っても男性も女性もフルタイムで働きながら育児は、なかなか過酷。若い体力のあるうちでないと、とてもとてもできない気がする。

んで、パパも、ママと同じくらい育児しよう(半分半分)、手伝うんじゃなくて「やる」のが当たり前、ということで、・・・結婚はいいけど子どもを持つことに躊躇する男性」も多くなるかもしれない。
ただ躊躇する、ということは、それだけ「子どものこと=家庭生活を真剣に考えている」ということでもあるんだろうけど。
あまり考えない人は、「子どもはママにお任せ。自分は休日にたまに遊んでやるくらいで済ませよう」と思っているかもしれない。

小さい子どもがいると、自分の時間がほぼなくなる・・・これを覚悟しているパパはどれくらいいるだろうか。(ママと同じくらい育児に参加するのであれば、自由時間はかなり制限される)

離婚した徳光正行さんのことが話題になっていたが、子どものことがネックだったらしい。徳光さんは「まだ先」と考え、元奥さんは子どもが欲しかったのだろう。
けど徳光さんは43歳。一般の会社員であれば、子どもはまだ先、と言ってられる年齢ではない気もするが、そこは芸能人だし、石田純一さんのように、60歳からでも大丈夫、と思っているのかもしれないが。
奥さんの年齢を考えれば、そうはいかない。

やはり一人の自由な時間は大事らしく、離婚した今は自由な時間を楽しんでいるという。
再婚は当分したくないんだとか。「歳とった両親のために結婚する」ということなら考えるかもしれないが、「自分のために結婚は考えてない」と発言していた。

(しかし、両親のために結婚するっていう考えも何だかな・・・介護を考えて、ってことか・・・ま、子育てのほか、結婚すれば、自分の両親はもちろん、相手の両親の介護問題というのもついてくるよね)

結婚の際、子どもをどうするのか、持たないのか、いつ持つのか、など、これってかなり重要な問題だから、話し合い、了解した上で話を進めないといけないのかもしれない。

そういえば、知人の離婚した女性も、「恋愛ならいいけど結婚は考えていない、あちらの家族との問題や責任を背負わないといけないから」というようなことを言っていた。

子育てのほか、その後は介護ということで、結婚生活のほとんどは家族の世話で費やされる、という場合もありそう。夫婦でそれらを上手く分担できるのか、やっぱ、そこで不満爆発もあるかもしれない。

仕事を思いっきりやりたい、趣味を楽しみたい、勉強したいなど自分の時間が欲しい、と言う人は、夫婦二人っきりならともかく、そこに子育てや介護がつく場合、自由時間はなくなるので、それらをあきらめることにならざるをえない場合もあり、自分の時間が持ちたい人にとっては、結婚生活はつらいものになるかもしれない。

(昔は女性が背負っていたが、今は男性も分担しようということで、男性がどれくらい我慢できるのか・・・昔でさえ、男性は「結婚は人生の墓場」と言い、自由が制限されることを嘆いていたのに)

体力のある若い時の時間(20代~40代)をどう使うか、何を選んで何を捨てるか・・・だよなあ。

と、「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ またはhttp://www.pixiv.net/series.php?id=486383を書いているので、家庭について考えることが多くなり、この「子ども関連話題」(騒音問題、週一のシッター預け賛否両論問題、子ども欲しい欲しくないで離婚)で、現実の厳しさを思ったのでした。

⇒続きを読む

前回の続きと言えば続き。

イソップ童話の「アリとキリギリス」について。
日本で出回っている話は、遊び暮らして何の貯えもしていないキリギリスを、遊びもせずコツコツ働いて貯えをしていたアリが、助けてやって、めでたしめでたし・・・だけど。

原作は、アリは助けず、キリギリスは死んでしまう。

アリを冷酷と捉えるか、それとも「仕方ないよね」と捉えるか。

この物語が訴えたいことは何だったのか・・・

「将来に備えないと、キリギリスのようなことになるよ」
「アリのように世間は助けてくれない。冷たいよ」
「どんな生き方をしてもいい。けど自己責任で」

いろいろ考えられる。

まあ「自己責任」が一番スッキリする解釈かもしれない。キリギリス的生き方だって認められていい。けど、アリに助けてもらうことが前提となると、それは違う。アリに助けてもらうことが前提の自由は、やはり不公平だ。

そう言えば、アメリカのある州では、金持ち(高所得者、資産持ち)が集まり、自分たちで自分たちが納めた税金の使い方を決め、低所得者を排除する街がある。

が、高所得者の言い分も分かる。
「自分たちは、低所得者を養うために存在しているのではない。自分たちに還元がなく、ただただ自分の稼ぎをごっそり取られるだけ、これは不公平だ」と。

人間、聖人にはなれない。

共産主義が壊れたのは、あまりに「理想」を求めたからかもしれない。

日本の国民年金制度だって、生活保護制度に較べたら、あまりに不公平だ。
資産がない人は、年金など納めず、老後は生活保護に頼った方がずっといい。
資産がある場合、年金を納めず、資産を食いつぶし、生活保護に頼ればいい。

そういえば、生活保護を担当する職員がぼやいている日記を見た。

生活保護受給者は、そのまんまの額をもらえる。天引きがない。
そして、いろんな手当てがつき、医療費も無料、ほかNHK受信料、水道料金基本料も。
病院へ通うタクシー代も出る。

生活保護受給者に子どもがいる場合、完全にその職員の給料を上回る。
職員の給料は、税金や保険の天引きがあり、その差に愕然とするらしい。おまけに職員は普通に医療費を払うし、NHK受信料も水道料金も払う。

弱者っていいなあ(弱者の権利を獲得できた既得権益者って得だなあ)と思ってしまい、不平が出てしまう。

それが人間・・・かもしれない。

弱者を救うため、どれくらいのお金をかけるか、弱者ではない人からどれくらい負担させるのか。

おそらく、ほんとうのお金持ち(資産家)は、ありとあらゆる手段を使い、さほど税金を納めないですむようにしているかもしれない。税率の低い海外に逃げることもできる。

結局、ターゲットになるのは、中間層、普通の庶民だ。
コツコツ働くアリさんである。

イソップのアリは富豪ではない。
コツコツ働き、やっと生活している普通の庶民だ。

分け与えることのむずかしさ。
余裕があるわけでもない中、恵まれない他者に分け与えることが人はできる立派だ。
ただ、言えるのは、「それを強要することはできない。分け与えない者を非難し、悪人に仕立てるのはいけない」と。
(ま、国家・社会という枠組みの中で、税として徴収され、恵まれない人へ分配されるということで、全く分け与えない『イソップ原作のアリ的な生き方』をしている人はいない)


さてさて、これでは前回と同じことを話しているだけではないか・・・ということで、今回はちょっと視点を変えてみる^^

そう、アリ的生き方、つまり将来を安心して暮らすために、今はせっせと働く生き方が本当にいいのか? いや、その「コツコツ働くこと」が楽しく、充実しているのであればいいのだけど、もし「ガマンしてやっている」「仕方なくやっている」のだとしたら・・・将来のために今をガマンしている、今を犠牲にしているのだとしたら・・・

そんなの馬鹿げた生き方である、今を生きよう、将来のためにどんなに備えたところで、将来はどうなるか分からない、そんな不確かな将来のために今を犠牲にするなんてやめようよ、過去を振り返るのも時間の無駄だが、将来を不安がるのも時間の無駄、貯金より自分に投資、今を充実させよう、今を楽しく生きよう。

・・・というようなことが、ホリエモン堀江貴文氏)の「ゼロ」に書かれてあった。
ほかのホリエモンのインタビュー記事の中でも、よく見かけるホリエモンの意見だ。

そんなわけで、今を楽しく、今を生きるということでは、キリギリス的生き方のほうが「ホリエモン的生き方」に近いかも。

ただしホリエモンは「自由に働きたい人」「自分の仕事がしたい人」である。
なので、ここでは「キリギリス的」は「遊んで暮らすというより、自分の思うがままに自由に生きる」という意味で使う。

もしもアリが「自分の思うがままに、好きなように仕事をし、稼いでいた」としたら、キリギリスを助けたかもしれない。
助ける、という行為は、余裕がないとできない。物質的(経済的)」にも精神的にも。

イソップのアリはあくまで「我慢して働いていた」「本当はしたくないけど、老後(冬)を安心して過ごしたいので、今(夏)を犠牲にし、仕方なく労働をした」のだろう。そうしてやっと貯めたものを、自由に自分の思うがままに生きた者に分け与える、ということはなかなかできない。

一方、キリギリスは将来のために備えることなく、死んでしまうけど、夏は自分の思うがままに生きたのだ。
アリ的生き方をしても、100パーセント安全安心というわけではない。将来のためにと貯めたものがなくなることもあるのだ。結局、キリギリスと同じ運命をたどることになるかもしれない。

まあ、全く将来を考えない生き方はできないが、将来のために今を犠牲にする、我慢する生き方はあまりしないようにしたい、と「ゼロ」を読んで思った。

そういえば、学校の勉強も大好きならばいいが、もし辛くて我慢して無理してやっているのだとしたら・・・今を犠牲にしているということになる。
学校の勉強は、将来、いい大学に入るため、であり、それは将来、いい会社(安定した職、高給職)に入るためであり、将来、(経済的に)豊かな老後を過ごすためだったとしたら・・・
いや、たしかに将来、経済的に豊かな老後を過ごせるか分からないよなあ。その前に死んでしまうかもしれないし。年金も社会保障もどうなるか分からないし。そもそもいい会社に入っても、その会社はつぶれるかもしれない。

今やりたいことを、めいっぱいやる。もち生活が成り立たないほど、はまってしまうのは問題だけど、かろうじて生活が成り立つのであれば、自分の思うがままに生きたほうがいいかもしれない。

と「イソップ童話」から、ひょっとして「キリギリスのほうが幸せかも」と思ってしまった。

ならば、我慢して生きてきた苦労したアリに、思う存分楽しく幸せに生きたキリギリスを救う道理などないよあ、とも。

ああ、しかし「プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n1557cj/ の主人公セイヤ君および「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ の静也君は筋金入りの安定志向・・・なので公務員をめざし、公務員になり、妻のリサ(理沙)と共に、節約生活に励み、貯金に励み、そんな生き方をしている^^;

ただ、「プライオリティ」のセイヤ君は、貯金である程度の資金をつくり、そこから投資をし、資産を作っていくのだけど(シーズン4にて。ただし、その理由は別にあるのだ)・・・
そう、ただ銀行に預けるだけでは資産は増えていかない。ホリエモンの言うとおり、頭を使った投資で増やすしかないのだ・・・

そんなわけで「イソップ物語」も「ゼロ」も、『人間の生き方』という視点でみると、テーマにつながりあるなあ、と思ってしまったのだ。

で、いつものごとく「プライオリティ」にもつなげる・・・あざといハヤシでした。

いや、けど結局、創作物語って作者の考えが反映されてしまうよなあ。だから、その作者に影響を与えたものに、つながっていくのだ。

ということで、ご興味もった方「プライオリティ http://ncode.syosetu.com/n1557cj/よろしくお願いします^^;

現在、シーズン4の第1章までアップ。
子どもの臓器売買、えげつなく黒い事件、残酷で救いのない事件にセイヤとリサはどう動くのか・・・が、シーズン4のテーマになります。

シーズンごとに話は解決しますが、いちおうシーズン3で大きな一区切りつきます。シーズン1や2の伏線もここでほぼ回収。

 シーズン1は恋愛要素あり。主人公とヒロインの心の物語が中心。敵の正体や思惑も明らかに。
 シーズン2は対工作員・謀略策略戦。狙われる主人公たち。
 シーズン3はテロ戦争・戦闘・銃撃戦。首相も登場。国の存亡をかけた作戦とは。
 シーズン4は国に見放された少年少女工作員との闘い。そして政界で謀略策略が。本当の黒幕は?

プライオリティ」pixivでもやってます 。
1~9→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062
10~19→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2

シーズン4はこちらから始まります。
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=3

日本文化や風習をテーマにしたコメディ短編集「パラレル・プライオリティ日本編」はこちらです。
「小説家になろう」サイトhttp://ncode.syosetu.com/n2006cl/
「ピクシブ」サイトhttp://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4703688

※ところで、ブログもそうだけど、あちこち「おかしな文法、文章」で、気づかず、そのままアップしてしまうことがけっこう多い・・・反省しつつも、同じ過ちを繰り返してしまうんだよなあ。誤字脱字も、後から気づいた時に、訂正してます。

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ハヤシ

Author:ハヤシ
2003年から8年間、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)のサイトで、マンガ「ショパン物語」を連載してました。

商業誌でマンガ連載経験あり。

主な作品 
「音吉君のピアノ物語」(小学館・少年サンデー) 
「ご令嬢金崎麗子」(集英社・スーパージャンプ) 
「スカイプレイ」(秋田書店・ヤングチャンピオン)
ほか読み切り多数。

ちなみに「音吉君のピアノ物語」(全6巻)が欲しい方はこちらへどうぞ↓
小学館コミックス「音吉君のピアノ物語」オンデマンドのページ

書き下ろしピアノ漫画「ピアニスト」(彩図社)は現在、中古本としてアマゾンなどで流通。

このブログでは、ピアノ、ショパンネタ、マンガ・物語創作、作品感想、社会ネタ考察記事を書いてます。
RPG「クロノトリガー」に、はまったので、「クロノ関連ネタ」もあります。

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○ハヤシの過去のHP(凍結)

クロノ曲ピアノアレンジ、イラスト、二次創作物語、クロノ関連雑記などを保管したHP↓
「クロノトリガーとドラゴンクエスト」

マンガやピアノなどについての過去の雑記があるHP↓
「マンガとピアノの道」

ハヤシのピアノ演奏録音↓
「クロノ曲」ピアノアレンジ
「ショパン」の曲


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