ハヤシのブログ

物語創作、ピアノ・ショパン、漫画、クロノトリガー、社会問題などについて語ります。

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近所の
あっと言う間に、が8分咲き。満開まですぐ、となりました。

ということで、
日本文化と風習をテーマにしたハートフル・コメディ短編集「パラレル・プライオリティ日本編」では、9編目「お花見尽くしの休日」をアップしました。

「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/9/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5100379

静也と理沙のづくしの素敵な休日。サクラの由来、桜餅桜茶桜御飯桜湯などなど、桜に因んだ雑学も満載。ほっこり小さな幸せ話。

お話には、桜餅はもちろん、みたらし団子、お稲荷さん、太巻き、天丼、炊き込みご飯などなど、食べ物もでてくるのですが、書いている時、そういったものが食べたくなり、非常に困りました。
書いている(描いている)時だけではなく、そういったシーンを小説や漫画で読んだり、テレビや映画で見たりしても、食べたくなりますよねえ^^;

天丼は、「てんや」に行って食べた(物語上にも「天や」として出てくる・・・^^;)
桜餅も。今もまだ家にあるで。
おいなりさんは・・・なんと、うちの近くにあった『小僧寿し』が閉店してしまい、気軽にお寿司を買えるところがなくなり、仕方ないので、家で作った^^;
揚げを、醤油と砂糖で煮て、中身のご飯は「寿司太郎」を利用し、混ぜご飯。ちょいと寂しいので、甘辛く煮たシイタケ入れて、ゴマもふりかけ、それを揚げで包んで、お腹いっぱい食べましたとも。

ちなみにコンビニなどで売っているのは、あまり好きではない。やっぱり専門店のがいいよなあ。
作者の好みは、そのまま物語上にも表れてしまう^^・・・理沙と静也夫婦はおにぎりはともかく、コンビニ弁当には手を出さないだろう^^;

こういった「幸せ物語」にはお料理、食べ物シーンが欠かせませんっ。
静也と理沙にも旨いものを食べさせてあげたい、と作者ながらに思ってしまう。

って、静也と理沙は実在しない自分の頭の中で作りあげたキャラだが・・・。
物語を創作している人は分かってくれるよね。自分が作ったキャラを実在する人物のように思ってしまうことがあるってことを。

んで、できれば幸せになってもらいたい、と。

しかし、おそらく一般の人から見たら、そういう行為を「気持ち悪い」「オタク」と思うのだろうな・・・いや、でも「オタク」も、わりと認められつつある時代となったのだし、はまらなければ、一次にしろ二次にしろ創作活動はできないよね・・・^^;

ま、静也と理沙は、あまり極端な性格にせず、実際にいるかもしれないキャラクターづくりにしてあるし。

なので、『キャラが立ってない』かもしれないが・・・私は、歳のせいか、あまり極端なキャラには、はまれなくなってしまった・・・こんなヤツ、いるわけない、と白けてしまうのだ。


実は、極端な「ツンデレ」は苦手だ・・・なんだか「ただの粗暴な人」「失礼なヤツ」にしか見えず、現実にいたら、どんなに美人で可愛くても、どんなにイケメンでも、引いてしまう^^;
ま、漫画やラノベに出てくる強烈な「ツンデレ」は、現実にはいない。そんなことしたら人間関係破たんする、というか、結べない。
クロノトリガーのルッカあたりまでが、私にとってちょうどいい「ツンデレ」だ^^;

キャラを立てるって、難しいよな、と思いつつも、結局、作り手がはまれるかどうか、なんだよなあ。
(テレビドラマ『デート』もはまれなかった。けど周囲はキャラが立っている、おもしろい、と評判だから、私の感性が、世間と離れてしまっているのかもしれない)

「パラレル~」は自分が思う「こんな夫婦、カップル、いたらいいよなあ」「こんな生き方もいいかもなあ」というのを描いていきます。

理想は、静也と理沙夫婦みたいな「たまに風情を楽しむ暮らし」ができたらと思うものの、実際は「面倒だし、ま、いいか」となりがちだ^^;
けど、健康的な食事というのは自分も実践しているそ。(作者の理想=憧れと現実=経験って、物語に反映されるものかもしれない)

夫婦でもカップルでも友達でも、完成がある程度一致し、そういったことが一緒に楽しめるパートナーがいたらいいよね、ということで。

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前回の続きと言えば続き。

イソップ童話の「アリとキリギリス」について。
日本で出回っている話は、遊び暮らして何の貯えもしていないキリギリスを、遊びもせずコツコツ働いて貯えをしていたアリが、助けてやって、めでたしめでたし・・・だけど。

原作は、アリは助けず、キリギリスは死んでしまう。

アリを冷酷と捉えるか、それとも「仕方ないよね」と捉えるか。

この物語が訴えたいことは何だったのか・・・

「将来に備えないと、キリギリスのようなことになるよ」
「アリのように世間は助けてくれない。冷たいよ」
「どんな生き方をしてもいい。けど自己責任で」

いろいろ考えられる。

まあ「自己責任」が一番スッキリする解釈かもしれない。キリギリス的生き方だって認められていい。けど、アリに助けてもらうことが前提となると、それは違う。アリに助けてもらうことが前提の自由は、やはり不公平だ。

そう言えば、アメリカのある州では、金持ち(高所得者、資産持ち)が集まり、自分たちで自分たちが納めた税金の使い方を決め、低所得者を排除する街がある。

が、高所得者の言い分も分かる。
「自分たちは、低所得者を養うために存在しているのではない。自分たちに還元がなく、ただただ自分の稼ぎをごっそり取られるだけ、これは不公平だ」と。

人間、聖人にはなれない。

共産主義が壊れたのは、あまりに「理想」を求めたからかもしれない。

日本の国民年金制度だって、生活保護制度に較べたら、あまりに不公平だ。
資産がない人は、年金など納めず、老後は生活保護に頼った方がずっといい。
資産がある場合、年金を納めず、資産を食いつぶし、生活保護に頼ればいい。

そういえば、生活保護を担当する職員がぼやいている日記を見た。

生活保護受給者は、そのまんまの額をもらえる。天引きがない。
そして、いろんな手当てがつき、医療費も無料、ほかNHK受信料、水道料金基本料も。
病院へ通うタクシー代も出る。

生活保護受給者に子どもがいる場合、完全にその職員の給料を上回る。
職員の給料は、税金や保険の天引きがあり、その差に愕然とするらしい。おまけに職員は普通に医療費を払うし、NHK受信料も水道料金も払う。

弱者っていいなあ(弱者の権利を獲得できた既得権益者って得だなあ)と思ってしまい、不平が出てしまう。

それが人間・・・かもしれない。

弱者を救うため、どれくらいのお金をかけるか、弱者ではない人からどれくらい負担させるのか。

おそらく、ほんとうのお金持ち(資産家)は、ありとあらゆる手段を使い、さほど税金を納めないですむようにしているかもしれない。税率の低い海外に逃げることもできる。

結局、ターゲットになるのは、中間層、普通の庶民だ。
コツコツ働くアリさんである。

イソップのアリは富豪ではない。
コツコツ働き、やっと生活している普通の庶民だ。

分け与えることのむずかしさ。
余裕があるわけでもない中、恵まれない他者に分け与えることが人はできる立派だ。
ただ、言えるのは、「それを強要することはできない。分け与えない者を非難し、悪人に仕立てるのはいけない」と。
(ま、国家・社会という枠組みの中で、税として徴収され、恵まれない人へ分配されるということで、全く分け与えない『イソップ原作のアリ的な生き方』をしている人はいない)


さてさて、これでは前回と同じことを話しているだけではないか・・・ということで、今回はちょっと視点を変えてみる^^

そう、アリ的生き方、つまり将来を安心して暮らすために、今はせっせと働く生き方が本当にいいのか? いや、その「コツコツ働くこと」が楽しく、充実しているのであればいいのだけど、もし「ガマンしてやっている」「仕方なくやっている」のだとしたら・・・将来のために今をガマンしている、今を犠牲にしているのだとしたら・・・

そんなの馬鹿げた生き方である、今を生きよう、将来のためにどんなに備えたところで、将来はどうなるか分からない、そんな不確かな将来のために今を犠牲にするなんてやめようよ、過去を振り返るのも時間の無駄だが、将来を不安がるのも時間の無駄、貯金より自分に投資、今を充実させよう、今を楽しく生きよう。

・・・というようなことが、ホリエモン堀江貴文氏)の「ゼロ」に書かれてあった。
ほかのホリエモンのインタビュー記事の中でも、よく見かけるホリエモンの意見だ。

そんなわけで、今を楽しく、今を生きるということでは、キリギリス的生き方のほうが「ホリエモン的生き方」に近いかも。

ただしホリエモンは「自由に働きたい人」「自分の仕事がしたい人」である。
なので、ここでは「キリギリス的」は「遊んで暮らすというより、自分の思うがままに自由に生きる」という意味で使う。

もしもアリが「自分の思うがままに、好きなように仕事をし、稼いでいた」としたら、キリギリスを助けたかもしれない。
助ける、という行為は、余裕がないとできない。物質的(経済的)」にも精神的にも。

イソップのアリはあくまで「我慢して働いていた」「本当はしたくないけど、老後(冬)を安心して過ごしたいので、今(夏)を犠牲にし、仕方なく労働をした」のだろう。そうしてやっと貯めたものを、自由に自分の思うがままに生きた者に分け与える、ということはなかなかできない。

一方、キリギリスは将来のために備えることなく、死んでしまうけど、夏は自分の思うがままに生きたのだ。
アリ的生き方をしても、100パーセント安全安心というわけではない。将来のためにと貯めたものがなくなることもあるのだ。結局、キリギリスと同じ運命をたどることになるかもしれない。

まあ、全く将来を考えない生き方はできないが、将来のために今を犠牲にする、我慢する生き方はあまりしないようにしたい、と「ゼロ」を読んで思った。

そういえば、学校の勉強も大好きならばいいが、もし辛くて我慢して無理してやっているのだとしたら・・・今を犠牲にしているということになる。
学校の勉強は、将来、いい大学に入るため、であり、それは将来、いい会社(安定した職、高給職)に入るためであり、将来、(経済的に)豊かな老後を過ごすためだったとしたら・・・
いや、たしかに将来、経済的に豊かな老後を過ごせるか分からないよなあ。その前に死んでしまうかもしれないし。年金も社会保障もどうなるか分からないし。そもそもいい会社に入っても、その会社はつぶれるかもしれない。

今やりたいことを、めいっぱいやる。もち生活が成り立たないほど、はまってしまうのは問題だけど、かろうじて生活が成り立つのであれば、自分の思うがままに生きたほうがいいかもしれない。

と「イソップ童話」から、ひょっとして「キリギリスのほうが幸せかも」と思ってしまった。

ならば、我慢して生きてきた苦労したアリに、思う存分楽しく幸せに生きたキリギリスを救う道理などないよあ、とも。

ああ、しかし「プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n1557cj/ の主人公セイヤ君および「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ の静也君は筋金入りの安定志向・・・なので公務員をめざし、公務員になり、妻のリサ(理沙)と共に、節約生活に励み、貯金に励み、そんな生き方をしている^^;

ただ、「プライオリティ」のセイヤ君は、貯金である程度の資金をつくり、そこから投資をし、資産を作っていくのだけど(シーズン4にて。ただし、その理由は別にあるのだ)・・・
そう、ただ銀行に預けるだけでは資産は増えていかない。ホリエモンの言うとおり、頭を使った投資で増やすしかないのだ・・・

そんなわけで「イソップ物語」も「ゼロ」も、『人間の生き方』という視点でみると、テーマにつながりあるなあ、と思ってしまったのだ。

で、いつものごとく「プライオリティ」にもつなげる・・・あざといハヤシでした。

いや、けど結局、創作物語って作者の考えが反映されてしまうよなあ。だから、その作者に影響を与えたものに、つながっていくのだ。

ということで、ご興味もった方「プライオリティ http://ncode.syosetu.com/n1557cj/よろしくお願いします^^;

現在、シーズン4の第1章までアップ。
子どもの臓器売買、えげつなく黒い事件、残酷で救いのない事件にセイヤとリサはどう動くのか・・・が、シーズン4のテーマになります。

シーズンごとに話は解決しますが、いちおうシーズン3で大きな一区切りつきます。シーズン1や2の伏線もここでほぼ回収。

 シーズン1は恋愛要素あり。主人公とヒロインの心の物語が中心。敵の正体や思惑も明らかに。
 シーズン2は対工作員・謀略策略戦。狙われる主人公たち。
 シーズン3はテロ戦争・戦闘・銃撃戦。首相も登場。国の存亡をかけた作戦とは。
 シーズン4は国に見放された少年少女工作員との闘い。そして政界で謀略策略が。本当の黒幕は?

プライオリティ」pixivでもやってます 。
1~9→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062
10~19→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2

シーズン4はこちらから始まります。
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=3

日本文化や風習をテーマにしたコメディ短編集「パラレル・プライオリティ日本編」はこちらです。
「小説家になろう」サイトhttp://ncode.syosetu.com/n2006cl/
「ピクシブ」サイトhttp://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4703688

※ところで、ブログもそうだけど、あちこち「おかしな文法、文章」で、気づかず、そのままアップしてしまうことがけっこう多い・・・反省しつつも、同じ過ちを繰り返してしまうんだよなあ。誤字脱字も、後から気づいた時に、訂正してます。

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イソップ童話の「アリとキリギリス」について書かれた古賀史健氏の『ノート』を読んで、違和感もった。
餓死してしまうキリギリスよりも、冷酷に捉えられてしまうアリに同情してしまった。

まずは、古賀史健氏の『ノート』より転載。

・・・・・・・・・・

春から夏のあたたかい季節、バイオリンを弾きながら歌をうたって遊んで暮らすキリギリス。計画性のかけらもないまま放蕩のかぎりをつくす、駄目な若者の象徴です。

一方のアリたちは、冬にそなえてせっせと食べものやら資材を集め、備蓄に励みます。まじめで堅実な働き者、といったところでしょう。

「いやいや精が出るねえ。こんなに気持ちのいい青空なんだ。きみたちも少しは歌ったらどうだい?」。キリギリスはからからと笑います。

そして寒い冬がやってきたとき。煌々としたあかりのともる自宅で暖炉を囲み、一家団らんするアリの前に、一匹のキリギリスが現れます。あんなにおしゃれだった服もぼろぼろになり、見違えるほどに痩せ細ったキリギリス。

冬になって食べものがとれなくなった彼は、アリに懇願するわけです。「おなかがすいて死にそうだ。なんでもいいから、食べものをわけてくれないか?」。

アリの返事は、こうでした。
「夏は歌っていたんだから、冬は踊ってみたらどうだい?」

自分の冗談にへへっと笑い、ドアを閉めるアリ。寒空のなか凍死するキリギリス。THE END。


犬にも劣るアリ畜生、とはこのことでしょう。
この童話からぼくが学んだ教訓といえば「計画性は大事だよね」でも「やっぱりコツコツ働かなきゃね」でもなく、ただただ「真面目であることと善人であることは、まったく別の資質だ」のひと言につきるような気がします。

いや、これって笑い話としてクローズするものでもなくって、真面目なひとって、いつのまにか自分に「善」をくっつけるじゃないですか。
あるいはまわりも、真面目なひとを見たら無意識のうちに「善」とセットで考えてしまう。

コツコツと真面目であることは、立派なことではあるけれど、決して「善」とは限らない。きょうみたいに肌寒い日になると思い出す、イソップの教えです。


・・・・・・・・・・
転載終わり。

これを読んだハヤシの個人的感想

まず古賀氏は「真面目=善とは限らない」ということを言いたかったのだろう。それには同意。

ただ・・・アリは「犬にも劣る畜生」なのか?
もちろん「善」でもないが。

キリギリスを助けないアリを犬畜生呼ばわりすることについて、違和感もった。
と言う私も「相当嫌なヤツ」「冷たいヤツ」だが。

基本的に、アリに、キリギリスを助ける義理はない。
だって、遊ばずに真面目にコツコツ働いてきたその対価を、働きもせず遊んできたキリギリスに分けろ、というのは、アリにとってみれば「何で自分が?」でだろう。ごく普通の反応だ。

アリは、冬も安心して暮らせるように、遊びもせず、コツコツと細く長く、そういう生き方をしたまで。安定を選んだだけのこと。
キリギリスは、自分の思うように、人生?を謳歌し、太く短く生きたまで。安定よりも自由気ままを選んだだけのこと。

それぞれ違う生き方をしただけ。

アリの働いてきた分け前を、働かなかったキリギリスに分けろ、というのは、アリにとっては不公平なことだろう、と。
(キリギリスが体が悪くて働けなかった、弱者、というわけではないのだ。)

そう、アリは夏の間も遊ぶことなく、コツコツと働かなくてはならない=あまり余裕がない暮らし、だったのだ。
余裕のない働き者が、やっと貯めたものを、関係のない他者に分け与えることなど、なかなかできない。

アリだって、遊びながら余裕で貯めたものであれば、分け与えたかもしれない。

アリとキリギリスは、価値観が違う、違う種族、と考えていい。
アリが助けたところで、キリギリスが『アリを見習って、冬を越すために働こう』と反省することはない気がする。夏になれば、また遊び暮らし、冬になったら「アリに助けてもらえばいいや」ということになる。

キリギリスに自由があったように、アリにも自由がある。助けない自由もあるのだ。
自由と責任はセットということで、アリは、キリギリスに「自己責任を求めた」だけのこと。

『自己責任』という言葉、ある人たちは「冷たい」と言い、助けるのが当たり前だ、というけれど。
一方的に『善人であること』を押し付けるのも、なんだかなあ。

もちろん、キリギリスの生き方も否定しているわけではなく、それぞれの生き方を認めればいいということだ。ただし認める=助ける、ではない。

助けることを強要すれば、真面目に生きる人がバカを見る=損をする、になってしまい、真面目なアリへの差別にもつながる。

助ける助けないはアリの自由。それを非難する権利は誰にもない。

ま、真面目を善と捉えがちな世の中に対して、「真面目=善じゃないよ」ということを、古賀史健氏は言いたかったのだろうけれど、「アリ=冷たい=犬畜生=悪」という図式が見えてしまったので、ちょっと違和感もったということで。

それに、「真面目=善」どころか「真面目=つまらない」と捉え、見下していた時代もあったのだ。(少なくとも私はそう感じていた)

バブル時代、こういう考え、価値観を持つ人は多かった気がする。「真面目」であることをバカにする風潮があった。「真面目=つまらないヤツ」ということで、「真面目」と言う言葉はマイナスイメージに捉われていた。

バブル時代はキリギリスがもてはやされ、アリは見下されていた。

真面目と言われることは、褒め言葉ではなく、巧妙な「けなし言葉」だったのだ。
真面目と言われたくなかった人、劣等感持っていた人、けっこう多かったのでは、と推察する。(少なくとも私は「真面目」と言われたくなかった)

ま、真面目な人もそうでない人も、自分がコツコツとやっと貯めてきた分け前を、助ける義理もない遊び人にやりたくないと思うのが、普通の人間。

「いや、私は助ける、それが人間だ」と言う心優しい人もいるかもしれないが、他者にそれを押し付けた時点で(=善をおこなわない他者を批判した時点で)、それは「優しい人」ではなく「正義をふりまわす傲慢な人」になってしまうかも。

「善であることを押し付ける左派」にも不信感を持っている私としては、こういった「善を押し付け、それを拒否すると悪に仕立て上げること」にどうしても違和感を持ってしまう。
そう今まで、左派がやってきたことが、まさに「善であることを押し付け、拒否すると悪に仕立てること」だったから。

そういった善なる人に、悪に仕立て上げられる「遊ぶことなく働きづめ=余裕のない真面目なアリ」が、ちょっとかわいそうになったのだ。
でも、そう疑問を持つ私もきっと「犬にも劣る畜生」「冷血人間」「悪」なのかもしれないが。

と、毒を吐いてしまうのも、私もバブル時代、下に見られていた『真面目な人』だったからだろう^^;

・・・・・・・

さて、なぜこのような古賀氏の記事を見つけたか、というと「コルク」の佐渡島庸平氏(漫画編集者)のツイートにのっていたから、なのだけど、もうひとつ・・・ホリエモン(堀江貴文)の著書「ゼロ」に、構成としてこの古賀史健氏の名前がのっていて、興味持ったからチェックしてみた、という次第。
ちなみに、佐渡島さんも協力として、「ゼロ」に名前がのっている。

で、「ゼロ」については・・・おもしろく読み、頷かされるところ、刺激を受けたところが多々あり、ホリエモンの意外な一面を見た気がした。が、あまりにも今までのホリエモンのイメージと違い・・・ひょっとして、ゴーストライターが書いたのかな? とも思ってしまった。で、古賀氏はライターでもあるので、古賀氏が関わったかも、と邪推してしまったのだ^^;

↓その「ゼロ」を読んで、なるほどと思ったところ。
【貯金がないと不安だと思う人は、自信のない人】
【自信がないから将来が不安になり、貯金で穴埋めしようとする】

私も貯金派だ^^;
で、投資をする才覚もないし、億劫だから、リスクが一番低そうな貯金にしておく。
ホリエモンが言うように、貯金は、何も考えないで済む。お金を銀行に預けておくだけでいいのだから、ラクだ。

そして、ホリエモンの言う【貯金するより、自分に投資しよう】・・・たしかにそのほうが、人生が充実し、楽しくワクワク暮らせるだろう。

けど、私の場合、自分をあまり信じていないので、自分に投資しようなどと思わない^^;
自分に投資しても、リターンが得られないと思うので、貯金する。

貯金はリターンは少ないが、目減りすることは、日本がつぶれない限りない。ま、円の価値が下がり、国際的に目減りすることはあるだろうけれど、私が生きている間は、何とか円の価値を保ってほしい、という他力本願で行っている^^;

いやいや、自分に投資して何も得られない可能性と、日本の円が暴落し価値がなくなる可能性、どっちが高いかと言えば、自分に投資してリターンが得られない可能性の方が圧倒的に高いだろう。

ま、それだけ自信がない=自分を信用していない、ということになるのだけど、こればかりは「心根の問題」なので仕方ない。私は基本、「生きていてごめんなさい」的な自分が認められないマイナス思考の人間なのだ。

生きていてゴメン、と思うものの、自殺することもできず、中途半端な人間。けど、割とそういう人、多いのでは、と思う。

とは言っても、死ぬのを待つだけでは退屈なので、自分に投資ではなく、自分が楽しく過ごせることには多少のお金をかける。
たとえば、このネットをするのに必要な費用、イラストを描くのに必要な費用(でも紙と色鉛筆とペン、消しゴムさえあればいいので、大した費用ではない)、それくらいかな。
インドア派なので、趣味にはほとんどお金はかからない。ま、他者から見たら、かなり「つまらない人間」だろうな^^;

上記に「真面目な人=つまらない人」と捉える人が多いと書いたが、「つまらない人=自信のない人」かもしれない

ああ、自信ないから、余裕がない、よって善人になれないのかも^^;

いや、善人を否定しているわけではなく、善人は偉いと思う。ただ、自分には真似できない、そういうことだ。

けど「ゼロ」はおもしろかった。おすすめ。私のような者でも元気を得られる。


私は善人ではないが、人様に迷惑をかけずに、ということは考える。

で、その上で、楽しく快適に生きられたら、と。せめて貯金し、それが実現できるよう、んで、できればラクに、ポックリと、この世とおさらばでいたらいいなと^^;(ただポックリは難しいのだろう。長患いすれば金がかかる…そのための貯金だ)

ま、私自身はつまらない人間だが、創作物語・イラストは「おもしろいものであってほしい」と思いながら、ネット活動しているのだ^^;
おそらく、この活動は人様にそう迷惑をかけていないはずだ。

と、そんなわけで「プライオリティ」および「パラレル・プライオリティ日本編」をよろしくお願いします。
(結局、ここにつなげるんかい・・・いや、このブログ、宣伝のために続けている、と言っても過言ではないのだ・・・生温かく見守ってやってください^^;)

「プライオリティ」
http://ncode.syosetu.com/n1557cj/

現在、シーズン4の第1章までアップ。
子どもの臓器売買、えげつなく黒い事件、残酷で救いのない事件にセイヤとリサはどう動くのか・・・が、シーズン4のテーマになります。

シーズンごとに話は解決しますが、いちおうシーズン3で大きな一区切りつきます。シーズン1や2の伏線もここでほぼ回収。

 シーズン1は恋愛要素あり。主人公とヒロインの心の物語が中心。敵の正体や思惑も明らかに。
 シーズン2は対工作員・謀略策略戦。狙われる主人公たち。
 シーズン3はテロ戦争・戦闘・銃撃戦。首相も登場。国の存亡をかけた作戦とは。
 シーズン4は国に見放された少年少女工作員との闘い。そして政界で謀略策略が。本当の黒幕は?

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シーズン4はこちらから始まります。
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日本文化や風習をテーマにしたコメディ短編集「パラレル・プライオリティ日本編」
「小説家になろう」サイトhttp://ncode.syosetu.com/n2006cl/
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前回、少女(小中学生)が妊娠し、結局、苦しんで出産して、皆からも祝福されて、ハッピーエンド・・・テーマは命♪ でも、その後の子育てには触れない・・・というドラマや漫画の話に触れたけど・・・

ああ、よく考えてみたら、これって「無責任な左派的きれいごと物語」だなと思った。

せっかく宿った命、中絶は殺人、命は大切に、だから産もう・・・もちろん、これは善であり、正義である。

が、その後の我慢を強いられる子育てについては触れない。
触れたとしても、『周囲の協力もあって、上手くいってます。少女ママも少年パパも仲良く子ども育ててます』『子ども、元気に成長しました』と、サラッと描く程度。

『非現実的ご都合主義な無責任エンタメ』ということで、私はああいった物語は感動もしないし、『命を大切に』というメッセージにも、「じゃあ、その後の子育てを描こうよ。そっちが大事じゃん」と思ってしまう。

そう・・・『非現実的』『無責任』『きれいごと』といえば左派だよなあ、と今にして思ってしまった^^;

現実には、少女ママも少年パパも我慢できるはずがなく、子育ての責任を負えるはずもなく、育児放棄する可能性が高い。とくに少年パパ。

小中学生はもちろん、高校生でも、まあ、ほとんどは我慢できないと思う。

まだまだ遊びたい盛り。
大人のパパでさえ、妻と子を捨て、責任を果たさない者もいる。
だから現実的には、育てる環境になく、自信がなければ中絶するだろう。

少女ママに産ませて、命大切メッセを込めるのであれば・・・産んでみたものの、でも育てられず、少年パパは家族を捨ててしまい、結局、子どもは養護施設へ・・・
それでも産んだことは正しい、「命、大切メッセージ」を込めました、養護施設に行ったからって不幸とは限らない、というところまで描いてほしいよな・・・

少女ママ少年パパが仲良く子育て、子どもは無事に成長・・・は非現実的。
大人のママやパパでさえ「産後クライシス」という言葉があるくらい難しいのに。

けれど・・・少女が、子は産んだものの、親の責任放棄・・・これは「正義」で「善」なのだろうか。これでも「命大切メッセージ」となるのか?

つまり、絶対正義、絶対善、絶対平和・・・ありえないということだ。

もちろん『命は大切だ、その後、育てることができず、その子どもが養護施設に行ったとしてもそれはそれでいい。中絶して命を奪うよりはいい、まず産むことこそ正義」という意見の人もいるかもしれないけど。

そういえば「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ も静也と理沙は児童養護施設育ちという設定になっているっけ・・・
(保護者を亡くしたため、施設に入った。虐待や育児放棄されたからではない)

親がいなくても子は育つ、という言葉はあるものの、難しい。
もち、不幸になるとは限らないし、物語上では現在、静也と理沙は幸せである。

だからといって、育児放棄は大した問題じゃない、育てられないなら養護施設へ、親がなくても子は育つ、とも簡単には言えないし。

が、養護施設で育つ=不幸、と決めつけるのもよくない。

『命大切』という単純なものではなく、こういったことこそ追求してほしいよなあ。

というわけで『少女が出産、感動、ハッピーエンド』という物語にうすっぺらさを感じてしまうのだ。
つまりうすっぺらい、きれいごと、非現実的・・・って左派的思考に似ているな、と^^;

ま、「絶対正義」「絶対善」だけは描くまい、とは思っているものの、
私も「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ では、毎回、サラッと「いい話」で終わらせている^^;

※5編目「年賀状―人間関係って難しい」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/5/ だけは、ちょっと黒い部分も描いたけど。人間関係がテーマだったんで^^;


少女の出産話を描くとしたら・・・結局、育てることができず、子どもは養護施設へ、けど、その子どもは不幸になるとは限らない、そういう描き方がいいのかな。

もち、子どもを産んだ少女のお母さん(おばあちゃん)が、少女の産んだ子供を育て、お父さん(おじいちゃん)が経済的面倒を見て、家族全員で育てる、という話もありである。少女は結局、少年パパではなく、自分の両親に頼り、子育ての責任はほとんど自分の両親にとってもらう、ということになるが。
が、それも結局、元気な両親がいて、出産に理解を示した場合のみ可能な話である。

そして「少女、出産頑張った、偉いね」で終わらず、「責任とれずカッコ悪いね」ということになるが。ま、そもそも人間、かっこよく生きられるとは限らない。カッコ悪くていいのだ。

「パラレル~」でもカッコ悪い主人公たちの姿も描いてみたい。
ちなみに「プライオリティ」では、悪の要素を持つ主人公を描いているが・・・

その「プライオリティ」はシーズン4に入り、プロローグでは少女工作員サラの独白から始まります。
http://ncode.syosetu.com/n1557cj/96/
「売られる子ども」

けど第1章に入ると、セイヤとリサのおバカな微笑ましい夫婦生活も描かれ、コメディ要素もけっこう入ります。
が、第2章からは再び悲劇が・・・という感じです。

シーズン3では謎だったシベリカ工作員少女サラのことが徐々に明らかに。
シーズン4は少女サラにまつわる話、犯罪、事件が起き、そこにトウア国の政界が絡みます。

前回の国会襲撃事件も関わってきます。
ミスズも再び登場。
もちろん、少年工作員キリルも。
そしてクジョウ首相も。

新キャラは、政治家および政治関係者、数名。そして子ども1名。

子どもの臓器売買、えげつなく黒い事件、残酷で救いのない事件にセイヤとリサはどう動くのか・・・が、シーズン4のテーマになります。

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10~19→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2

シーズン4はこちらから始まります。
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=3


一方、次回の「パラレル~」9編目は「お花見」がテーマ。
大きな感動はないけれど、ほのぼのハートフルなお話です。

ソメイヨシノ以外の桜はけっこう真っ盛り^^
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昨日、撮った大寒桜です。
「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/では、桜をテーマに、9編目を更新予定。
早くソメイヨシノ、開花しないかなあ。開花したら、9編目アップします。

さてさて体力落ちから、疲れがとれず、ゆっくり休む。
気兼ねなく休める環境に、ホッとする。

けど、小さいお子さんがいる家庭では、そんなわけにいかないだろう。とくに赤ちゃんの時は24時間365日休みなし。睡眠時間も2時間とか、ほとんどとれない。(ま、赤ちゃんによって違うのだろうけど)
もちろん、赤ちゃんの面倒をみるママはちょっと疲れた程度で休めない。

ま、本当の病気になってしまえば、子どもにウイルスや菌を移すわけにもいかないし、周囲もサポートしてくれるだろうけど(周囲のサポートが得られない時は、本当にキツイよな)

お母さんも疲れているけど、お父さんもお仕事で疲れている。けど子どもは休ませてくれない。

子育ては若い元気な時でないと相当キツイ、と言われるゆえんだ。
なので「やっぱり20代で」とも囁かれる。

パパも育児をママと折半、となると、体力のある若いうちに、となるのだろうな。
もち、家事育児は妻任せの男性も未だ多いだろうけれど。

仕事と育児と両立できるのか・・・これからは女性だけでなく、男性にも問われ始める?

だとすると、結婚出産に慎重になる若者が増えて当然のような気もする。

子育ては経済的にも大変だが、時間的に自由がほぼなくなる。

もちろん、「子育てにエネルギーかけたい、ほかのことはどうでもいい」「子育てプライオリティ1番」「子育てこそわが人生」と心の底から思える人は、子どものことに自分の全ての時間=エネルギーをかけることは、苦ではないだろうけれど。

そんなわけで「産後クライシス」という言葉に、頷いてしまう。
中には耐えられない人も出てくるだろうな、と。
「子ども」によっても「大変さ」は違うだろうし。
アレルギーを持っていたり、病気がちだったり、発達障害など、様々な問題を抱えることもあるだろう。

そういえば、昔・・・漫画やドラマでは、中高生が妊娠し、悩むが、結局産むことにし、「出産するまで」が描かれる作品が話題になったことがあったけど、それから後のの育児=『本当に大変なこと』が描かれないよなあ。

古くは「金八先生」、これも古くなったが「14歳の母」、漫画では、さそうあきらの「コドモのコドモ」(こちらは小5で産む)
・・・いや、まあ、みんな古い作品だな。

ハッピーエンドで終わるけど、「これからが大変なのに、小学生や中学生のママとパパが責任もって育児できるわけないよなあ」と、覚めた目で見てしまう。

これら作品が生まれた昔、世間様は初エッチの低年齢化を憂えていた気がしたけど、
今は、「若者が恋愛しない、セックスしない」とさわぎ、初エッチ高年齢化を心配しているみたい。

いや、若者にはいろんな人がいて、早い人は早いだろうし、皆が皆、セックスが好き、本当に好きな人がいるならともかく、セックスだけ早くやりたいわけでもないだろう。恋愛することを優先順位の下位におく人もいるだろう。
妊娠も責任持てない、避妊は100パーセントではない、ということで性交渉に消極的な人もある程度いるのは、健全なことだと思うけど。

絶食化と問題にしてみたり、「中年童貞」という言葉を作り、嘲りの色を忍ばせながら問題人物のように扱ったり・・・
世間は、「多様化が大事」と言う割には、人の生き方をひとつの型にはめるのが大好きで、そこから外れる人間を「社会問題化」し、バカにし、嘲り、見下す空気をつくるのが得意のよう。

そういう空気を作り、世間が考える「困る生き方をする人間」に圧力をかけ、世間にとって困る生き方をする人間を減らしていこうということか。
だとしたら、巧妙に人権侵害、仕掛けているな。

物語「プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n1557cj/ でもテーマにしてるけど、本当の悪は「世間」だと思う。

pixivでもやってます
1~9→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062
10~19→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2

シーズン4はこちらから始まります。
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=3


世間が良しと思う生き方(こう生きたほうがいいと考えられる生き方)
・・・高校から恋愛をし、大学生で初エッチをし、恋愛経験を積み、結婚し、子どもをもつこと(なお、女性は仕事を続けること)・・・なのかな?

いやあ、何だか大変そうだ・・・

現実問題、体力があり伸びしろのある若い時、子育てにエネルギーを注ぐか、または自分の仕事、自分の才能・能力を伸ばすことにエネルギーを注ぐか、どちらかひとつを選ぶことになりそう。

もち両立しているすごい人もいるけれど、人並み以上の体力と運の良さ(・・・手がかからないですむ子どもを持ち、サポート得られる環境にある、仕事に自由がきくなどなど)がないと無理な気もする。

パパも、ママと同じくらい育児に関われ、となると、子どもをもつことを躊躇する男性も出てくるかもしれない。けど子どもを持つと言うことはそういう責任も発生するということなのかも。
昔はお金を家庭に入れるだけで済んだけど。

それでも、お金を家庭に入れ、とりあえず家に帰ってきて、ママ程じゃないけど子どもに関わるパパも偉い。
それすらしなかったスザンヌさんの元夫に較べたら。

まあ、育児にそれだけエネルギーをかけなきゃいけないとなると、子どもに過剰な期待をしてしまう親もでてくるのも無理はない気もする。
それはそれで問題だと、社会は言うけれど。

バランスよく、両立してこなす、というのは、なんだかものすごい才能を必要とするようにも思える。

ただ、子どもを持ってしまうと、「辛い」「不幸だ」と言えなくなり、それを言ったら「親として、人間としていかがなものか」という社会的圧力がある気がする。
子どもがいるのだから、幸せに決まっている、という圧力が。
そう思えない親は、親の資格はない、人間として最低、という圧力が。

対して、独身者はそういった縛りがないため、「辛い」「不幸だ」と正直に表に出して言えるのかもしれない。

まあ、何にしろ、子育ての責任は重い。

そういえば、林真理子さんが週刊文春で、川崎の18歳に殺された被害者13歳中学生の母親を批判していたっけ。どうやら母親は恋人がいたらしく、子どものことは二の次になっていたよう。

そして5人も子どもがいたらしいけど、元旦那(5人の子どものパパ)は養育費など払っていたのか? 

被害者側に鞭打つようなことを、と林真理子さんを批判する人もいるだろうけど・・・恋愛よりも子供を優先しろという林真理子の言い分ももっともなことだと思う。

子どものことを最優先できない人、仕事や趣味、恋愛を優先してしまう人は、やっぱ子を持ってはいけないとも思う。
なので少子化もやむを得ないとも。

子どものことを最優先できないのに、子どもを持つことのほうが、ずっと問題かもしれない。
世間は「若者の初エッチ年齢や恋愛やセックスに慎重なこと」を気にするより、そっちを気にしてほしいと思った。

とりあえず、離婚し、子どもの養育費を払わないパパから、養育費を払わせるような仕組みを考えた方がいのでは、と。(難しいだろうけど、罰則を設ければ、支払う元パパも増えるのでは、と)

社会的圧力は、社会が良しとする生き方をしない者(=恋愛しない、セックスしない、結婚しない人)に向けるのではなく、子どもへの責任を果たさない者に向けてほしい、と思ったのであった。

でも、あれだけ「恋愛しろ」と恋愛することがいかに人生において大事かを説きながら、子供をもったら「恋愛よりも子供を優先しろ」というのも、都合イイよな、とも思う。
人間、そんなに都合よく生きられない。

『恋愛すること』がそれだけ大事なことだとしたら、子どものことより恋愛、というパパやママもいてもおかしくない気もする。


さてさて、そんな混沌とした世知辛い大変な世の中
ほんわか幸せな物語を綴っていこうということで、「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/を書いているのだった。

ピクシブではこちら
・・・・・・・・・・・・・・・・・・
これからさらに改稿し、手を加え、完成度を上げたいと思っているのに、まだちゃんと改稿していないこの時点で宣伝するのも考えてしまうが・・・

↓この言葉の通り、制作過程ということで、「プライオリティ」および「パラレル・プライオリティ」を紹介します。

(小池一夫氏の言葉より)
『クリエーターの初心者にありがちなのが、「ある程度モノになるまで人に見せたくない」というこだわりが強すぎる事。そのこだわりが強すぎるといつまでたっても人に見せられる完成品は作れないよ。人に見せて、色々な指摘を受ける事も、制作過程の一部だと考えるのだ。』

物語「プライオリティ」について(もち無料)
『不戦の民』と『戦犯』の子孫と『兄の遺志を継ぐ少女』が工作員らと戦う物語。
リサとセイヤ表紙IMG_0001.jpg

「なろう」で連載中↓
http://ncode.syosetu.com/n1557cj/

pixivではこちらです。
1~9→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062
10~→http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2

 現在。大きな一区切りがつくシーズン3の終わりまでアップされてます。

 架空世界を舞台にしてますが、現代の日本と変わりない世界観になっています。

 漫画イラスト付き。
 謀略策略ありの人間ドラマ。
 基本シリアス、たまにコミカル。
 オリジナル長編小説。

 漫画のような分かりやすさとノリ、小説のような登場人物の心理描写と展開の早さ、読みやすさを心がけてます。

 シーズン1は恋愛要素あり。主人公とヒロインの心の物語が中心。敵の正体や思惑も明らかに。
 シーズン2は対工作員・謀略策略戦。狙われる主人公たち。
 シーズン3はテロ戦争・戦闘・銃撃戦。首相も登場。国の存亡をかけた作戦とは。
 シーズン4は国に見放された少年少女工作員との闘い。そして政界で謀略策略が。本当の黒幕は?

※次シーズンに橋渡しをしつつも、物語はシーズンごとに区切りをつけます。 各シーズン9万字~11万字程度です。
 はじめのほうは右傾化エンタメと思われそうな内容ですが、物語が進めば、実はそうでもありません。

「パラレル・プライオリティ日本編」について。
こちらは明るくユーモアたっぷり楽しいコメディ短編集。

本編「プライオリティ」のパラレルワールドとして、本編のキャラたちが日本人として登場する、現代の日本を舞台にした物語です。
なお、本編を知らなくても、分かる内容になってます。

夫婦愛、家族愛、ほのぼのな日常生活を描きつつ、日本の社会問題を少し織り交ぜながら、ちょっと悪乗りしつつもコメディタッチで描く短編集。
日本の文化や四季折々の習慣にも触れていければと思ってます。
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/
なお、短編として一話一話で区切りがついており、時系列に進むとはかぎらないので、どの話から読んでも大丈夫です。

ピクシブではこちら
http://www.pixiv.net/series.php?id=486383

ただ、理沙が出産し、育児生活に入った時、どうしよう・・・
現実離れした甘い話は描きたくないし。
かのドラマや漫画のように、出産するまでのお話にして、大変な育児は描かないかもしれない。

けど、こういうキャラの夫婦であれば、育児もけっこう楽しく幸せに乗り越えられるだろう、ということで描くかもしれない。


※ただし「本編プライオリティ」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/ は、どす黒くて残酷な社会を描いてます。「パラレル~」とバランスとっているのかもしれないな。

プライオリティはシーズン4に入り、プロローグでは少女工作員サラの独白から始まります。
http://ncode.syosetu.com/n1557cj/96/
「売られる子ども」

シーズン3では謎だったシベリカ工作員少女サラのことが明らかに。
シーズン4は少女サラにまつわる話、犯罪、事件が起き、そこにトウア国の政界が絡みます。

前回の国会襲撃事件も関わってきます。
ミスズも再び登場。
もちろん、少年工作員キリルも。
そしてクジョウ首相も。

新キャラは、政治家および政治関係者、数名。そして子ども1名。

子どもの臓器売買、えげつなく黒い事件、残酷で救いのない事件にセイヤとリサはどう動くのか・・・が、シーズン4のテーマになります。

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芸能人のスザンヌさんの離婚が話題になっているなあ。

「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/で静也・理沙夫婦の日常生活を描いているので、こういった夫婦問題ニュースは気になるといえば気になる。

静也・理沙夫婦について「こんなカップルがいたらいいな」ということで、理想や夢を描きたいとは思うものの、現実味があるようにはしたい。
「こんな夫、いるわけない」「こんな妻、いるわけない」「こんな生活、できるわけない」にはしたくないのだ^^;

さてさて、ウワサによると、スザンヌさんと別れた元野球選手の夫は、前にも離婚したことがあり、しかも、その時、前の奥さんは妊娠中だったんだとか?(しかも養育費をちゃんと払っていないんだとか?)

で、今回スザンヌさんとの間にできた生後6か月の子どもを残し、家を出て、スザンヌさんに離婚を切り出したとか?

う~ん、それが本当ならば「無責任」のひとこと。
この元野球選手は、おそらく、これからも同じことを繰り返すのでは、と。
女性は警戒したほうがいいだろう。すぐに飽きられ、サヨナラされ、別の新しい女性へ触手を伸ばすのだろう。

男性の中には、こういった家庭を築くのにふさわしくない人がいるのだな。恋愛だけ楽しんで、結婚しなきゃいいのに。子どもまで作って、家庭を放り出す。

スザンヌさんは「コミュニケーションが足りなかった」と言っているらしいけど、元野球選手の資質の問題だろう、と邪推してしまう。結婚生活に向かない男性なのだろう。

こんな無責任な男がいる一方で・・・
責任がとれないから、女性とは友達関係のまま、一緒の部屋に寝ても、手は出さない(セックスはしない)という草食系男子のことが、テレビで話題になっていて、年輩の男性が信じられないと意見していた。

なんだか、そういう男子をマイナスに捉えようとする上の世代の男性陣、女性陣も上の世代は『理解できない』ふうであったが、比較的若い女性陣は「そういうのあるよね」と受け入れていた。

いやあ、責任とれないから手は出さない、って、至極真面目だな、と私は好印象を持ったのだけど。
つまり手を出すときは、相応の覚悟がある、真面目につきあうつもり、ということだ。

付きあうつもりもないのに手を出すよりは、いいのでは、と思う。

いや、もちろん、女性の中にも、遊びで気軽にエッチする、つきあうつもりはない、性欲満たすだけ、スポーツと同じ、っていう考えの人もいるだろうけれど。

若い世代は、避妊したとしても100パーセントではない、ということで、男女問わず性交渉に慎重な人たちもけっこういるらしい。

が、若い世代がエッチしない=恋愛しない=結婚しない=子ども作らない、と気にする世間様は、こういった状況を憂えているらしい。

いやあ、無責任に子どもをつくって、放り出すほうが、ずっとずっとタチが悪いし、倫理的にいかがなものかと思うのだけど。
それに較べ、性交渉にも『責任』を感じる人たちの方がずっとまともで倫理的だと思う。

子どもへの責任ってやっぱり重い。
と、改めて『責任を背負う自信のない者は家庭を持ってはいけない』と思ってしまった。

スザンヌさんと離婚した無責任な元野球選手、はたして、スザンヌさんやその前に別れた奥さんとの間の子どもへの養育費をちゃんと払うんだろうか?

離婚の時に、取り決めはするものの、実際、払い続ける人はかなり少ないらしい。
育児に参加するどころか、家庭を捨て、養育費も出さない、そういう男性もけっこういるのである。

私は見てないが、ドラマ「残念な夫」は、まだ『家庭に関わろうとする』だけ、マシに思える。
「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/の静也君も家庭に大いに関わろうとする「良き夫、良きパパ」になるだろう。

が、実際は、子どもとちょっとだけ遊ぶのは楽しいけど、1日中つきあうのはイヤ、妻とのコミュニケーションも面倒、そもそも話が合わない、仕事から疲れて帰ってくるのに、さらに疲れることなんてしたくない、休日は好きなことしたい、自分だけの時間がほしい、こっちだって仕事で疲れているんだ、大変な思いをしているんだ、気を遣ってもらいたいのはこっちだ、イライラしている妻から逃げたい、関わりたくない、などなど・・・そんな声が聞こえてきそうだ。
で、妻から「あれして、これして」と命令のようなことを言われ、やってみたらダメ出し。やってられない。
いや、男性の気持ちもよくわかる。私が男性の立場なら、そう思うだろうから。けど、きっと家庭はギクシャクするだろう。

女性からしてみれば、子育てにパパが関わるのは当然だし、言われないと分からないの? ちゃんとやってよ、え?こんなことできないの? という感じだろう。

お互い「大変」なので、どっちが「より大変か」で、お互いギスギス。ストレスの多い、余裕のない生活になるかもしれない。
子育てが大変なのは赤ちゃんの時だけではなく、学校に上がってからも、いろいろ問題を抱えることも多いだろう。
その責任が背負えない人が何割かいるのは当然かもしれないとも思った。

なので、未婚者が2割~3割になったとしても不思議ではないと思ったのであった。
家庭を背負う責任はそれだけ大きいのだから。

んで、それを背負った人は偉い。が、だからといって背負わない人を見下したり、問題人物扱いしてもいけない。人の資質、能力は人それぞれなのだ。

一番悪いのは、責任を背負うつもりもないのに、手を出し、結局、無責任に放り出すことである。
一方に家庭の責任を押し付け、自分は浮気、不倫など、家庭に向けるべきエネルギー(お金、時間)をそういったところに費やし、家庭の責任を分かち合おうとしないことである。

ただ、未経験なので、「できるかな」「責任とれるかな」と思って、手を出してしまうこともあるだろう。で結果的に耐えられなくなった場合、逃げてもいいとも思う。切れて暴力、虐待、最悪、殺人行為に発展するよりは。

けど、それを繰り返してはいけないと思う。耐えられなかったことを自覚し、二度と「責任のとれないこと」には手を出さない。二度目は罪が重い。

と、スザンヌさんの離婚問題で、そんなことを考えてしまった。

ま、「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/の静也と理沙は、同じ環境で育ち、同じ学歴、同じ職場=同じ収入、同じ年齢、ということで、自然に対等意識があり、相手を見下したり、反対に卑屈になることもない、共通項が多いので、話も合う、よってコミュニケーションがスムーズにとれる、価値観も似ている・・・なので「一緒に生活をするうえで、上手くいく要素」が最初から備わっているのである。

これを「縁」というのかもしれないし、「運命の出会い」ともいうのかもしれない。
けど、実際に、こういう相手はなかなか見つからないだろう。見つかったとしても、好きになるかどうか、両想いになるかも分からない。どっちかというと、人間、自分とは遠い、異質なものに惹かれるものだから。

対等意識(相手を尊重できる)、コミュニケーション(伝える力と聞き取る力、そこにエネルギーをかけられるか)と価値観(相手の価値観を理解できる、または許容できる)・・・これらが夫婦やっていく大切な要素かもしれないな、と。

そんなわけで、日本文化、風習もテーマにした静也と理沙夫婦の生活を描いた「パラレル・プライオリティ日本編」もよろしくお願いします^^;(結局、宣伝。ま、そのためにブログをやっているのかも)
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/
ちなみに、次のネタは「桜、お花見」です。桜(ソメイヨシノ)が咲いたら、アップします。(って大寒桜とかは今、咲いているけど)

もう下書きはほぼ完成していて・・・今回は、けっこう風流な「素敵な桜三昧の休日」を過ごす静也と理沙。
描きながら、「こんな休日が過ごせたらなあ」と思うものの、実際は「そんなことに時間かけられない。やること、ほかにいっぱいあるし」なんだよなあ。

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前回話題にした「とある飛空士への追憶」(犬村小六)。

終わり方、いいよなあ。私は素直に感動した。
で、やはり圧倒的な描写力にやられた。あらすじだけ見れば、ほかの人たちの意見にもあるように「よくある話」なのかもしれない。
が、どのように表現するかによって、感動させられるかどうか、違ってくるのだろう。

「とある~追憶」のあらすじが「よくあるパターン」だからこそ、「よくあるパターン」なのに感動させられてしまったことで、この作品のすごさを思う。

んで、自分が書いている「プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n1557cj/ 「パラレル・プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n2006cl/をもう一回きちんと見直そう、文章による表現力を身に着けよう、本格的に推敲し、改稿したい、と思わせてくれた作品だ。(それまでもちょくちょく訂正、加筆はしていたのだけど)

プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n1557cj/
の場合、ネット上で読ませるのだから、くどくなく、すっきり、短め、情景描写は少なく、ということでやってきたけど、これって「じっくり表現するのが面倒だから逃げているのとちがうんかい?」と反省。

どうしても物語を先へ先へ進めたい気持ちが先に立ち、「立ち止まってじっくりと言葉を探すこと」をおざなりにしてしまった気がする。

今現在、アップされているも物語は「あらすじ」「脚本」の域を出ていないかもしれない。
ので、できるかぎり、ちょくちょく手入れしているのであった。その分、新しい話の更新が遅れてしまうけど。

「とある」は、こんな私を大いに反省させてくれた作品である。
(私は、ラノベよりも、通常の小説をけっこう読む。けど、情景描写に惹かれた作品は少ない。まあ、じっくり読むことなく、たいてい情景描写は読み飛ばしてしまうので)

ただ「とある~」のレビューで、低評価を付けた人の意見には、描写がくどい、読みにくい、という感想もあり・・・やはり受ける印象は人それぞれなのだな、と。

そう、他の人の意見はどうなのだろう? ということで、私はいつも「気になった本」「面白かった本」については、アマゾンのレビューをチェックしている。

じゃあ、なぜ私は「とある」の情景描写に惹かれたのだろうか?

もちろん、その前に「情景描写について、ほかの作家さんはどの程度、エネルギーを割いているのか?」というのが気になっており、いつもは読み飛ばす情景描写をちゃんと読んだから、というのもあるかもしれない。

ただ、「とある」以外にもいろいろ本を読んでおり、そちらのほうは、あまり惹かれなかった。やっぱり、情景描写を読むのは面倒なので、すっとばしてしまう。
「とある」でさえ、低評価をつけたほかの読者は、「くどい」「読みにくい」と評しており・・・情景描写は基本的に、短めがいいのかもしれない。

情景描写は、説明不足になってもいけないが、長くてもいけない・・・この辺のさじ加減が難しそうだ。

情景描写について、いろいろ考えさせられたが・・・「とある」に限って言えば・・・「くどい、長い」という意見もある中で、なぜ、私は読まされてしまったのか? いつもはこういったところは飛ばすのに。

そう、「とある」の描写は、「私もその情景、景色を見たい」「そこへ行ってみたい」「素敵だなあ」「こういうの、いいよね」と思わせてくれたからだ。
あこがれの情景がそこにあった。

なので、「こういうのいいよね」「すてきだよね」という情景を加え、描写していくといいのでは・・・と分析しながら、これから少しずつ「プライオリティ」の改稿、訂正加筆、あるいは削除していこうと思ったのであった。

ところで、私はこの「とある~追憶」は、ラノベのイラスト付き文庫サイズでは読んでいない。ソフトカバーの普通サイズで読んだ。よって、表紙は漫画的イラストはなく、白を基調とした人間の青い瞳の画である。

で、アマゾンのほかの人の感想をチェックするため、「とある~」のイラスト付き文庫本の表紙絵を見たのだけど・・・
「う~ん、なんだかイメージ違う・・・」
ヒロインのファナのイメージが、私がイメージしていたのと全く違ったので、そこで違和感持った。

私が捉えたファナのイメージは・・・もっと幻想的で、美しく、でも子供っぽいところもあり・・・
最終的に知的で凛としたキャラになっていくのだから、漫画的な画では表せないキャラなのかもしれない。
文庫本のファナはかわいい子どもという印象。美しいという感じはしない。

なので、ソフトカバーのほうは「瞳だけ」なのだろう。(漫画的瞳ではなく、普通の人間の)

もしこの文庫本漫画イラストのイメージから「とある~追憶」に入っていたら、今持っているイメージとは別物になっていたかも?
あまり幻想的イメージは抱けなかったかもしれない。

それくらいイラスト、挿絵の威力は大きいのだな・・・

とまあ「とある飛空士~」に触れて、考えさせられたのであった。
機会があったら、「とある飛空士への誓約」「とある飛空士への恋歌」「とある飛空士への夜想曲」も読んでみたい。

※中山七里の「追憶の夜想曲」で検索掛けたら、「とある~追憶」「とある~夜想曲」が出てきたので、この「とある~シリーズ」を知ることができたのだった^^;なので「とある飛空士への夜想曲」は読んでみたいな。

⇒続きを読む

中山七里の「追憶の夜想曲」、面白かった^^
その時、『追憶・夜想曲』関連で検索していたら、「とある飛空への追憶」がひっかかり、レビューもよかったので、読んでみることにした。

ラノベだけど、図書館では「よくあるイラスト付きの文庫本」ではなく、一般の普通のサイズの「ソフトカバー」(小学館)が出ていて、ラノベではない雰囲気の本として出ていた。(イラスト付き文庫本も出ている)

まだ途中しか読んでないけど、情景描写の豊かな表現力にびっくり。

私は、小説読むとき、情景描写はたいていななめ読みですっ飛ばしてしまう。
なので、今描いている「プライオリティ」および「パラレル・プライオリティ日本編」も情景描写が極端に少ない。

さすがに、あまりに描写不足なので、今、過去に投稿した分を見直し、加筆訂正しているところなのだけど・・・(今現在も、1回目投稿にはなかったシーンもちょっとあたりする。おそらくこれからそういったシーンが増えたり、話を膨らませたりすると思う)

「とある飛空士~」読んで、豊かな情景描写は読者の心をつかむよなあ~、情景描写も大切だなあ~とますます反省してしまった。

つまり「とある飛空士」が、それだけ情景描写に優れ、普段はそういったところを読み飛ばす私でさえ、読まされてしまったということなのだけど。

ということで、「プライオリティ」および「パラレル~」について本格的に加筆訂正、推敲しようと改めて思ったのだった。

けど、とりあえず「プライオリティ」はシーズン4までは、更新をどんどん続けていくつもりである。シーズン4が終わったら、一旦、終了します。
シーズン5の下書きと追加分のイラスト、漫画挿絵描きと、全話の推敲が終わったら、また改めて。

「パラレル~」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/ も描きたい日本文化風習ネタがあれば、続けます。次回は「桜、お花見」がテーマです。
こちらも後からイラストを足していきます。

現在は「桃の節句」テーマのお話まで
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/8/

ただ、イラストについて、「なろう」では、もしや「ないほうがいい場合」もあるのかな、と思ったりする。けっこう大きい画面なので、読み手としてはスクロールするのが面倒かもしれないし、漫画的なイラストが嫌いな人もいるだろう。私の絵が嫌い、という人もいるかもしれない。以前、漫画を描いていたときは「一番絵が下手な人」とよく言われていた。
サムネイルで小さく載せられればいいけれど、大きいサイズで載せられると、うざいかもなあ。

そんなことを思いつつ、このたび「プライオリティ」シーズン3が終了し、大きな一区切りがついた^^;
とりあえずハッピーエンド。

『なろう』 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/95/プライオリティ95話 エピローグ)
『ピクシブ』http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5038491(プライオリティ19 断章とエピローグ)


全話目次はこちら
『なろう』 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/

『ピクシブ』
1~9 http://www.pixiv.net/series.php?id=471062
10~19 http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2


では、ここからは「シーズン3の後書き」です。
右傾化エンタメ」について、そして創作について作家「小池一夫氏」の言葉も紹介しつつ、自分の考え、反省を述べていきます。

「ピクシブ」に載せたものを以下、転載。
・・・・・
「プライオリティ」はシーズン3で、ひとまず大きな一区切り。

 けどシベリカ工作員の少年キリルと少女サラについては未消化ですね。断章ではキリルについて触れましたが、サラは謎のまま・・・なので、シーズン4で彼らのことが明らかになり、それなりの決着がつきます。

 さてさて、なぜ、こんなお話を描いたのかというと・・・今まで刷り込まれてきた「平和や人権、歴史観」について疑問に思うようになり、考えてみたかったからです。

 この話を作り始めた頃(公開は半年後)、『右傾化エンタメ』という言葉が朝日新聞から出てきて・・・

 国の未来を優先することを選んだ主人公たちの生き様を描いた「百年法」や、ゼロ戦の搭乗員を主人公にした「永遠のゼロ」や、自衛隊を描いた「空とぶ広報室」「蒼空のカノン」が、「右傾化エンタメ」と呼ばれていたことに非常に違和感を持ちました。

 だから、自分が描こうとしているのも世間から見たらきっと「右傾化物語」なのかな?・・・と。
 ならば、いっそのこと左派へのアンチテーゼをバンバン入れて、とことん「右翼エンタメ」を描こうと思ってしまいました^^;

 ただ「右傾化エンタメ」の定義がよくわかりません。

 山田宗樹氏の「百年法」は、『私』よりも『公』のために生きることを肯定的に捉え、それを描いた物語だと思うのですが、それならば上橋菜穂子氏の「獣の奏者 完結編」も、そうなのでは、と・・・主人公は『公』のために、自分を犠牲にしました。けれど「獣の奏者」を「右傾化エンタメ」と呼ぶ人はいないでしょう。

 なのに「百年法」を「右傾化エンタメ」と呼ぶのは、なぜか・・・主人公たちが「国とその子孫の未来を護る」ために生きたからなのかなと思いました。

「獣の奏者」は人々を救うためといった感じです。(でもこれは国を護ったことにもつながる気もしますが)

 人々のため=公のために犠牲になることは「右傾化」と呼ばれないが、国のために犠牲になることを肯定するような描写をすると「右傾化」と呼ばれるようです。
 
 ちなみに「プライオリティ」に出てくる主人公たちは『他者を傷つけない善人』でもなく、ましてや『自己犠牲を行える聖人』でもなく、えげつない部分も持つ自分勝手な普通の人間です。自分たちの暮らしを護る=国を護るため、悪事(他国の紛争の手助けをする、戦争に加担するなど、左派から見れば、悪事ですね)にも手を染めます。

 で「国を護る」という要素が入るので、「右傾化エンタメ」ということになるのかもしれません。だけど、なぜ国を護るのかと言うと、自分たちの暮らしを護るためです。「公」のために生きているのではなく、結局は「私」のために生き、自分と自分の周りの者を大切にしたに過ぎないので「左傾的生き方」とも言えます。

 おっと自戒を込めて・・・ここで作家の小池一夫氏の言葉を紹介。

『漫画を描く時に陥りやすいのが、作者自身のメッセージを過剰に込めてしまう事である。作家のワタクシ性は、作品に自然と滲み出る。読み手はプロパガンダが読みたい訳ではない。エンターテイメントが読みたいのだ。どうすればより面白い作品が作れるのかの追及、それが創作のイロハであり、究極である。』

 漫画でも小説でも創作物語に違いはないので・・・この言葉を肝に銘じつつ・・・プロパガンダにならないよう、あくまでエンタメ追求で。

 過去に投稿したシーズン1から見直し、訂正、加筆、削除をしてます。
 より読みやすく、表現力豊かに、硬い部分や重複部分を削除、プロパガンダ臭が強く辟易しそうなところも削除、または短く・・・直す部分が多すぎです^^;

 もちろん投稿する前に見直しているものの、それでも直したいところが後になってボロボロ出てくるもんなんですね。

 そこで、また小池氏の言葉を紹介。
『クリエーターの初心者にありがちなのが、「ある程度モノになるまで人に見せたくない」というこだわりが強すぎる事。そのこだわりが強すぎるといつまでたっても人に見せられる完成品は作れないよ。人に見せて、色々な指摘を受ける事も、制作過程の一部だと考えるのだ。』

 ということで、完成度が低くくても、まずは公開し、さらに見直しながら訂正を加えてます。
 まだまだ未熟者ですが、よろしくお願いします。

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東野圭吾の「虚ろな十字架」を読んだ。
死刑制度がテーマのようだ。

私の個人的意見
加害者に更生の余地があるのか、とか、あるいは抑止効果とかなど、こういったことを踏まえて死刑制度があったほうがいいのか、ないほうがいいのかを議論するのは無理があるように思う。

抑止効果があるのかないのか、ハッキリとは分からない。
ほんの少しでもあるのであれば、死刑制度には価値がある、と私は思うし。

仮に、反省したからといって、更生の余地があるから、死刑制度はなくすべき、とも思わない。更生するかしないか、これも結局は分からないのだから。
更生したと判断し、社会に復帰させ、再犯起こした場合、誰も責任とらないだろう。いや、とれないだろう。結局、誰にも「更生したのかどうか」分からないからだ。

そういえば、少年犯罪について「少年は更生の余地があるから厳罰化に反対」という意見も聞かれるが・・・余地があるかないか、誰が判断するのか? 再犯した場合、誰も責任をとらないのであれば、それを論点にすべきではない、と思う。

少年であるかどうか関係なく=更生するかどうか関係なく、犯した罪と同等の報いを受ける、これが公平である。

逆に、不公平と言えば・・・弁護士の手腕によって、違いが出てくる、というのは不公平だ。
情に訴えようとすると、そういうことになる。

ということで、私は「公平であるかどうか」で死刑制度を考える。
なので、人の命を奪った場合、その被害者に全く落ち度がなければ、基本的に死刑でいいと考える。

被害者は命を奪われたのに、加害者が社会復帰の可能性が残される、というのは不公平だからだ。

もちろん、正当防衛、戦争など任務の上での殺人はこれに該当しない。
そして被害者に落ち度があった場合(加害者に対し、嫌がらせをしていた、など)も情状酌量されるべきだろう。

犯罪抑止効果や更生の可能性という「誰も責任が取れないよくわからないこと」を論点にしないほうがいい。
そして被害者遺族感情というものも。
そう、これも遺族によって考え方が違うからだ。「死刑をのぞむ遺族」もいれば、そうではない遺族もいるだろうし、被害者と遺族の関係性によっても、それは違ってくるだろう。

なので物語「プライオリティ」でも、リサは犯人に対し、こう思うのだ。
http://ncode.syosetu.com/n1557cj/88/ より
『償いは求めてない。償いようがないからだ。ただ報いを受けてほしい、苦しんでほしい、地獄を味わってほしい。それしかなかった。』

そう、更生が償いだ、というのに以前から疑問に思う。
殺された方にしてみれば、犯人が更生しようがしまいが、関係ない。従って、償いようがない。

更生するかしないかは、社会にとっては重要な問題かもしれないが、しかし、するかしないかは誰にも分からない。
刑罰を決める人、釈放を決める人にも責任のとりようがない。

結局、犯した罪に対し、報いを与える。これしかできないと思う。
では、どの程度の報いにするのか・・・これも難しい問題だが、命を奪ったら、命を差し出す、これが「公平」に近いのでは、と。被害者が受けた苦痛、恐怖同等のものを与えられるのであれば、死刑でなくてもいいかもしれないが。

なので、「プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n1557cj/ では、リサは死刑ではなく、生きながら地獄を味わってほしい、と思うのだけど。

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ひょんなことから劇作家の「小池一夫氏」のツイッター発言を知り、「ああ、たしかにそうだよな」と頷かされるところや参考になるところが多々あり、刺激を受けている。

というわけで、創作に関する小池氏のツイートをいくつか紹介。

以下、小池氏のツイート発言、転載。

【僕は、常々「オタク最強説」を唱えているのだが、周りを見ても年を取ってから楽しく過ごしている人は大抵何かのオタクだ。ほンと、オタクのまま人生を終えるのは素晴らしいことだよ。オタクとして生きて、オタクとして死ぬ。最高だね。】

転載終わり。

私もまた「オタク」の世界に戻ってきた・・・世間もだいぶオタクを認めるようになったけど、やっぱりなんとなく肩身が狭いことも事実。
バブル時代からしばらくは、オタクは見下され、バカにされていたあの空気を知っているから。

物語「プライオリティ」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/を書いて、こうしてここブログやツイッターでは宣伝しているものの、一般人と交流しているSNSでは、なんとなく宣伝しづらい・・・最初はしていたけど、今は控えるようにしている。とは言っても、気にしているのは私だけで、ほかの人は何とも思っていないだろうけれど。
私が過去の世間の価値観に洗脳されているのである。その洗脳はなかなか解けない。

なので、こうしたツイッター発言を見ると、励まされる。
んで、世間の空気っていうのは、やはり影響力あるよなあ。

プライオリティ」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/でも、この「世間の空気」ってやつをテーマのひとつにしている。これが価値観を決め、人々を支配していく・・・場合もあるかもしれない。

んで、それは強力だ。
未だ、私がその価値観から完全に脱却できないのだから。

なので、シーズン3第6章の2話目で、ミスズ先生に「世間って恐ろしいですねっ」と言わせたり、5話目でルッカー治安局長に「世間という一番の権力者」と表現させたり・・・今まで自分が感じてきたこと、キャラに代弁させてますね^^;


ほか、小池氏発言、転載。
【 物書きを長く続ける心構えは、「俺の最盛期はまだ来ちゃいねえッ」と思い続ける事だ。過去の作品を越えてやるという気概を持つ。これは、物書きに限らず、人生を最後まで楽しむ考え方だ。俺の最盛期はこれからだッ!と思う78の今日この頃】

転載終わり。

私も自己満足な解釈だけど・・・
今書いている物語「プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n1557cj/
および「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/
この二つが、今まで自分が作ってきた物語の中で一番。最高と思い込んでいる^^;

過去作を超えていなければ、今さら作って(書いて)公開しようとは思わない^^;

ちなみに、過去作というのは「音吉君のピアノ物語」「御令嬢 金崎麗子」「スカイプレイ」「ピアニスト」「ショパン物語」ほか、けっこう描いてきた読み切り短編漫画のこと。

もちろん、第三者からみたら「過去作、全然超えてないよ」「過去作もたいしたことなかったけど、今も全然たいしたことないよ」かもしれないが・・・

思い込みが大事なのである。
過去の作品を超えてやる、というのは、過去の自分がライバルということである。

これってピアノにも言えるかもしれない。

他者と較べるのは愚の骨頂と思っているが、過去の自分と較べて、過去を超える気概を持つことは大切だと。

実際、ピアノでいうと、若い時の方が指がまわり、今では右スケールを弾くのに、違和感あり、速弾きができない。おかしな神経回路ができたのか・・・とにかく、若いころ難なく弾けていたところが、今は弾けない、あるいは弾くのに苦労する箇所が多くなり、技巧は落ちた。

が、速弾き、ごまかし弾きができなくなった分、今の方がじっくり音が聞けているし、『中身の濃い練習』ができている気もする。表現力は今の方が上だと思い込んでいる(笑)


ほか、励まされた小池氏発言、以下転載。

【よくスランプなンて言うけれど、自分の内側だけで消化していけば、書くこともなくなりスランプにもなるだろう。そういう時は、自分の外側のに広がる表現の豊かで果てしない世界をイメージするのだ。その中から、表現をかっぱらってくるンだ、ぐらいの気持ちでいないと、創作や表現は続かないよ。】

【どのクリエーターの頭の中にも、名作は眠っている。問題は、どう「カタチ」にしたかだ。】

【「好き」のレベルでプロにはなれない。しかし、全ては、「好き」から始まる。嫌いな事で、成功する者はいない。持続するための苦しみも、好きだからこそ乗り越えられる。自分の「好き」には、とことン投資するのだ。】

転載終わり。
まだまだあるけれど、また次回。

それでは更新情報。
工作員と戦う物語「プライオリティ」では・・・

シーズン3の第6章全て(プライオリティ18)、ピクシブでアップ。
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2
「なろう」では第6章の5話目「救われる命と切り捨てられる命」までアップされてます。
http://ncode.syosetu.com/n1557cj/92/

6章の中で、それぞれサブタイトルもついているんですが、たまに「ピクシブ」と「なろう」で違うこともあります^^;
この5話目がそうです。
ちなみにピクシブでは「血塗られた作戦」というサブタイトルです。

「ピクシブ」では、章の全てをいっきにアップするのに対し、「なろう」では章の中で区切りのいいところで切って、小分けにアップするので、サブタイトルのつけ方に違いが出てくることあります。


第6章では・・・
国会襲撃犯=工作員=犯人らのことが少しずつ判明していき・・・

平和と人権を掲げ、皆から嫌われる発言を繰り返してきたミスズ先生の、本当の目的と真意が明かされる。(しかし、実はシーズン4でさらなる真相があるのだが)

セイヤがルッカーと共に加担した作戦もあきらかに。
トウア国の、シベリカ国に対するこれからの戦略とは?
この作戦に加担してしまったセイヤの思いとは?
ルイとサハーの最後の対話では、それぞれの国への考えや思いが語られ、
軍からの出向組4人のメンバーの正体もあきらかに。
そして、作戦に関与してしまったセイヤに、リサは何を語るのか?

ということで、シーズン3では、シーズン1および2の伏線を回収していくことになり、物語として大きな区切りがつきます。

日本文化と風習、および夫婦愛がテーマの短編集「パラレル・プライオリティ日本編」 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/もよろしく。

ただ今、8編目 http://ncode.syosetu.com/n2006cl/8/ 「悩ましき桃の節句ひな祭り」までアップしてます。
7編目までのお話も、訂正加筆したりしてます。
1編目「聖夜」でも、シャンメリーについて加筆したり・・・^^;
情景描写や説明が足りないところ、けっこうあったよなあ、と反省。
いや、過去よりもより良くをめざし、文章描写について自分なりにレベルアップできたらな、と。

そう、あくまでも「過去の自分と較べて」ということで。他者と較べると気落ちするし、自信失くし、「どうせ自分はダメだ」と思ってしまうので、過去の自分と較べるのが、長く続けられる秘訣かもしれない。

花子とアン」のブラックバーン校長も言っていたではないか。
最上は過去ではなく、未来にあると。

クリエイターの心得
「最上は過去ではなく、未来にある」
これだね。

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ハヤシ

Author:ハヤシ
2003年から8年間、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)のサイトで、マンガ「ショパン物語」を連載してました。

商業誌でマンガ連載経験あり。

主な作品 
「音吉君のピアノ物語」(小学館・少年サンデー) 
「ご令嬢金崎麗子」(集英社・スーパージャンプ) 
「スカイプレイ」(秋田書店・ヤングチャンピオン)
ほか読み切り多数。

ちなみに「音吉君のピアノ物語」(全6巻)が欲しい方はこちらへどうぞ↓
小学館コミックス「音吉君のピアノ物語」オンデマンドのページ

書き下ろしピアノ漫画「ピアニスト」(彩図社)は現在、中古本としてアマゾンなどで流通。

このブログでは、ピアノ、ショパンネタ、マンガ・物語創作、作品感想、社会ネタ考察記事を書いてます。
RPG「クロノトリガー」に、はまったので、「クロノ関連ネタ」もあります。

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○ハヤシの過去のHP(凍結)

クロノ曲ピアノアレンジ、イラスト、二次創作物語、クロノ関連雑記などを保管したHP↓
「クロノトリガーとドラゴンクエスト」

マンガやピアノなどについての過去の雑記があるHP↓
「マンガとピアノの道」

ハヤシのピアノ演奏録音↓
「クロノ曲」ピアノアレンジ
「ショパン」の曲


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