ハヤシのブログ

物語創作、ピアノ・ショパン、漫画、クロノトリガー、社会問題などについて語ります。

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http://ddnavi.com/news/234871/

↑によると、漫画家の数、1995年3000人が2010年は6000人に倍増。
でも、漫画家の定義って何だろう? デビューできたら漫画家なのかな? ちょっとでも原稿料をもらったら漫画家? あるいはそれで生活している人が漫画家

まあ、これ作家、物書きにも言えるけど・・・
プロという言葉を聞くと、やはり「それで生活している人」というイメージ。

そういえば、昔、ある人から「自称漫画家」と言われたっけ(汗)
漫画を描いたことあるとは言ったが、漫画家を名乗ったことない。恐れ多くて。

いや、ほんとうは私ごとき『何もできない人』と名乗るのが一番気楽だ^^;
が、それやっちゃうと、だれも興味持ってくれない^^;

このブログをやっていた頃は、ピティナで「ショパン物語」描いていたので、宣伝のために、プロフィールに商業誌で漫画を描いていた頃の過去作品は並べたりはしていた。

今は「プライオリティ」宣伝のために、そのまま並べている。
※「プライオリティ」(工作員と戦う物語)はこちらで投稿中。
「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062

※ただ今シーズン4――第3章、臓器売買に絡む政界の黒い策略――セイヤの推理、単独捜査によって、徐々に解明していくが……本当の黒幕は誰なのか? まだ疑問が残る――
(あと断章、4章、5章、終章で、終わり)

こういった宣伝行為も人様から見れば相当にうざいことは重々承知しつつ・・・
中には「宣伝するに値するようなもの、書いているのかよ?」と思っている人もいるだろうな、と。
けど自分が作った作品は自分くらいしか愛せないからなあ。親バカということで。

で、宣伝しないことには誰も読まない。宣伝しても読まない人の方がほとんどだ。興味を持ってくれる人はほんのわずか。それを期待して宣伝行為に励んでいるのだ。

「恥ずかしい、カッコ悪い、落ちた人、ずうずうしい」と思われそうだが、こういった創作活動やるのには、きっと「ずうずうしさ」も必要なのだろう。
創作活動している人は皆、やっていることだ^^;

なので、このような批判も今では嬉しい↓
http://o.sentaku.org/anime/1000012561/vc/%e6%9e%97%e5%80%ab%e6%81%b5%e5%ad%90(%e9%9f%b3%e5%90%89%e3%81%8f%e3%82%93%e3%81%ae%e3%83%94%e3%82%a2%e3%83%8e%e7%89%a9%e8%aa%9e)

あの頃よりは多少、画はマシになったと思っている。まあ、前があまりに酷かったからな~。
otokiti31.jpg

そして今度は文章力アップを自分なりに目指す^^;

ブログも、「てをはに」間違えていること、けっこう多い。確認して投稿しているつもりでも、やはりミスがあちらこちらにある。見つけるたびに直してはいるのだけど。
こうもたくさん間違えるとは・・・ま、がんばるしかない。

さて、今回は漫画について語る。

やっぱ気になったのは、以前にも話題にしたが「境界のないセカイ」打ち切り問題だ。

まず作者の方の、この経緯について書かれたブログ記事を紹介。
http://ikuya.sblo.jp/article/115089330.html

人気があったにも関わらず、講談社側から「クレームがくるかもしれないから」という理由で単行本を出さず、そのまま打ち切りとは・・・
それを理由に打ち切るとなると、担当編集者編集者としての仕事をまるでしていなかったと言えてしまう。

作品に何か「クレームが来そうな問題表現がある」のであれば、編集者はOK出さず、作品が表に出る前に直させる。それが編集の仕事だ。
この作者の方のブログ記事が事実であれば、天下の講談社はそれをしなかった・・・ということになる。

編集者はあれだけ高い給与をもらいながら、基本的な仕事さえしなかった・・・と思われても仕方ない。
なのに、その責任は漫画家がかぶる。理不尽だ・・・

表現にOKを出し、表にしたのであれば、「クレームがくるかもしれないから」という理由で打ち切るのはどうかと思う。

けど天下の講談社だからなあ。「漫画家なんていくらでもいる」という思いが、そうさせるのだろうか。
上で紹介した漫画家の数、15年で倍増だもんな。

志望者となれば、さらにその何倍もいるのだろう。

漫画家がこれであれば、作家(物書き)も、だろうなあ。

それでどういうことが起きるかと言うと、やっぱ「理不尽なことをされてしまう漫画家や作家」も増えているのではないだろうか、と。
出版社にとって、作家は掃いて捨てるほどいる。どんなに粗末に扱ってもかまわない。よほどの売れっ子以外は。
・・・となる?

けどネットのおかげで、作家側が声を上げることができ、どういったことをされたのか、表に訴えることができ、こうやって皆が知ることができる。それが抑止力になればいいけれど。

ま、それでも大手の力はすごいし、大手出版社で仕事ができるというのは作家にとっても大きいだろうから、こういったことがまかり通ってしまうのかもしれないな、と。作家は表では「先生」と呼ばれているけど、よほどの売れっ子でない限り、かなり下に見られているような気がする。

でなければ「境界のないセカイ」のような仕打ちはしないだろう。

そのうえ、漫画にしろ小説にしろ、今はもうプロの作家の作品もネットで無料で読める時代になり・・・「作品を作って、それで食っていく」というのはかなり大変そう。
趣味で公開していても、誰も読んでくれない、というのはあるかもしれないけど、いろいろ考えさせられた記事であった。

物書きの場合、兼業の人もわりといる。

もちろん、物書きだけで食えないから、なんだろうけれど、
もうひとつ仕事をもつということは、編集から理不尽なことをされても生活に困らない、強く出られるカードとなるのかもしれない。
全ての時間を創作に充てたいだろうけど、あまりにリスクが高いので、兼業でがんばっている人も多いのかもしれない。

となると、水嶋ヒロさんも、兼業で頑張ればよかったのに、と思ってしまった^^
イケメン俳優というだけで、それはもう売りになるのだし。

http://www.cyzowoman.com/2015/04/post_15632.html
『第5回ポプラ社小説大賞を受賞し次作が期待されたものの、いまだ発表はありません』とのこと。
デビューできても、次が書けるとは限らないのだな。

厳しい世界だなあ。

自分では面白いと思っても、他者はそうは思わない場合、多いだろうし・・・
たぶん自分がやろうとしていることに価値はないかもしれないけど、創作活動という漫画に近いところに、もうしばらく居させてもらおう^^;
その間、このブログも続くと思う、たぶん。

・・・・・・・
余談。

【自分が納得する『芸術』と人を楽しませる『芸能』】

あるところで見かけた言葉。なるほどと思ってしまった。

となると・・・『人を楽しませる』方が難しいと私は思う。だから芸術>芸能じゃないんだよな。

とりあえず「自分が納得すること」を目指して、物語「プライオリティ」を作っていこうと思った^^
多くの人を楽しませることはできずとも、自分を楽しませることと納得させることはできそうだから^^;

けど、「自分が納得」って自己満足だよなあ。「芸術」ってそういうもの? いや、芸術は「人を納得させて何ぼ」じゃないのかな、とも思う。結局「人=第三者」の存在があってこそ、人を楽しませるのも、人を納得させることも、どっちも難しいけど、できたら「面白い」ものなのかもしれない。

小説では、「芸術」が文学にあたるのかな。
だから文学>大衆小説みたいな印象があるけど、そういう境界線も今はあやふやになってきているのかもしれない。

そして、人を楽しませるのは難しい。文学>大衆小説とは限らないのだ。

んで、ライトノベルを「漫画的な小説」と定義づけるのであれば、一般の文芸小説とライトノベルの境界線もあやふやになり、より自由な物語がたくさん生まれるような気がする。

けど、ライトノベルをいろいろ見ていると、なんだかあらゆる要素(設定、ジャンル、キャラなどなど)で自由がなさそう・・・んで、一般の人からは「小説>ライトノベル」「ライトノベルはみんな似たり寄ったり、同じようなお話、内容、キャラクター」と思われ、「ライトノベル読むくらいなら漫画を読む」という人も多そうだ。

本当は、上下はなく、芸術=芸能、文学=大衆小説=ライトノベル・・・というか、その境界線もあやふやなのかもしれない。

漫画的な小説、目指しつつも、結局は面白いか、面白くないか、んで、それは自分には分からないし、決められない。
とりあえず、ネットであれば「アクセス数」で判断するしかない。

ちなみに、このブログ、以前の政治や社会問題、左派への突っ込み、中韓問題を扱っていた頃に較べ、アクセス数が落ちている^^;
こういった話はつまらないのかもしれないな・・・

しかし、自分の作品宣伝のためにブログをやっていると、漫画や小説、創作活動、創作について、語ることが多くなってしまうのだ。

不特定多数の興味をひくことの難しさよ・・・
なので「自分納得=自己満足」を目指すくらいしかできそうにない^^;

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今までも「とある飛空士への~」「獣の奏者」などについて感想述べてきたけど、今回はさらに突っ込んで語ってみよう。

「とある~夜想曲」と「獣の奏者」を主に取り上げつつ、ジブリ風立ちぬ」について・・・「千々石」と「風立ちぬ主人公」、酷い男はどっちか、を綴る。^^;

まずは前置き。

作家の宮本輝氏が産経新聞インタビューでこのように発言していた。

小説を書くにあたって大事にしている点。
○『わかりやすく簡単に書くこと、難解な単語や熟語は使わない』

例えば「雨が降った」という表現を難しく書くことはなく、ただ「雨が降った」と書けばいい。難しく表現してうちは、まだまだ・・・ということらしい。

そうか、やはりそうだよな。ちょっとホッとした。
ネットで文章による物語を描いているので、私も「簡単に、簡潔に、わかりやすく、短く表現すること」を心掛けつつも、「情景描写が説明不足、あまりにそっけないのではないか」「もうちょっと豊かな表現をしなくてはいけないのではないか」とも思っていたので。

まあ、「雨が降った」にしても、どのくらいの強さで、というのは表現したほうがいいのかも?
小雨なのか、ザーザー降りなのか、風はあるのか、気温はどうなのか・・・などなど。

プライオリティ」推敲・改稿中だけど、そういった描写について、いろいろ考えながら直すようにしよう^^;

プライオリティ」はこちら
「なろう」http://ncode.syosetu.com/n1557cj/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062

○『勇気や希望を与える物語でありたい。暗い小説は嫌い』

長い長い小説を読んで、最後に皆が不幸になったり、別れ別れになったり、というような物語は読みたくない、と。
基本的に「ああ、よかった」=ハッピーエンドが好ましい、と。

たしかにそうだよな。

すると主人公が最後に死んでしまう物語はどうなのか? という点について、主人公は死んでしまうが、その周りの人たちが救われる、主人公の死を乗り越え、希望をつかむ、主人公の死は無駄ではない、という感じであれば、読み手はショックではあるが、納得はできるのではないだろうか。

その作品が・・・「とある飛空士への夜想曲」「獣の奏者」「永遠のゼロ」だと思う。

ええ~と・・・主人公が最後に死んでしまう話はほかにもけっこうあったはずだが、思い出せない^^;
つまり、この3作品以外、それほど印象に残らなかった、ということでもあるのだな・・・

(「病気もの」も、そういったものがあったはずだけど、なぜか思い出せない。ああ、ひとつだけ、印象に残った話があった。有本浩の「旅猫リポート」だ。途中まで主人公が病気とは分からないので、分かった時はショックだ。けど心に残った。・・・というか、これ主人公は猫になるのか? すると「主人公の死」ではなく、「主要キャラの死」ということになるのかな?)

「闘い」が絡む主人公の死は、「病気モノ」よりも印象に残る。
病気で死ぬのはある種「仕方ない」、けど戦いで死ぬのは「回避できなかったのか」と思うからなのか・・・

ああ、そういえば・・・
私はRPG「クロノトリガー」にはまり、旧サイトで二次創作に励んだことがあるのだけど・・・。
http://www.rock.sannet.ne.jp/kiga2hon-dayo/mokuji6.html

2004年のことだ。ただし、その時に初めて「クロノトリガー」をプレイしたわけではなく、1995年に発売された当時に、一度プレイしている。が、当時はとくに感じるものはなく、すぐに売ってしまった。

それがなぜ、2004年になってから、クロノにはまったのか・・・
それは「クロノクロス」の存在を、この時、初めて知ったからだ。

クロノクロス」とは、「クロノトリガー」の続きの世界を描いたRPGだ。
その「クロノクロス」では、「クロノトリガー」に出てきた主人公はじめ主要キャラクターは若くして死んだ、ということになっている。

「ええ? クロノ、ルッカ、マール死んじゃったのか?・・・20代半ばで?」
と、びっくりした。
制作者は「これはパラレルワールド。キャラが幸せになっている世界もある」と苦しい言い訳をしていたが・・・^^;

ま、とにかく、クロノトリガーのキャラたちが若くして死んだ、というので、クロノトリガーが気になり、再び触れることになり、はまってしまったのだ。つまり「主人公および主要キャラの死」がきっかけだった。

それほど、「主人公の死」というのは受け手にインパクトを残すのだ。

逆に、主人公を死なせて、あまりインパクトを残せなかったら・・・その作品はちょっと・・・ということになる。
いや、だから、そうそう主人公を死なせてはいけないのだ、とも思う。


○「とある~」と「獣の奏者」、どっちのキャラに惹かれたか。

「とある」では主人公の恋人が、「獣の奏者」では主人公の息子が、自己犠牲を覚悟する主人公に対し、心を痛める。

それでも「獣の奏者」の場合、14歳の息子に「生きること」を約束するので、まさか死ぬとは思わなかった。
「とある」も、恋人に「お前のところへ帰る」とは言うのだけど。その前に「戦いで死ぬことは本望」とも言っている。

では、どっちの主人公に惹かれたか、となると、僅差で「とある」だ。

私的には・・・千々石>エリン

その理由。
「獣の奏者」のエリンは、あまりに「いい人」「理想的な人」「善人」「立派な人」で、欠点が見当たらない。
対して「とある」の千々石は、自分勝手な面がある。恋人を傷つけてでも戦うほうを選ぶ、恋人よりライバルを選んだ、と言っていい。欠点もある人間。

なのでキャラとして、千々石のほうがエリンよりも魅力がある。
欠点のないキャラにはあまり惹かれない。嘘っぽいから。


○テーマについて。
「とある~」も「獣~」も素晴らしい。

おそらく、左派は、「とある」を戦争美化、特攻隊美化、として「右傾化エンタメ」と言うだろうけど、「獣」だって、ある種の特攻だろう。なのに「獣」は反戦をうたった話として、左派も受け入れている物語のように感じる。

けど、「とある」だって戦争の愚かしさを訴えているし、「永遠のゼロ」も特攻作戦を批判している。
が、なぜか「獣」とは違う扱いをされている気がする・・・


○「獣」で一番、よかった場面について。

戦争・戦うことを「穢れ」とする人たち=戦う人(兵士、軍隊)を見下しつつも、その人に護られ、富を享受していた一団に対し、「富を手放す覚悟があるのか」と問う点だ。「富を享受したいのであれば、戦いに参加せよ」というような場面がある。
そして、多数決で決めるのだ。戦うのか、戦わないのか。そして「戦う」ことになった。

この場面を見て、左派はどう思っているのだろうか。

私が「獣」を評価する一番の場面である。

「とある」でも、「なぜ戦争になったのか」について、原因はあまりに多すぎる、とし単純化していない。「誰が悪いというわけではなく、時代の要求がそうさせた」と主人公・千々石は答える。

「はだしのゲン」のように、お金持ちや権力者が欲をかいて戦争を起こした、などと「単純なお子様的な理由」を並べたりしていない。

当時、人権という概念もなく、欧米諸国の植民地政策が当たり前だった時代、植民地を持っている国々が『ブロック経済』でもって、植民地を持っていない国を脅かしたこと、日本やドイツを経済的に追い詰めていったことなど、原因はほんとうに様々あるだろう。

ロシアも怖かったし、戦々恐々としていた時代だ。

「はだしのゲン」および左派は、日本を「欲をかいたから、戦争を起こした」というのではなく、このように言わなくてはいけない。「日本は貧乏になる覚悟がなかったから戦争をした」と。

もちろん、貧乏になる、ということは、弱者救済はできない、ということでもある。それでも戦わない、と言うのであれば、それはそれでひとつの考え、価値観だろう。

戦争で死ぬのは嫌だけど、病気や貧しさで死ぬのは仕方ない、と思う人もいるだろう。
戦争になれば、さらに貧しくなる可能性だって高いのだから。

そう、上でも触れたように、闘いで死ぬのはショックだが、病気で死ぬのは仕方ない、と受け入れられる人も多い。
だから、左派はそう訴えればいい。「戦いで死ぬよりは、貧乏の方がマシだ」と。

まさに「獣の奏者」が言っていた「富を手放す覚悟がありますか」だ。

そして「侵略の定義がない」ということは、植民地支配をしていた欧米諸国にとっても都合がいいのだ。だから「侵略の定義はない」のだ。正義は「戦勝国が決めるもの」だから。

従って、「侵略の定義はない」のだから、日本も侵略行為はしていない、ということになるのだ。
いやいや日本は侵略をしたというのであれば、左派は欧米諸国についても批判し、戦争に加担したことのあるすべての国に反省を求めるべきである。日本のみ「悪」とし、日本にのみに求めるのは、日本への差別だ。

つまり「とある~」の千々石の言っていることが正しい。
「誰が悪いわけではなく、時代の要求がそうさせた」と。

「戦うこと・戦争」について、「とある~」と「獣の奏者」は核心をついている。

が、左派はたぶん、「とある~」は嫌いで、「獣の奏者」は好き・・・なんだろうな・・・けっこう似ている部分、多いのに。

まあ、ただ「とある~」で、特攻(死)を怖がる、迷うキャラが一人も描かれなかったのは、戦争を描く物語としてひっかかるといえば、ひっかかるけど、物語上、それを描く余裕はなかっただろう。
「生き残ることを考えてくれ」というヒロインのセリフが、それに代わる。

もし、端役兵士でもいいから、その場面(特攻を躊躇する、迷う、怖がる)が描かれていれば、戦争ものドラマとして左派も納得100点満点だったかもしれない。

逆にそれがないと、「戦争美化、特攻隊美化」と突き上げられる。


ジブリの『風立ちぬ』の主人公ほうが、「とある」の千々石よりも酷い男だと思う点について^^;

よくよく考えたら、ジブリ風立ちぬ」の主人公って、妻になったヒロインの死に目に会ってないのでは? 
あの終わり方はそうだよな。

しかも、ヒロインがサナトリウムに帰った後、会いに行ってないのでは? ヒロインは「自分が病気でやつれて、ひどい姿になるのを見せたくない」ということで、主人公のもとを去ったのだから。

で、妻を追いかける描写もなく、おそらく主人公は飛行機作りに没頭し、夢に没頭し、ヒロインを放ったらかしだ。

主人公がその後、妻を見舞ったと想像しにくい物語だ。

うわあ、なんてひどい男なんだ・・・夫なのに、死に向かっている病気の妻を放っておく。それがたとえ妻の望みであっても、ちょっとそれはないんじゃない?

「とある」の千々石は、生き残って恋人と暮らすことより、戦うことを選択し、恋人=ユキと距離を置こうとし、会ったら余計に傷つけるとし、出立の前、ユキに会うか会わないか迷い、最終的に「会う」という選択をした。

ちゃんと「迷い」が描かれていた。
自分の死後、恋人が強く生きていけるか、思いやっていた。

しかし、ジブリの「風立ちぬ」の主人公に、そういった迷いの場面は一切、描かれてない。
ヒロインが主人公に黙ってサナトリウムに帰った後、主人公は何を思ったのか、も描かれない。

またヒロインも、自分の死後について、千々石のように残った人たちに思いを寄せる描写はない。ただ「自分のひどい姿を見せたくない。きれいなままの姿を夫である主人公に残したい」と、「自分のこと」しか考えてない。で、黙って姿を消す。

人間度から言って、
千々石>>>>>>>>ジブリ風立ちのヒロイン、でもある。

当然、ヒロイン同志で比べるなら・・・
ユキ>>>>>>>>>ジブリ風立ちぬのヒロイン、だ。

「>」の数、もっと多くていいくらいだ。

話を元に戻す。

ジブリ風立ちぬ主人公の、あのラストを見た限り、
主人公は出て行ったヒロイン・妻を追いかけもせず、会いに行くこともせず、おそらく死に目にも会ってない・・・あの淡々とした感じでは迷いもせず、ヒロイン・妻の望む通りにさせた(=生きている間は会わない)、と受け取られても仕方ない。

本当に呆れるほど、キャラもうすい物語だった。

迷いを描いてこそ、人間ドラマなのに。
そういったところを排除したキャラに全く人間味・魅力を感じない。

男として、人間としてのキャラの魅力
千々石>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジブリの『風立ちぬ』の主人公

「>」の数、もっと増やしたいくらいだ。

ついでに主人公としての魅力
千々石>エリン>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジブリ「風立ちぬ」主人公

エリン以下の「>」の数、もっと増やしたいくらいだ。


○「獣の奏者」について。言っていること正しいけど、引っかかった点。

「生き物の性を歪めてはいけない」・・・動物を家畜として飼い、食料とするのは仕方ないけど、子孫を残せない体にしてしまったことを「やってはいけないこと」とし、主人公エリンは人間の身勝さに罪悪感を抱くのだけど・・・
現実、ペットの犬なり猫なり、避妊させていることについて、どう思うんだろうなあ、とふと思ってしまった。これも「性を歪めている」ことになる。エリンから見たら「悪」だな、と^^;ペット飼って、避妊させている人、「獣の奏者」読んで、この点はどう思ったんだろう?

・・・・・

とまあ、好き勝手に語ってしまったが・・・

ハヤシは結局、何が言いたかったのか・・・それは前の記事でも叫んでいたが、なぜ「とある飛空士への夜想曲」が、「獣の奏者」「永遠のゼロ」「ジブリ風立ちぬ」ほどに、世間の話題にならなかったんじゃ~? ということだ。

また機会があったら叫ばせてもらおう。

⇒続きを読む


とある飛空士への夜想曲」を読み終わり・・・一番、困ったのが、ほかの小説のお話が物足りなくて、つまらなくなってしまったことだ^^;

そもそも種類が違う「まったり系、ほのぼの系、コメディ」と較べるべきでもないし、「それはそれ、これはこれ」で楽しむものだけど、こういった作品の物語性をうすく感じてしまうようになり、とりあえず、ななめ読み・・・続きを読むのも億劫となってしまった。楽しみにしていたはずの小説(「メディアワークス」なのでライトノベルに入るのかな?)だったのに。

なんてこった、大半の作品がおもしろくない、ものたりない、入り込めない・・・

また、同じ種類=戦闘テーマのお話、「土漠の花」(一般の文芸書・小説。ラノベではない)もつまらなく感じ、私の感覚では『とある~夜想曲』の足元にも及ばなかった。

この「土漠の花」・・・そうそうたる人たち(見城徹氏は号泣・・・まあ、見城さんはこの本の出版元だから当然として・・・秋元康氏は絶賛)が褒めているんだけど・・・う~ん、私の感覚がずれているのか?

「土漠~」の場合、仮に「とある~」を読んでなくても、つまらなかった気がする・・・
次々、自衛隊員の方が戦闘で死ぬのだけど、心に残らない。

「とある」の主人公・千々石の死が衝撃的で(覚悟はしていたが)、心に残っただけに・・・この差は何なんだろう、と思ってしまった。
おそらくキャラクターの描き方で、密度の違いが出た感じがする。

見城氏、「土漠」で本当に号泣したのか?

ただし、「とある~夜想曲」も、主人公以外のキャラの死については、私はあまり心に残らなかった。
下巻から登場する主人公の同期2人の死にいたっては、あっけなく思った。
上巻から登場していた主人公の部下2人の死についても、「ああ、部下が死んだか。これでもう主人公の死は決まったか・・・」と、まずは主人公のことが心配になってしまった。

キャラクターがどれくらい描かれているかで、「死」のインパクトも違ってくるのだろう。

というわけで、私の正直な感想。

「とある~夜想曲」>>>>>「土漠の花」


ただ「土獏」は主人公は死んでないからなあ。較べるのは酷かもしれないけど。

主人公、あるいは主要キャラの死、というのは、わりと「心を動かされやすい」し、特に主人公の死は受け手にインパクトを与える。

獣の奏者」(完結編)は特にそうだった。主人公の死は予見できなかったので、インパクトは強かった。レビューにも「ショックだ」という感想が多く見受けられる。

「~夜想曲」「永遠のゼロ」は主人公の死を予見できる。
「助かってほしいなあ」という気持ちがあるので、ショックは受けるが、
獣の奏者」の主人公の死は「えええ? うそ~」という感じで大ショックだった。

うん、「~夜想曲」=「永遠のゼロ」=「獣の奏者」(完結編のほう)
私的に、この3つは並ぶかな。
まあ、僅差で「永遠のゼロ」よりも「夜想曲」が好きだが。
「~夜想曲」と「獣の奏者」(完結編)は完全に並ぶ^^

(ああ、なのに、なんで「夜想曲」は、「永遠のゼロ」「獣の奏者」ほどに話題にならないのだ?)


そうそう、前の方の記事にも書いたけど・・・
小説ではないが、ジブリ映画の「風立ちぬ」について。

ヒロインの死にいたっては、まるで何も感じなかった。主人公も悲しんでいる様子が描かれなかったし・・・あまりに淡々としすぎ。人間味がうすい。全く共感できない、というか、何を共感していいんだか分からないお話。

戦争の悲劇もそれほど描かれていない。

それでいて、戦争の悲劇を主人公は口にする。
飛行機=戦闘機を作ったのは、ただ夢を実現したかった、と、のたまう。それも淡々と。
主人公は、人殺しの戦闘機を作ったつもりはないらしい・・・きれいごとだな・・・

このアニメ・・・もはや「きれいごと」を通り越し・・・よく分からない、一体、何が描きたかったんだろう?

戦争や死、恋愛を扱いながら、これほど、つまらなく、うすくて、心に全く残らない、訴えるものがない、人間が描かれてない、ドラマのない物語はちょっとめずらしいのでは、と。

あえて正直な感想を。同じく「とある~夜想曲」も、戦争、恋愛、死を扱っているが・・・・

とある飛空士への夜想曲」>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>ジブリの『風立ちぬ

「>」の数、もっと増やしたいくらいだ。


なのに、何度も言うが、なんで「とある~」がもっと話題にならなかったのだ・・・と思ってしまう。もっと一般的に広がってもいいのに・・・
やっぱ「ラノベだから、一般の人が手に取らない」っていうのもあるのかもしれない。

そういえば私も・・・世に出回っているラノベは、よほど話題にならない限り、手に取ることはない。

なので「とある飛空士への~」との出会いも偶然と言えば偶然だった。

中山七里の「追憶の夜想曲」(これはおもしろかった)を検索していたら、たまたま「とある~追憶」「とある~夜想曲」がひっかかった。

けど、そこで、もし【よくあるラノベのイラスト表紙】だったら、私は「とある~」に興味を示さなかっただろう。

(ラノベが小説より下と言っているのではない。感覚が合わず、私が苦手なだけだ。それに漫画的な小説は基本的に好きである。ライトノベルにカテゴライズされない「トッカンシリーズ」「3匹のおっさん」など、けっこうある)

「とある~夜想曲」の表紙が、「よくあるライトノベル風のイラスト表紙」じゃなかったので、目に留まった。



これ、漫画の表紙なら普通だ。けど「ラノベ」では異例だ。

右に至っては「女」がいない。「男のみ」というのはラノベ表紙では稀らしい。(男性読者が対象の場合)
「男のみ」だとしても、メディアワークスの「零能者ミナト」のような「キレイなイケメン」ならともかく・・・、
男臭いオトコが一人で表紙を飾るなど、かなり、めずらしいのではないか。

(ちなみに、私は、キレイなイケメンより、千々石みたいなのが好きだが)

メディアワークスは「脱ラノベ」(というか、今、出まわっているラノベよりも、大人の一般読者をターゲットにしている)を目指しているそうで・・・メディアワークス文庫は「よくあるラノベ表紙ではない本」も多い。主人公も社会人OKだ。

なのでメディアワークスはラノベの中でも異例。小説に近いラノベと捉えている。
だから、私はメディアワークスのほうは、たまにチェックする。

一方、「とある~夜想曲」は「ガガガ文庫」だ。「ガガガ」のほかの作品を見たら「ラノベど真ん中」である。「とある~夜想曲」が異例だ。


話を戻す。「とある~の表紙」について

この男=千々石を見て、ベジータを大人っぽくした感じに見えた^^;
性格もおそらくベジータタイプだろう、と。

で、女の子たちメインのよくあるラノベではなく、少年青年漫画に近い雰囲気を感じたので、興味を持ったのだ。

左の表紙も、パッと見、千々石は20代後半に見えてしまった。いや、これ30代でも通じるのでは。
手前の女性も、いわゆる「女の子」というよりも、「大人の女性」に見えた。

この絵で主人公とヒロインの年齢は、まさか10代ということはないだろう、と、ここでも興味をひいた。大人っぽい物語を期待させた。

だが、「とある~」について調べてみると、「~追憶」を先に読め、という意見が多く、「追憶」を調べた。

「追憶」はその人気から「劇場版アニメ」にもなっていることを知った。
「追憶」のほうが、「夜想曲」より、話題になった、面白い、人気をとった・・・という感触を持ち、「追憶」を選択した。
1巻で終わる、というのも大きかった。

ここで、もし「追憶」がつまらなければ、私は「夜想曲」は読まなかっただろう。

が「追憶」に感動したので、これなら「夜想曲」を読んでみたい、と思い、「夜想曲」を読んでみたら、まあ、なんということでしょう~。「追憶」よりも好きかもしれん、感動した、すばらしい、はまった・・・という結果になった。


「飛空士への追憶・夜想曲」は、よくある「ラノベ風なお話・キャラ・のり」じゃないところが良いのだ。

夜想曲に限っては、
主人公が22歳~23歳。ヒロインも20~22歳。
子どもの時の話はあるものの(主人公14歳、ヒロイン12歳)・・・

で、男キャラが多い。女はヒロイン一人だけ。

これは、10代後半から20代の男性を読者ターゲットにしているラノベではめずらしい。

で、ラノベでは、主人公は10代がのぞましく、20代だとしても大学生まで。社会人不可。ファンタジーであれば、主人公20代はありえない・・・ようだ。

一方、青年(成年)漫画なら、20代前半から後半の主人公は普通にいるし、社会人キャラも多い。
で、女キャラは少なく、男キャラが多い作品は普通にある。(恋愛コメディのぞく)

だが、ラノベでは女の子キャラは多い方がいいらしい。女はヒロイン1人だけというのは異例のようだ。

レビューや感想など見ても、「よくあるラノベは飽きた」「お腹いっぱい」「ハーレム、萌えはいらない」という意見もよく目にする。
なのに、何でラノベって、漫画みたいに広がりがないんだろう・・・みんな似たような印象。

メディアワークスのみ、ラノベと小説の中間をねらっている、今のよくあるラノベから脱しようとしている、ラノベではない漫画風の小説を目指し、読者層を広げようとしているのに・・・なんで、ほかの大手出版社はメディアワークスみたいな挑戦をしないのだろう。
漫画のように広い層に興味を持たせるようにしたほうがいいのでは、と思うのだけど。

いかにも「ラノベ風」というような本を敬遠する人は意外と多い気もする。私もその一人だ。

「とある~」でさえ、「恋歌」と「誓約」は表紙のイラストから「10代くらいの女の子がたくさんいる、よくあるラノベ臭」を感じ、私は「合わないかも・・・」と手を出さないでいる。「追憶」と「夜想曲」がこれほど良かったにも関わらず。

・・・・・・

ところで「夜想曲」を手放しで称賛しているけど、
12歳の時のユキ=ヒロインのほうは「大人な振る舞い」をするのに、20歳の時は、千々石に対し「バカバカバ~カ」と子どもっぽいセリフを口にするのに違和感もった。

このヒロインの子どもっぽいセリフは、「ラノベ風の女子にしないといけなかったから」なのかしら?
「バカバカバ~カ」と口にする20歳・・・無邪気というのとは、また違う気がする。

20歳のヒロインの「バカバカバーカ」と「バカ」が何度も繰り返される子どもっぽいセリフはひっかかった。(ま、高校生くらいまでだよね・・・)

「ラノベ」というジャンルが、そうさせてしまった(そうせざるをえなかった)気がするのは、うがった見方かしら。
もし「ラノベ」という縛りから、そうなってしまったんだとしたら、残念に思った。

作者の犬村小六さんのライトノベル第一作「レヴィアタンの恋人」のあとがき読んだので、よけいに・・・邪推してしまう^^;(古書店で「あとがき」だけ立ち読みした^^;)

そのあとがきによると・・・
犬村氏がこの『レヴィアタンの恋人』を各出版社に持ち込んだところ、「(今流行の)ラノベらしくない」「萌えがない」=女の子キャラがライトノベル読者好みではない、と多くの編集者らから言われ、原稿を突き返されたらしい。


私は、ライトノベル風の少女たち(幼さを演出したロリータ、失礼な言動のツンデレ、お姉さま、オドオド型で大人しい、無表情の綾波レイ型など)類型キャラに感情移入や共感できることはほとんどなく、物語に入り込めない。

この手の少女は「はるひ」「エヴァンゲリオン」で、もう十分では、と。
いや、この手のキャラは魅力あるから、あちこちで使われるのかもしれないが。

戦闘好きで強気でちょっと自分勝手で誇り高い千々石は、ま、ベジータ型で、これだって少年漫画の世界ではよくいるキャラだけど、この手のキャラは「お腹いっぱい、飽きた」とは、ならないのだ^^;

ま、私がベジータ型が好きなように、「ツンデレ型、綾波レイ型、ロリータ型」キャラが好きな人も多いのだろう。

あ、けど千々石は、ベジータよりは素直だし、お礼も言うし、ベジータよりも大人ですが。

で、「夜想曲」のヒロイン・ユキについても・・・「バカバカバーカ」など一部のセリフは気になったものの、全体的には共感、感情移入できるし、いいキャラクターだと思う。最後の方はやはり切ないしね。

・・・・・・

「とある~追憶、夜想曲」・・・「ラノベ」だからこその設定だな、と思ったところについて。

空母・戦艦が空を飛ぶ・・・つまり、あのような重いものを空に浮かべることができる技術を持っているのに(空母や戦闘機は電力で飛んでいる)

「追憶」では、皇妃候補の姫=ヒロインが馬車にのっていたり・・・(自動車じゃないのか・・・トップクラスの大金持ちが馬車を使っているなら、自動車はない? 少なくとも一般的に普及はしてないようだ)、

「夜想曲」では少年・千々石が炭鉱で働いている。(一般社会では石炭を使っているのか・・・ちなみにレコードは蓄音機でまわす・・・エアコンはないようだ)、

水素電池によって戦闘機や空母は空を飛ぶことができるらしいが、地上の一般社会の、ほかの技術は前時代的だ。

こういった世界観について、ひっかかりは覚えたものの、ファンタジー要素の強い架空世界ということで、そういうのもあり、と思うことができる。

ラノベはそれだけ「自由な設定」であっていい、ということだ。

ライトノベルは、一般の小説に較べ、ある程度「ご都合主義が許される」「リアリティが多少なくても許される」「漫画的」な気がする^^
これは「小説>ライトノベル」と言うのではなく、ライトノベルは「より自由に物語を作れる」ジャンルなのだと。

が、実際は小説よりも、そして漫画よりも、縛りが厳しい気がする。

10代~20代読者向けとなっており、読者層は漫画より狭そうだ。

男性向けの場合、女の子キャラは複数。萌えがないとダメ。ツンデレ、お姉さま、綾波レイ型など定型キャラがそろっていることが望ましい。
主人公は10代、どんなに歳くっていても大学生まで。
ファンタジー(SF)と恋愛ものがほとんど。似たり寄ったりという印象。

これが一般の人から「小説>ライトノベル」と思われる一因になっているのでは、と。

小説とライトノベルの境界線上の作品もあるけれど、そういう作品がもっと増えれば面白いだろうに、と。

ライトノベルの中にも『~夜想曲』のような作品があるのだ、ということで、小説とライトノベルの境界線がなくなっていけばいいのに、と・・・。

※ちなみに、ご都合主義はあっていいと思う。矛盾もある程度、仕方ない。

獣の奏者」だって、主人公エリンは当初、王獣に耳栓をして飛ばしていた。だれかが吹いた「音なし笛」を聞いた王獣が硬直してしまわないように、墜落しないように。
なのに、途中から「ハープの音」で王獣を操るようになり・・・「耳栓はどうした?」と思った。

そしてラスト、音なし笛を鳴らし、狂った王獣を硬直させ、墜落させるエリン。王獣もろとも墜落しエリンも死ぬ。「皆を助けるため、王獣を止める最後の手段」として、「音なし笛」を使う。
王獣に耳栓していなかったのか? いつから耳栓なしで飛ばすようになった?・・・ということを忘れてしまうくらいにショックであった。

獣の奏者だって、こういった「ご都合主義」があるのだ。で、おそらく、読み手はこういったことをあまり気にしない・・・のかな?


改めて犬村小六の「とある飛空士への夜想曲」について。(ネタバレあり)


うむ、これも素直に感動した。ちなみに、アマゾンのレビューも「下巻」のほうが多く、5つ星だけど、私も下巻のほうで、ぐいぐい引き込まれていった。
下巻がおすすめ・・・とは言いつつ、やっぱ上巻も読まないとね^^;

けど、その前に「~追憶」を読まないと、その面白さは半減してしまうかも。「追憶」からつながっているし、「追憶」を読んでないと、最初の方は「?」かもしれない。
もちろん「追憶」も良かった。素直に感動したぞ。


※私は右の文芸本で読んだ。こちらのほうが改稿されているということで(『~夜想曲』と同時期に出版されている)、私としては右がおすすめ。

「夜想曲」も「追憶」も、人によっては「ベタな展開」「よくあるパターン、よくある展開」と言うだろうけど、「ベタな展開、先が見えてしまう話」で感動させる(キャラへ感情移入させる、キャラを応援したくなる)からこそ、すごいのだ。

こういうのを読むと、物語に「どんでん返しは必要ない」「先が読めても別にかまわない」と思ってしまう。
逆に感動させる方がずっと難しい。

で、どんでん返しを狙っても、けっこう無理があったり、矛盾があったり。
ならばキャラをじっくり描く方がいいのかもしれない。



※ここから先はネタバレ要素あり。

先が読めると言っても、「とある~」がすごいのは、こういうことだ。
「追憶」では、「二人は別れることになるんだろうな、でも一緒になれたらいいよね、一緒にならないのかなあ、そういう展開はやはり無理があるか」と思いながら、読み、んで終わりで「ああ、やっぱり」と思う。だからこそ「どんでん返しで一緒になれないのかなあ」と、最後まで引っ張っていってくれる。

「夜想曲」も同様。「死ぬんだろうな、でも生きてほしいよね。生き残らないかなあ。この展開では無理があるかもしれないが」と思いながら、読み、んで終わりで「あ、やっぱり」と思う。だからこそ「どんでん返しで生き残らないのかなあ」と、最後まで引っ張ってくれる。


ところで「夜想曲」のほうは、「永遠のゼロ」のライトノベル版と言われているそうだけど・・・ライトノベルではの良さがあると思う。
漫画的感性の私は「夜想曲」に肩入れしちゃうかなあ。「永遠のゼロ」ももちろん感動したし、良かったんだけど。

んで、ライトノベルによくある「萌え」とか「ツンデレ」も抑えてある。目立つ女性キャラはヒロイン一人のみで、少ない。
多少の漫画的なノリは、かえって私の好みだ。(萌えとツンデレはもうお腹いっぱい、かえって、このタイプのキャラが出てくるとその時点で白けてしまう)

つまり、萌えやツンデレがなく、漫画的なノリのライトノベルがあったらいいなあ、と思っていたら、「夜想曲」「追憶」が自分にヒットしてしまったのだ。

(魔法も超能力もツンデレも萌えもない漫画的ノベルということで、「プライオリティ」書いているのだ^^;)
「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062


ところで、「夜想曲」は「追憶」のように映画にも文芸書にもなってない・・・どうしてだ? やはり「永遠のゼロ」があるから、なのか・・・「2番煎じ」と思われてしまっているのか? でも、2番煎じってことはないぞ。むしろライバルとの闘いや恋が描かれている分、漫画的ノリも求めている私は「永遠のゼロ」よりも「夜想曲」のキャラに感情移入できて、おもしろく読めたんだけどな。

そんなわけで「夜想曲」を応援したくなってしまい、こうしてネタにしてみた^^

ライトノベルは、今まで有名どころ「ハルヒ」「キノ」「バッカーノ」などは読んだことがある。これらは楽しく読めたけど、実は、ライトノベル=SFやファンタジーは苦手なほう。私は普通の小説の方を好んで読む。

で、「夜想曲」と「追憶」は、ライトノベルと小説の中間に位置する、と勝手に思っている^^
私の理想形だ。

ただ・・・手放しで褒めている「とある飛空士~シリーズ」だけど、「~恋歌」はもしかしたら私には合わないかもしれない・・・(ファンの方、ごめん、あくまで私の感覚ね)
アニメで見たけど、魔法・超能力的な「風使い」の少女が出てくる段階で、受け付けなくなってしまった。登場人物がたくさんいるので、覚えられない。「夜想曲」や「追憶」と違い、ラノベによく見られる女の子キャラがゴロゴロいる。これは苦手とするライトノベルっぽい・・・

「追憶」と「夜想曲」は、そういった魔法の類は出てこない。主人公はものすごい才能と技術を持っているものの、主人公含め全員「普通の人間」である。

「~恋歌」は、なぜ一人の少女だけがあのような特異な力を持っているのかな、ということで、そこで止まってしまう。周囲の人たちも特異な能力=魔法使いであれば納得だけど。ただ、魔法ものや超能力物は苦手なので、私はその段階で敬遠してしまうだろう。(ハリーポッターでさえ、さほど面白いと思えなかった。小説に限っては、最初で挫折した^^;)

※なので「~恋歌」「~誓約」は読むのを躊躇している^^;

「追憶」と「夜想曲」が私の一押しだ。
今まで読んだライトノベルの中で、ダントツ。感動の域まで行ったのは、今のところ、この2作品しかない。

もち「所詮、ライトノベル」「漫画的」という人もいるかもしれないけど、私も一般的に出回っているよくあるタイプのライトノベル的なお話は苦手だ。(ライトノベルが小説より下と言ってるわけじゃない。漫画的なノリでサクサク読める小説は大好きだ。「トッカンシリーズ」「3匹のおっさん」もそのひとつだろう)

ただなあ、やっぱ主人公は幸せになってもらいたいよなあ、とは思う。(幸せの定義は何か、というのは置いておいて)

レビューに面白い意見が書いてあった。

女性にとっては、ファナとユキ、どちらが幸せなんだろう?・・・て。

ファナの場合・・・好きな男性とプラトニックラブまで、その後、お別れ。結ばれることはない。ただし男性は生きている。きっと、どこかで幸せに暮らしているに違いない、またいつか会えるかもしれない、と思う余地を残させてくれるケース。

ユキの場合は、好きな男性と結ばれ、子どもを手に入れる。しかし男性は死亡。二度と会えない。

私個人は、ファナケース。やっぱ生きていてほしいもの。んで、どっかで幸せになってくれればそれでいい。もしかしたら、どっかで会える余地もあるんだし。

ということで、主人公各のキャラは死なせたくないよなあ。

ま、左派から見たら、「とある飛空士の夜想曲」(ほぼ戦中の日本とアメリカがモデル。太平洋戦争をモチーフにしている)は、右傾化エンタメなのだろう。
(特攻する主人公を無駄死にさせていない。戦局を変え、終戦へのきっかけをつくった意味のある死にしている。恋人に「カッコいい」と言わせている=生き様がカッコよく描かれている=国のために戦うことや特攻を全否定していない。しかし戦争が悲惨であることは描かれ、戦争賛美しているわけではない。が、左派は賛美を捉える)

と「~夜想曲」を読んで、いろいろ思ったのでした。

あ、そうだ、零戦といえば、ジブリアニメの「風立ちぬ」・・・やっと見たのだけど、つまらない・・・ドラマがまるでない、おまけに主人公の声があまりに素人(エヴァの安野監督だからな)、あまりの酷さにびっくりした。
キャラに感情移入できないし、ヒロインも死ぬのに、何も感じなかった。
いやあ、普通、主要キャラの死って、もうちょっと心をゆさぶるものだが、まるでなし。
時間も長くて、見るのが苦痛で、何度もやめようと思った。だから「ながら見」
いっきに見ることできず、ごはん食べる時、10~15分ずつ見た。途中から早送りで。
終わり方も・・・「え? これで終わり?」とあっけなかった。

『ハウル』からジブリはつまらなくなったな、と思っていたけど、まさかこれほどとは・・・私の正直な感想です。

・・・・・・・・・

さてさて、反対に感動しなかった、白けるを通り越し、かえって気持ち悪いと思った「感動系作品」について。、

前のほうの記事で、
少女(小中学生)が妊娠し、結局、苦しんで出産して、皆からも祝福されて、ハッピーエンド・・・テーマは命♪・・・でも、その後の子育てには触れない・・・というドラマや漫画の話に触れ・・・

「無責任なきれいごと物語」だなと思った。

せっかく宿った命、中絶は殺人、命は大切に、だから産もう・・・もちろん、これは善であり、正義である。
が、その後の我慢を強いられる子育てについては触れない。
触れたとしても、『周囲の協力もあって、上手くいってます。少女ママも少年パパも仲良く子ども育ててます』『子ども、元気に成長しました』と、サラッと描く程度。

『非現実的ご都合主義な無責任エンタメ』ということで、私はああいった物語は感動もしないし、『命を大切に』というメッセージにも、「じゃあ、その後の子育てを描こうよ。そっちが大事じゃん」と思ってしまう。

・・・というようなことを語った^^;

命大切テーマといえば、もうひとつ「臓器移植」について考えてみる。

産経新聞にて・・・生体腎移植で、妻が夫に腎臓を提供することになり、一度は同意したものの、実は夫側から圧力があり、妻はほんとうは提供したくなかった、ということで、移植は見送った、という内容の記事を見た。ドナーとなる人の本当の意思を尊重しなければいけないし、ドナーになるよう圧力がかからないようにしなければいけないけど、実際、どうなのだろう。ドナーになるのを嫌がったら「冷たい」と非難の空気があるのかもしれない。

ドラマなどでは、こういった生体臓器移植がテーマな場合、家族が快くドナーになり、成功、ハッピーエンドで、感動物語となるが、実際、ドナーとなるほうはかなりの葛藤があるのではないか。もちろん、移植される方も、家族の健康体を傷つけてまで、ということで悩むだろう。ドナーは絶対安全とも限らない。リスクはあるのだ。

・・・生体移植をテーマにした本(映画にもなった)「私の中のあなた」、そして漫画「ブラックジャックによろしく」・・・どちらも違和感ありの作品だった。

ブラックジャックによろしく
ありえん・・・家族間でさえ、葛藤あるのに、家族でもない恋人でもない「友人・同僚関係」で自分の臓器をあげる=ドナーになるかな、と。

腎臓は片方だけになると、疲れやすくなり、若い女性は出産も難しくなるので、まず若い女性がドナーになることはないと聞く。

ブラックジャックによろしくの主人公、激務には耐えられない体となる可能性が高くなる。
主人公って「善人」だとは思うが、ここまでいくと「気持ち悪い善人」にうつる。ま、非現実的なキャラにしか思えなかった。

私の中のあなた」は、舞台はアメリカだが、親が、姉のために、妹(14歳)へ腎臓を提供しろ、と迫る。
この時点で、かなり気持ち悪さを感じた。親のエゴもここまでいくのか、と。
ちなみに、日本では、若い女性のドナーは認められない。未成年もダメだ。

結末も気持ち悪い。感動物語なのだろうが、私は気持ち悪さしか感じなかった。命の大切さなど伝わらない。

なぜ、気持ち悪く思うのか・・・それは「絶対善」だからかもしれない。

この14歳の妹(もう治療は嫌だと言う姉のために、ドナーになりたくないと抵抗したが、本当は姉に提供したかった)も、ブラックジャックよろしくの主人公も、相手のために、自分を捧げることができる。心の底からそう思える絶対なる善人。

提供することに躊躇する、ほんとうは提供したくない、リスクもある、怖い・・・これが普通の人間だろう。
なので絶対善による感動話は、やっぱり白けてしまうのである。

ところで本編「プライオリティ」のシーズン4では、臓器売買が関わる物語となるので、いちおう紹介^^;

「ピクシブ」にて、シーズン4はこちら
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=3

「なろう」では下のほうにスクロール・・・ http://ncode.syosetu.com/n1557cj/

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松浦だるまの「」読んだ。
情景描写に心理描写を絡めるあたり、ほんと上手いなあ、読ませられたなあ、すごいなあ~、ということで、
犬村小六の「とある飛空士への追憶」そして「~夜想曲」と共に楽しませてもらった。(「飛空士への夜想曲」は読んでいる途中)

その「」について。
・・・丙午の醜い女が、醜いがために村の人間から迫害される話、人間扱いされない話。なので復讐し、ある方法によって、醜い顔を捨て、美しい顔を手に入れる・・・自身も醜い自分とさよならしたい、醜い自分は死んだ、ということにしたい。

醜さは悪なのだな・・・

今でも、こういった記事があるくらいだし、http://p.booklog.jp/book/75662/page/1893830
原爆投下も、トルーマン大統領は「日本人は野人、醜い、人間ではない、黄色い獣」と思っていたから、できたんだとか?
「醜い=人間ではない=獣=人間扱いしなくていい=とことんいじめてやれ=迫害してやれ=殺していい」ということで、「」の話は、ホラーファンタジーではあるが、けっこう現実をうつしているお話かもしれない。(美の基準がどこにあるのかはおいておいて)

ま、容姿で人生が左右されることはけっこうあったりする。
容姿は劣等感を刺激することを、皆、わかっている。

容姿のことをからかえば、たいてい傷つけることができる。
直接的に「ブス」「デブ」「チビ」「ハゲ」「小太り」「目が小さい」「顔がデカい」と言うケースと、巧妙に「○○に似ている」と言い、暗に「お前は容姿が悪い」と示す場合もある。こちらのほうが多いかもしれない。

直接的に失礼なことを言う人は、その場限りの人間に多い。
周囲もさすがに引いてしまう。
皆が分かるような失礼なことを口にする人は、皆から敬遠されるので、その場限りの通りすがりの人間以外、お目にかかることはあまりない。

巧妙に、人の容姿を笑い、からかう人・・・「○○に似ている」発言。

つまり「○○」は、容姿の冴えない有名人だったり、あるいは仲間内では知っている容姿の冴えない人だったり・・・要するに「○○に似ている」と言われても、苦笑いするしかない状況にさせるわけだ。もちろん「○○さん」にも悪いけれど、「○○に似ている」と言われて嬉しいはずがないことは、相手も承知しているはずだ。

巧妙な意地悪をしている自覚がなくても、「からかい」「笑いもの」にしていることは自覚しているはず。

けど「○○さんに似ていると言われるのを嫌がると言うことは、○○さんに失礼だ」ということで、「○○さんに似ている」と言うのは意地悪でも何でもないんだよ、ということになる。悪気のないからかい、となる。

けど、本当は悪気があったりして・・・こういう場面に遭遇すると、なんだかイヤなものを感じ、そういうことを口にする人からは離れるようにしている^^;

そう、容姿が劣っていることは重々承知。人前でも控えめに、できるだけ表に出ないようにしているのだから、許してほしいものだ^^;

「本当のブスには容姿のことでからかったりしない」などと言う人もいるが、あきらかにマイナスを示す容姿のからかいをするのは、笑いものにしよう、という意図を感じてしまうので、少なくとも好意は持っていないのだな、と思う。
嫌われてもかまわない=どうでもいい人、という扱いを受けるのは、やっぱり気分は良くない。笑いものにせず、いっそのこと無視してくれ、と。

容姿コンプレックスは、よほどの美人イケメンでない限り、誰でも持っているだろう。

巧妙にマイナス表現を仕掛けるのは、意外と「ご自分もコンプレックス持っているよね?」という人だ。だから、悪意を感じる。その人自身、同じことをされたら嫌なことを承知してやっている気がする。悪気なくやっているのではなく、悪気があってやっている・・・ように見えてしまう^^;
おそらく、同じようにやり返したら、空気は相当悪くなる気がする。

ま、不愉快な気分にならないためには、逃げることができるなら逃げるが勝ち^^;

今は「花粉症です」ということで帽子かぶってマスク姿で顔を隠しても不振がられない良い時代?になった^^;・・・いや、私のようなひとにはね。


さてさてさて、この「」であるが、星海社から出ている。

で、その星海社には、ちょっとまえに話題にしたあの『コルク』へ移った編集者がいた、とか、そこの副社長が講談社編集者、とか、講談社が出資している、とか、
なんだか、いろいろ話題を見つけたのでネタにする。

まず星海社の小説で新人賞をとった作品の盗作疑惑について、いろんな記事があった。

盗作された方の・・・いや、盗作というほどのものではないが、たくさんの類似点があると訴える作家さんの言い分はこのようだ。
http://togetter.com/li/599860?page=1

対して、真似したとする作品に賞を取らせ、その担当となった編集者の反応
http://sai-zen-sen.jp/works/extras/sfa010/01/01.html
(この編集者の方が講談社出身、というか、今でも講談社とつながりあるのだろうな)

ま、私は読んでないし、ほかの人の意見も様々「盗作だ」という人もいれば、「オチも違うし盗作ではない」「騒ぐほどのことではない」という意見の人もいる。

それよりも、この星海社の新人賞に送られた作品について、編集者らが座談会と称し、けっこうキツイことを言っている様子を公にしていることに、ちょっとびっくりした。

いや、真面目に講評しているところもあるんだけど、このほかにも何回かある「座談会」をいろいろのぞいてみると、投稿者に対し「失礼なこと」を言い、それを公にしている箇所を見た時、もしかして投稿者をバカにしている?、と思ってしまった。

クソ原稿、クズ原稿を送ってくるな、と公にモンクを言うのであれば、募集やめればいいのに^^;ま、読むの辛いのは分かるけど。
募集やめれば、クソ原稿やクズ原稿は送られないのだから。

いやあ、私もそうだけど、自分の作ったものは「クズかどうか」「クソかどうか」判断できないのだ。クズ、クソだと思えば、最初から送ったりしない。

「お前は、自分の作ったものが、プロの作品と並べられると思っているのか? 頭おかしいんじゃないのか」と言われそうだが・・・うん、頭、おかしいかもしれない。おかしいから、描けるのかも^^;
クソだと思っていたら、最初から描かないもの。

漫画だと、最初の2,3ページ見て、つまらん、と思ったら、編集者は読まないで、パラパラ~とめくり、目を引くところがあれば、そこで止まるが、そうでなければ、そこでおしまい。1分もかからん。小説の場合はどうなのだろう?
ま、辛いと思うってことは、「クソ原稿」でもいちおう最後まで読んでいる、ということかもしれない。だとしたら、それは偉い、と思うけど。

いや、このキツイ座談会、わざと「キツさ」を売りに、話題になることを目的としているのかもしれない。
インパクトはある。これで星海社という出版社は印象に残る。少なくと私は、星海社がどんな本を出しているのか、興味も持った。

この座談会といい、盗作疑惑問題といい、話題にはなる。宣伝の一環として行っているのかもしれない。

私も「プライオリティ」宣伝のために、エロネタを持って来たり、どギツイことを言ったり、ネタにしたり、インパクトを考える。えげつないこと考えているもんな。このブログも、その一環。だから、きっと不愉快になった人、ウザいと思った人はいるだろう。

※ちなみに「プライオリティ」はこちら
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062
「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/

それでも・・・私のような人間は、きっと編集者から見たら、頭悪く思われているんだろうな。
とくに大手出版社の正社員として入る編集者は高学歴だし。講談社あたりだと、東大出がゴロゴロいそうだ。
よってプライドも高そうだ。

・・・そういえば、漫画家も含め作家、その志望者って、人間扱いされない場合もあるのかもなあ、と。

こういう漫画を見つけた。
連載が決まっていて、いろいろ作業を進めていたのに、急に「なし」になってしまったお話。契約書をかわしているわけでもなく、口約束だから、そのようなケースになることもあるのだろう。おそらく実話だ。本人が経験したのか、あるいはほかの漫画家の体験なのかは分からないけれど・・・
http://ent.smt.docomo.ne.jp/article/17479
※この漫画家さん、講談社のモーニングで活動しているようだ。

契約書なしで口約束で仕事が進む・・・一般の社会では考えられない。それだけ軽く見られている、ということなのかもな。(このことは前にも話題にした)

口約束だから、いつでも反故にできる。

作家や漫画家は先生と呼ばれるが、実は人間扱いされていない、のかもしれない^^。いや、売れっ子は「先生」だろうけれど。

人間扱いしてないのを隠すために「先生」と呼んでいるのかも^^;

先生じゃなくていいです、そのかわり、人間扱いしてください、と思ってしまった。

そう言えば、前回話題にした「境界のないセカイ」を、クレームがくるかもしれないからといって突然、打ち切りにしたのも講談社だっけ。

ま、講談社関連ネタということで。(悪口じゃなく、たまたま、こういったネタを講談社つながりで見つけてしまった、ということじゃ)
松浦だるまさんも、講談社で漫画連載されているし・・・

・・・・・・・・・
余談。

大手出版社の編集者の給料の高さ・・・コストかかりすぎという意見も聞く。海外では、編集者は、本当に『編集の仕事』しかしないので、給料は低め、つまりコストがかからないという。日本は「作品を作る時」にかなり編集者が関わる。とくに漫画は。

漫画家にとって、どっちがいいんだろう・・・
編集者は作品の内容には関わらず(問題表現については口出しをするだろうけど)、好きなように描かせ、その代わり人気がなかったら打ち切り、すべて漫画家の自己責任となるか、
あるいは編集者が人気が取れるようにと口出しをし、作品の内容に関わり、おかげで人気が取れればいいけど、取れなかった場合、打ち切りになるのがいいのか・・・

編集者が作家の面倒見過ぎるから、その分、給料が高いのだ、と。
面倒見てもらいたい作家、反対に、好きに書かせてほしい(描かせてほしい)作家、いろいろいるのだろうな。

⇒続きを読む

※ドラマ「相棒」ネタバレ含んでます。

復讐する時、人間はその仇敵と同列である。しかし、許す時、彼は仇敵よりも上にある。Byフランシスコ・ベーコン】

許すことができて、自分は上だと思うことができて気持ちいいか、そして、それが癒しになるのか、結局は自己満足なのかもな・・・

『許すこと』は善だろうけど、そういった善人にはなかなかなれない。

いや、そんなこと言ったら、そこでおしまいだ、成長がない、善を目指せ、理想を目指せ。復讐は憎悪の連鎖を生むだけ、だから許そう・・・

正しいことだけど、きっと感情がついていかず、善なる正しい行いを『強制した段階』で、それは『善』でなくなってしまうかもしれない。

まあ、そんなことも物語『プライオリティ』ではテーマにしている^^;

ただ今、シーズン4の第2章までアップ。

シーズン4の内容・・・
子どもを狙った殺人事件が続いていた。
国政選挙まで2週間という時期に、政権与党の重鎮と首相の秘書官――それぞれの孫に対する殺害予告がくる。そこには、とてつもなく「えげつない事実」が隠されていた――。

その秘書官の孫の護衛を務めるジャン・セイヤ・リサ。そこではシベリカ工作員・少女サラとの戦闘が待っていた。その勝負の行方は?
そして、シーズン3でわりと活躍した『あの人』が意外な役で再登場。

キーワードは「臓器売買」「復讐」「取引」「二重スパイ」「意外な黒幕」「黒い政界」

「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=3(シーズン4)
「なろう」 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/(シーズン1~今までの投稿分全て)

シーズン1~シーズン3も「復讐」がキャラクターたちの行動の動機となっているし、実際、主人公サイドの人間も「仕返し」「報復」を行う。

リサは兄を殺された復讐をシーズン3で成し遂げ、セイヤはいじめっ子へ報復を、ルイはシベリカ国への報復、ミスズ先生は世間へ報復、敵方のサギーはトウア国への報復しようとし、、お門違いと知りながら、復讐心を燃やすのだ。(こうして並べると、主人公セイヤ君の報復相手は小さいな・・・主人公なのに^^;・・・でも、いずれ、もうちょっと大きい者へ報復するかもしれない・・・)

「ピクシブ」シーズン1~3はこちら
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062
http://www.pixiv.net/series.php?id=471062&p=2

まあ、『復讐』というのは人間ドラマでもあるので、物語ではそういったことがテーマになる。

シーズン4では、今まで多くの人を殺害し、セイヤを襲った工作員サラに、リサが報復する・・・かもしれない^^。
戦闘能力、セイヤよりもリサが上回っている? 銃を持たせたら、リサちんにはかないません。セイヤはもっぱら「頭を使う人」になってます。

ちなみに・・・サラは「復讐」という動機で、あのようなこと(心臓移植した子供を殺害)をしているのではない。その真意は後のほうで出てきます^^;

リサ、そして、もうひとりシーズン3で活躍した『あの人』が、報復または復讐という動機で動く。

報復を行ったリサらは、報いを受けるのかなあ。
受けるべきと考えた時点で、同じ穴のムジナだが。

報復は次の憎悪を生む。だから報復してはいけない、許せ、というのは正しいことだし、「善なること」だけど。人間、理想通りには生きられない。
理想を描かないことも「プライオリティ」のテーマなので、「きれいな話」「皆がハッピー」にならないのだ・・・

さてさて、そこで・・・「相棒」今シーズンの最終回について。

ようやく、録画しておいたドラマ「相棒」の最終回を見ることができた^^;
なるほど・・・まあ、スッキリしないというか、モヤモヤするというか、ちょっと無理やりという気もし、けど私個人は「全く納得いかない」というわけでもなかった。
制作側は、ハッピーエンドにはしたくなかったんだな、世の中の不条理、そして主人公(杉下右京)の行いは正しいけど、決して周囲に良い影響を与えたわけではなかった、ということを描きたかったのだろう・・・

苦い部分が残る、ただし、絶望的なバッドエンドというわけでもない・・・ま、世の中、そう単純じゃないし、割り切れないところあるし、善なのか悪なのか分からないところもたくさんある・・・

私もそういったところを「プライオリティ」で描きたいと思っているので、「今回の相棒の最終回」には、ちょっと同調する部分もある。単純なハッピーエンドよりはいい。相棒はそういうドラマだ。

人気ドラマ「相棒」を引き合いに出すのは、大変おこがましいけど、「相棒」を見た後、「プライオリティ・シーズン5(ラストシーズン)」は苦い内容でも、ちゃんと描いてみたいと思った^^;

ただ今、投稿連載中のシーズン4も、ラストは「すっきりハッピーエンド」ではなく、かなりキツイ部分が残る。
主人公たちは決して「善なる正義の人」「自分らがやられても、仲間が殺されても、敵を許す優しい人、心の強い人」ではないので、そうなってしまう。

今考えている「ラストシーズン」は、さらにそれが顕著となり、主人公たちの行いは、もしかしたら共感呼べないものかもしれない、そんな展開になる・・・

一時、シーズン4で終わらせ、ラストシーズンは書かないほうがいいのでは、とすら思った。それほど厳しい、黒くて救いがなく、えげつない展開を考えていた。

じゃあ、もっと皆がハッピーになれるような救いのあるお話にすればいいのだけど、物語のテーマの性質上、それはできない。
皆がハッピーになる話=理想は描かない、ということで始めた物語なので。

シーズン4よりもさらに救いがなく、苦い内容のシーズン5。
けれど、それはだいぶ先の話。プロットから、物語を文章表現していく、推敲する、手直ししていく、ってけっこう時間がかかり、完成まで1,2年かかりそうだ^^;・・・

ま、そもそもシーズン5まで読んでくれる人がいるのかすら分からないし、読者ゼロの可能性も高い^^;
けど、公開したからには読み手がいなくても書いてみたいとはと思う^^;
読者がいないからといって、投げたりせずに、できるだけの努力はしていこう・・・

と、今回の「相棒、最終回」見て、影響を受けた。
迷っていたけど、「プライオリティ」ラストシーズン、当初のプロット通り、苦い展開でいこう、と思った。
けれど決して、絶望的なバッドエンドではない。それもまた「現実的」じゃないから。

ハッピーもバッドも混在する。それが現実だよなあ。

たぶん、主人公とヒロインがとる行いは、善ではない、かといって悪でもない。どうすればよかったのか、誰にも答えは分からない、けど主人公がとった行動は理解できるところもある、といったところか。もろ手をあげて共感はしないが、でも非難もできない。

理想は描くまい、と同時に、一方的な善または悪は描くまい、それが「プライオリティ」を作る動機にあったからなあ・・・
(もともとは、かつての日本を「一方的悪」とみる左派へのアンチテーゼとして始めた物語だから)

ということで、理想的ハッピーエンドではない、苦々しいものが残る物語もあってもいいのでは、と「相棒」見て、思ったのでした。


※ここからネタバレ。


「相棒」では・・・
野放しとなっている犯罪者、加害者、社会の悪に鉄槌(復讐、報復)を、多くの人が望んでいるけど、それを実行してしまうことは「悪」「正しくない」「復讐を認めたら、それは法治国家ではない」
なのに、実行してしまったカイ君。意外すぎというか、ちょっと無理がある気もしないでもないが、ま、「正しくないこと」を実行してしまったからには、報いを受ける。

ということで、カイ君は犯罪者となり、バッドエンドといっていい終わり方をしてしまった。(恋人に子どもができて、カイ君自身に全く希望がない終わり方ではないけれど、ファンにしてみれば納得できないかもなあ)

いやあ、やっぱり「意外」だったので、ちょっとびっくりな「相棒」だった。

⇒続きを読む

犬村小六「とある飛空士の夜想曲」が届いた。楽しみ♪
読む前から浮き浮きさせてくれる作品、自分も作れるようになるといいなと夢想しながら物語「プライオリティ」を綴っているのであった。http://ncode.syosetu.com/n1557cj/

松浦だるま「誘」も読んでいる。情景描写、心理描写がうまい。見習おう・・・

さて、文豪谷崎潤一郎氏の創作ノート発見のニュースで、時代を感じさせる「価値観」が垣間見えて、面白かったのでネタにする。

『細雪』の登場人物について
「S子は29歳であるが、まだ純潔な処女である」と書かれていたんだとか。

要するにキャラ設定ね。S子ってイニシャルにしているのが、なんとも。エッチですね♪

プライオリティ」。http://ncode.syosetu.com/n1557cj/ の場合に例えてみよう。

リサは17歳であるが、まだ純潔な処女である、20歳で結婚し、処女を喪失。だが、夫(男)しか知らない、よって貞節なる妻である・・・

・・・いや、こうして書きだすと、なんだかな・・・ギャグかい? あるいはエロ小説かい? って感じだね。

何でこんなことをネタにするのかというと、先日、気になったニュースを目にし、こんなことを思ってしまったからだ。

『世間が、初エッチ年齢を気にし始め、遅いことを問題視するかのような空気を感じ、不気味に感じた』

『童貞中年という言葉も出て、セックスしない人を見下すどころか、問題人物のように論評する人が表れ、ちょっと前までは「オタク」に対してももそうだったな、と、相変わらず世間の意地悪さにぞっとした』

今の世間の価値観でいえば、29歳処女というのは、「遅い」「気持ち悪い」「重い」という感覚なのだろうということで・・・
谷崎氏の『細雪』の29歳処女設定がとても気になったのだ。

そういえば世間様はこんなことまでアンケートしていた。
男性に対し、処女は何歳までならOK? と。(先日、そういう記事を見かけた)

3割くらいの男性は気にしないと答え。
けど、20代後半まで、または20代前半まで、という人もわりといたようで、それぞれ2割、1割強だったかな・・・(ちょいとうろ覚え)

処女は嫌だ、重い、処女を相手にすると大変だから面倒、という男性もわりといたことに、時代の変化を感じて、印象に残った記事だった。

今では童貞と処女は、世間から「問題視」されるようになり・・・谷崎さんの時代では「純潔な29歳処女」も、今の時代では「問題ある女性」であり、敬遠されがち・・・のようだ。
あの時代は処女は「純潔」とプラスの言葉で表現されているが、今では「純潔」という言葉はギャグにすらなってしまう・・・

反対に、昔は「処女じゃない女は傷物扱い」されていた。

結局、昔も今も、世間はそういうことを気にし、世間の価値観に合わないものを「問題視」し、巧妙に排除していこうという空気に恐ろしさを覚える。
昔はあからさまに排除したが、今は巧妙だ。あからさまな排除は人権侵害になるから。

ところで、他人の握ったおにぎりが食べられない、という記事も話題になっていたようで、ふと思う。
他人の握ったおにぎりが食べられないのならば、他人と口づけしたり、セックスしたりも、気持ち悪いのでは? と。

わりと、そういったことに嫌悪感を持っている人、いるのでは? と。

つまり、そういったことは本当に好きな人でないとできないだろう。
まともな感覚に思えるが・・・

早くセックスを、という世間様にとっては「何をのん気なことを」「そんなこと言っていたら、いつまでたってもできないよ」「理想ばかり追ってないで、妥協しよう」「いつまでも処女、童貞って恥ずかしいよ。問題ありだよ」「贅沢言って、適当なところでやっておけよ」と思っているのかもしれない。

いや、世間様がこれほどセックス開始年齢にこだわり、処女や童貞を問題視するのは・・・「恋愛=セックスして、結婚して、子どもを産んでくれ」という願いが、そうさせるのかもしれないんだろうけど。

お国=社会のために産めよ増やせよ・・・結局、昔も今も、世間の根本の価値観は一緒かも。

いや、時代によって、世間が良しとする価値観はこうも変わるから、おもしろいよね。
谷崎氏の時代は、自由恋愛について世間は眉をひそめていたし、婚前交渉などそれこそとんでもなかっただろう・・・
けど、今は「恋愛しよう=エッチしよう」と恋愛=エッチすることをお勧めし、しない人が増えたと言っては大騒ぎをし、問題視するようになったのだから。婚前交渉をしてない人の方が「おかしい人」扱いだ。

けど、根本の価値観が一緒=子ども産んでほしい、ということで、それに反する人たちを何とか貶めようとする世間、なんとも「えぐい」ことよの~。

いや、こういう話題をする私もえぐい人間かも。
世間様のえぐさが、移っちゃったかな。

ところで、石原慎太郎の『太陽の季節』って文学なの?
あるいは渡辺淳一の『失楽園』をはじめとする恋愛小説はエロ小説だよね?
文学とエロの違いがいまいち分からん。

さて、この程度のイラストはエロじゃないよね。
貞節なリサちん(理沙ちん) これからエッチ
IMG_20141201_0001.jpg
遊びで描いてしまったイラスト。さらなるパラレルワールドでエロシーンを描いてみたいものよの~。ああ、渡辺淳一みたいな、ちょっとギャグが入った、いや、あれはギャグじゃないのか~

下品だ、とセイヤ君から言われない程度の、品あるエロを描いてみたい。
そもそもエロに品があるのか? ああ、品があると芸術や文学になるのかな。

よし、品のあるエロを目指すぞ。

ところで、桜、もうかなり散ったなあ・・・
とはいえ、「パラレル・プライオリティ日本編」の9編目「桜づくしの休日」よろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/9/

ピクシブではここです。http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5100379
最後にあざとく宣伝。

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前のほうで「夫婦円満」をテーマに山口智子の記事をネタにしたけど・・・人によっては「まったく参考にならない」「普通はこんなに自由にできない」「夫婦生活、結婚生活とは言えない」「主婦はこんな気楽じゃない」「ママゴトもいいところ」とカチンとくるところもあるようだ。

山口智子のインタビュー記事http://news.mynavi.jp/news/2015/04/02/003/より一部抜粋

【「凝ってあらゆる料理を作った」という手料理で、まるで「毎日が誕生日会」のように連日知人を招いていたことも。ところが、5年ほど経過した頃に「プチッと燃え尽きちゃって」。今は週に1~2回程度で、ほとんど料理をすることはなくなったという。】

転載終わり。

たしかに普通は『プチっと燃え尽きたから』といって、料理をほとんどしないですませられる、それが許される人というのは、まあいないだろう。唐沢さんはそれを許しているが、一般の男性は許さないだろうし、もし子供でもいれば、完全にアウトだ。

そこでちょっと考えさせられた。

結局、「運」も大きいかもしれない。伴侶が『唐沢さんだから』というのも大きいかもしれない。ほかの男性なら許さないかもしれない。

ま、料理は、別に女性の仕事でもないし、男性がやってもいいのだし、やらないですむなら、やらなくてもいい。
家庭料理を求めて結婚したわけでもないのだろう。

唐沢さんも毎日、家に帰ってくるわけではないだろうし、家庭料理にこだわらない、外食OK、むしろプロが作ってくれた料理の方が美味しいだろうし、毎日外食できる経済的余裕もある。

山口さん自身かなり稼げる人だ。一時期、テレビ界からは姿を消したけど、仕事をしようと思えば、引く手あまた。唐沢さんに養ってもらっているわけではない。

すれ違い、一緒にいる時間はほとんどない、結婚した意味がない、ということで離婚した人もけっこういるけれど、あまり顔を合わせないからこそ、一緒にいる時を大切にできる、ということで夫婦円満を保てる場合もある。

そこに家庭料理があるかどうかも関係ないのだろう。

これはもう人それぞれ、相性の問題かも。
相性がいい相手と結婚できた、というのも「運」かもしれない。(相性がいいかどうか、付きあっているときには分からないことも多い。一緒に生活して初めて分かるのだろうから)

幸福感を持てるかどうか、気の持ちよう、プラスに考えることができるか、マイナスに捉えてしまうか・・・だけど「運」も作用するかも、と思ってしまった。

山口さんには子どもがいない、あえて持たなかったのか、それとも欲しかったけど叶わなかったのかは分からない。
けど子どもがいない自由気ままを満喫し(子どもがいないことをプラスに捉えた生き方)、幸せを追求する生き方もあっていいのだ。

しかし、こういった「子どもがいない既婚者」または「独身者、未婚者」は、「ちょっと不幸であってほしい」「幸せアピールしてもウソっぽい」と思う人が、いたりするようだ。
自由気まま=苦労してない=いずれ、そのツケがくるに決まっている=老後は寂しい・・・と、こんな図式を描いているんじゃないだろうか。

そこで、ホリエモンの「今を生きよう」「将来のことをあれこれ心配するのは無駄」「将来どうなるか、誰にも分からないのだから」「将来の不安を払拭しようと、今を我慢するのはやめたほうがいい」を思い出す。

山口さんも「無理せず、気持ちよく過ごしている=今を生きている」のだろう。それが「できる立場にいる」のだから、それでいいのだ。

普通は「我慢する」「無理せずなんて気楽なこと言ってられない」「みんな、耐えてがんばっているんだ」ということで、自由気ままな人に反感を持ってしまいがちだけど。

ただ我慢したからと言って、その先、幸せになれる、または将来安定が得られる、とは限らない。将来のことは分からない。

もち、我慢しないと今の生活が成り立たないのであれば、我慢するしかない。
我慢しないでやっていけるなんて、よほど運のいい人、恵まれている人。そんな人が幸せアピールしてもムカつくだけ・・・というのは、私もよく分かる^^;

けど「ガマン」はできるだけ回避しよう、我慢は美徳でも何でもない、我慢したからと言って幸せになるとは限らない。

しかし幸せになると信じて何かを我慢するのはあり、とは思う。

じゃなきゃ「ガマン」なんてしていられないもの。けど、しないでいいガマンなら、することないと思う。逃げられるなら逃げろ、と。しないでいい方法があるなら、そうしてもいいのでは、と。

プチッときて料理をしなくなった山口さん、逆にガマンして料理していたら、ストレスたまり、ダンナにもそのストレスをぶつけ、結婚生活は破たんしていたかもしれない。
世間の価値観に合わせることなどないのだ。

世間の価値観=家庭をもったからには家庭料理があるべき、外食ばかりなんて偏るし、愛が感じられない、そんなの家庭じゃない、子どもがいないと寂しい・・・なんだろうな。

たぶん、それは子育てがいかに大変か、とも言える。
でも、その「大変である先」には幸せがある。
それはそうなのだろうけど、逆に「幸せである」と思わないといけない空気をそこに感じる。
不幸だと思ってはいけない、思ったら人間失格みたいな・・・

だから「我慢しないで自由気ままに生きている人」は、世間的にちょっと「不幸であってほしい」のかもしれない。

まあ、「子供のこと」は置いておいて、「家庭料理」について。
家庭料理のない結婚生活なんてありえない、と思っている人のほうが断然多いだろうから、山口さんはほんとうにレアケース、ということは分かる^^;

いや、「我慢すること」について、ちょっと考えさせられたので、書いてみた。

それにしても・・・、もう終わりだなあ・・・

とはいえ、「パラレル・プライオリティ日本編」の9編目「づくしの休日」よろしくお願いします。
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/9/
ピクシブではここです。http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5100379

日本文化・風習をテーマに、に関する雑学(餅、湯、茶、桜の由来など)も満載。
ちなみにこの物語の静也と理沙夫婦・・・理沙は健康を考えた家庭料理にエネルギーかけているし、静也はそのことをちゃんと知っている^^

(ダンナがそういったこと知らないままだと、奥さんもやりがいなくすよな。だから、そういったことを何となくアピールしたほうがいいと思う。ダンナはそれをうざがらずに聞いてあげてね。聞くだけでいいんだから)

⇒続きを読む

前回の続きと言えば続き。

「パラレル・プライオリティ日本編」作っていて、夫婦関係、しいては人間関係について考えてしまう。

ま、夫婦関係って、友人や恋人みたいに、「嫌になったら別れる」ことが、そう簡単にできない、かといって、親子関係のように「よほどの場合をのぞき、別れることがほぼ不可能」というわけでもない。

そんなことを思いながら、「気持ちの良い人間関係」=理想を描いているのだけど。

前回の記事で、「人間関係を維持するにおいて、何が重要か」で

○対等意識が持てる(相手を見下さない、尊重できる)
○価値観にさほど違いがない(相手の価値観を受け入れられる、理解できる、許容できる)
○コミュニケーションができているか(相手に関心がある、共通の話題、趣味がある)・・・になるのかな。

と3点挙げて・・・
その中の対等意識について、

見下すと(=相手を軽く見ると)、相手に対し、平気で人格否定したり、馬鹿にしたり、人間扱いしなくなる。
よって「礼儀」が全くなくなってしまう。

通常の人間関係なら破たんしかねないことをやらかしてしまう。
それを許すのが家族だ、という人もいるけれど。
言葉の暴力、言葉の刃って、けっこう威力あるんだよ。相手の心を破壊し、修復できないくらいに。

・・・と書いたことについて、補足。

言葉の暴力を放った場合。

まず放ったという自覚がない・・・相当、相手を見下している。人間扱いをしていない。
と私は判断する。

誰に対しても、言葉の暴力を放ってます、上司にも放ってます、っていう人は、仕事もうまくいってないはずだし、生活が破たんしているはず。
だから「言葉の暴力」がどういうものだかは分かっているはず。、つまり、暴言をガマンしようと思えばできているということだ。
なのに、それを放ち、放ったことさえ自覚してない、ということは、相手をまるで人間扱いしていない、どうでもいい存在ということ。

この場合、すぐに離れたほうがいい。(本物の暴力行為であれば、それは犯罪であり、論外)
どうでもいい存在は、単なるストレスのはけ口になってしまいがち。

相手に「相当、失礼なこと=暴言」を放ったことを自覚し、しかし、罪悪感がない場合、それもやっぱり相手を相当見下している。
罪悪感なさそうだな、と思ったら、やはり離れたほうがいい、と思う。

これはもう修復不可能、というか、相手に関係修復の意思がないと見ていい。
修復の意思のない人と関係を結ぶのは困難だ。

罪悪感がある場合だけ、修復の余地がある。

友人や恋人関係であれば、関係破たんさせたくない場合、それなりの努力をするけど、そう簡単に別れることができない家族関係になると、けっこう平気で「相手を見下す言動」をしてしまうものかもしれない。

親子関係の場合、子どもが未成年の場合、どうしたって上下関係になり、対等意識など持てないけれど、それでも最低限の対等意識は必要だろうと思ってしまう。

いじめ問題でも、この「対等意識があるか、ないか」って大事だよな、と。
ま、いじめる側は、相手を見下している。
対し、いじめられる側は、自分を下位に置いて場合がけっこう多いかも。

見下されないようにするには、どうしたらいいのか。

いじめの場合、やられたら、それなりの報復をする、これが一番手っ取り早いかも。
報復ができれば、相手は見下すことはない。

もちろん、相手がまた仕返すことはあるが、その時には「イジメという見下し行為」ではなく、「復讐」という対等行為になる。もちろん、復讐など、お門違いもいいところであるが。

そもそも復讐をするような相手であれば、話し合いなども通じるはずもなく、相手ととことん戦うか、相手から逃げるしかない気がする。

逃げることが出来なきゃ戦うしかない。
(ということが「プライオリティ」の断章のテーマにもなっている^^;)

ちなみに「プライオリティ・シーズン1」の断章はここです。
「なろう」断章1話目 http://ncode.syosetu.com/n1557cj/28/ 2話目http://ncode.syosetu.com/n1557cj/29/
「ピクシブ」断章とエピローグ http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4591671

ま、でも、戦うというエネルギーを使うより、逃げれるものなら逃げたほうがいい(距離をとる)
戦えば、相手は復讐をし、憎悪の連鎖が始まってしまうかもしれないし。

その前に話が通じるのであれば、話し合いで解決したほうがいいに決まっているが・・・話し合いで見下し行為が止むのであれば、そもそも相手はさほど見下していない。話を聞いてくれる、話し合いに応じてくれるということは、尊重してくれている、ということだ。

対等意識=相手を見下さない、相手から見下しを受けたら、相手から逃げる(縁を切る)、あるいは戦って相手に分かってもらう、対等であることを主張する、

ということが人間関係を結ぶのに大切な・・・というより自分を守るのに大切なこと、なのかもしれない。

見下し続けられると、心が殺される=人生台無しにされてしまうから。
ただ、それが家族間だと逃げ場がない。
家族間の人間関係がこじれると厄介だよな・・・

と、実はけっこう厳しいことを思いながら「パラレル」=幸せ家族(夫婦)物語を作っているのだった。

※「パラレル~」はここで投稿↓
「なろう」http://ncode.syosetu.com/n2006cl/
「ピクシブ」http://www.pixiv.net/series.php?id=486383

いや、でも理想はこれだなあ・・・
山口智子さんのもうひとつの記事http://news.mynavi.jp/news/2014/11/28/110/より一部転載。
「幸せの時間は、大好きな唐沢寿明さんとご飯を食べているとき」

「今この瞬間から未来が続くと思っているので、『人よりも最高のものにするぞ』と思いながら生きているかもしれません。世界で一番幸せだと思って生きてますよ」と回答。
さらに「幸せの実感は?」というMCの問いに「(夫の)唐沢寿明さんと一緒にご飯を食べている時とか、毎日美味しく食べている時です。ちょっとしたことが大事で、毎日楽しく幸せに美味しいと思いながら大好きな方と食べるご飯は最高です」と来年で結婚20年を迎える現在も幸せオーラを漂わせていた。

転載終わり。

「パラレル~」の静也と理沙も、食事の時間を大切にしている。これが夫婦円満、幸せにつながるのかも。

ま、食事なんてさっさと終わらせたい、会話も別にない、っていう夫婦もかなり多そうだし、忙しくてそんな余裕ないという人もいるんだろうな。

山口さん唐沢さん夫妻の生活を『ママゴトだ』『子供がいないから余裕あるだけ』という人もいるだろうけど、幸せなら「ママゴト」大いに結構。子供を持つ持たないは自由だし。

⇒続きを読む

夫婦愛?もテーマな「パラレル・プライオリティ日本編」書いているので、こういった記事は気になる。

山口智子、唐沢寿明との生活についての記事
http://www.msn.com/ja-jp/news/entertainment/%e5%b1%b1%e5%8f%a3%e6%99%ba%e5%ad%90%e3%80%81%e5%a4%ab%ef%bd%a5%e5%94%90%e6%b2%a2%e5%af%bf%e6%98%8e%e3%81%a8%e3%81%ae%e5%86%86%e6%ba%80%e3%81%ae%e7%a7%98%e8%a8%a3%e3%81%af%e3%80%8c%e6%af%8e%e6%99%a9%e6%89%8b%e3%82%92%e3%81%a4%e3%81%aa%e3%81%84%e3%81%a7%e5%af%9d%e3%82%8b%e3%80%8d/ar-AAajk1W?ocid=LENDHP#page=2

一部転載。

日常的な夫婦喧嘩は「しない」。「唐沢さんは人の話とか聞いてない」ことから、喧嘩に発展することがないのだそう。

国分太一からの「夫婦円満の秘訣は?」という質問には、「それはやっぱり、手をつないで寝るとか」「毎晩」と即答。

「うちに帰って唐沢さんと遊んでいる時とかは、自分にとってのオフかも」と告白。「なかなか一緒にいる時間はないから、会う時はできるだけくっついていようと私は思うんです。だから、本当にくっついていたくて」「抱っこ~! 抱っこ~! みたいな」というアツアツぶりだが、唐沢はそんなスキンシップに無反応。それを聞いた松岡昌宏が、かつて唐沢と酒を飲んだ時に「あー! 山口に会いてぇ!」と言っていたことを打ち明けると、山口は「どうだろう」「うちでは絶対に言わない」と怪しみながらも、「うれしいっす」と素直に喜んでいた。

転載終わり。

ほお、唐沢さん、名前ではなく「山口」って呼んでいるのか・・・・^^;
いや、なんかいいよね。

うちの静也と理沙夫婦とは違う「夫婦ぶり」だけど、共通点は「夫婦、一緒にいる時間を楽しんでいる、大切にしている」ってところかな。

でも、子どもがいると、そうもいかなくなるのかも?
やっぱ子どもができれば「パパとママ」になってしまうし。(山口、唐沢夫妻は子どもがいない)

夫婦円満の秘訣について・・・というか、夫婦に限らず、友人など人間関係すべてに言えるのかもしれないけど・・・

相手に対し・・・

対等意識が持てる(相手を見下さない、尊重できる)
価値観にさほど違いがない(相手の価値観を受け入れられる、理解できる、許容できる)
コミュニケーションができているか(相手に関心がある、共通の話題、趣味がある)・・・になるのかな。

話が合うかどうかも重要かも?

反対に、家庭の問題以外、話が合わないのはさびしい気もする。
いや、昔の夫婦はそれが当たり前のところあったけど。

そんなことをいろいろ考えながら
日本文化、風習をテーマに「パラレル・プライオリティhttp://ncode.syosetu.com/n2006cl/ を綴っているのだった。
※ピクシブはこちらhttp://www.pixiv.net/series.php?id=486383

9編目は「お花見 づくしの休日」
http://ncode.syosetu.com/n2006cl/9/

ピクシブはこちら
http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=5100379

の由来、湯、茶、御飯、餅などなど桜に因んだ雑学も満載。ほっこり幸せ物語。
短編コメディ。

静也と理沙の夫婦の桜づくしの休日を描いたのだけど・・・こいつらは似た趣味、感性を持っているので、夫婦でお花見して、桜づくしの風流な生活楽しめるんだよなあ。

もし、感性、趣味が違うと、

『花見なんて面倒だ。家でゲームしてたほうが楽しい』
『夫婦で出かけて何が楽しいの』
『桜茶、まずい。ふつうのお茶がいい』
『桜湯に、桜の花びら浮かべるの? あとの掃除が大変、やめてよ』
『桜御飯、そんなにおいしくないよね。普通の炊き込みご飯にしてよ』
『桜エビに桜鯛。贅沢。そんなのにお金かけられない』
『桜の由来? そんなの興味ない』

ということで、一緒に楽しく過ごせなくなる。
けど、実はこういったケースの方が多いかも・・・

そりゃ、楽しいだけじゃないだろうけど、楽しい部分がまるでない、となると一緒に生活していて辛い気がする。

ただ、だからといって不幸ともかぎらない・・・かもしれないが。

興味を持つところに接点がないと、休日(自分が自由に使える時間)を一緒に過ごすのがつらくなる。
会話もなくなる。会話も面倒になる。
一緒に過ごす時間は食事の時だけ。その食事もさっさと済ませたい。

で、相手がいつも不機嫌だったり、すぐに切れる性格だと、当たらず障らず、距離を置いて、できるだけ接触を避ける、という事態になり、コミュニケーションをほとんどとらない、相手に無関心となっていき・・・

離婚して生活が変わるのも面倒だから夫婦を続ける、という感じになる場合もけっこうありそうだ・・・

山口さん唐沢さん夫婦かのような「仲良しぶり」はレアなケースだろう。(いや、子どもがいない夫婦はそうでもないのかな)

対等意識というのも大切だな。夫婦に限らず。

いや、つまり「見下さない」ということ。

見下すと(相手を軽く見ると)、相手に対し、平気で人格否定したり、馬鹿にしたり、つまり人間扱いしなくなる。
つまり「礼儀」が全くなくなってしまう。

通常の人間関係なら破たんしかねないことをやらかしてしまう。

それを許すのが家族だ、という人もいるけれど。

言葉の暴力、言葉の刃って、けっこう威力あるんだよ。相手の心を破壊し、修復できないくらいに。

・・・・・・・・・・・
さて、ここからは全く別なお話だけど、前回話題にしたことについての補足。
(ちょっと疑問に感じたことがあるので)

漫画家の坂本未明さんが、自ら発達障害だと産経新聞インタビュー記事で告白していたのだけど・・・(だから飛行機内で泣いた赤ちゃんの声に我慢ができず、パニックを起こしたという話)

発達障害の定義って何だろう? と思ってしまった。
作家の市川拓司氏もそうだと自ら告白しているのだけど・・・

私は発達障害を、「コミュニケーション障害、相手の気持ちが全く分からない、読み取れない、よって人間関係がうまくいかず、職に就けない、長続きしない、生活に難儀している」と捉えている。

しかし、坂本未明氏も市川拓司氏も「成功者」だ。
坂本未明氏はテレビのコメンテーターとして見たことがある。漫画も売れて、バンドもやって、2度目の結婚をされて・・・
う~ん、これのどこが発達障害者?

コミュニケーションがうまくとれない人が、テレビでコメンテーターをし、アシスタントを使って、漫画を描き、編集者と打ち合わせをし、恋愛してお付き合いをし結婚までこぎつけることができる?

結婚すれば、相手方の親族とのおつきあいもあるだろう。
バンド活動では仲間たちとのアンサンブルになるのだから、当然、仲間たちと交流し、音楽について打ち合わせ、話し合いもするだろうし・・・

人間関係をうまく築けない人に、パニックを起こし、すぐに切れる人に、雇われている者=アシスタントがついていく? 

人の気持ちが分からない人が、物語を描き、それが人々の共感を得て、人気作品を作れる?

(私は坂本さんの漫画を読んだことがないので分からないが、漫画家としてずっとやってこれたということは、読者の人気を得て、本が売れていた、ということだ。漫画家でずっとあり続ける、ということはそれができたということだ)

ちなみに市川拓司氏も同様。結婚し、お子さんもいる。

コミュニケーションをとるのが苦手、性分である、というのと、障害である、というのと違いはどこにある?
障害そのものの定義も分からなくなる。

発達障害というのは、人とコミュニケーションをとって付き合うことに困難が伴うので、仕事につくことはもちろん、結婚も難しい、人とつきあうことが怖い・・・公の支援が欲しい、障害だと理解してほしいと本当に苦しんでいる人から見たら、噴飯ものでは、と思った。

坂本未明氏や市川拓司氏が発達障害であるならば、私もそうだ。おそらく3分の一の人は「発達障害」ではないだろうか。

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ハヤシ

Author:ハヤシ
2003年から8年間、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)のサイトで、マンガ「ショパン物語」を連載してました。

商業誌でマンガ連載経験あり。

主な作品 
「音吉君のピアノ物語」(小学館・少年サンデー) 
「ご令嬢金崎麗子」(集英社・スーパージャンプ) 
「スカイプレイ」(秋田書店・ヤングチャンピオン)
ほか読み切り多数。

ちなみに「音吉君のピアノ物語」(全6巻)が欲しい方はこちらへどうぞ↓
小学館コミックス「音吉君のピアノ物語」オンデマンドのページ

書き下ろしピアノ漫画「ピアニスト」(彩図社)は現在、中古本としてアマゾンなどで流通。

このブログでは、ピアノ、ショパンネタ、マンガ・物語創作、作品感想、社会ネタ考察記事を書いてます。
RPG「クロノトリガー」に、はまったので、「クロノ関連ネタ」もあります。

ーーーーーーーーーーー
○ハヤシの過去のHP(凍結)

クロノ曲ピアノアレンジ、イラスト、二次創作物語、クロノ関連雑記などを保管したHP↓
「クロノトリガーとドラゴンクエスト」

マンガやピアノなどについての過去の雑記があるHP↓
「マンガとピアノの道」

ハヤシのピアノ演奏録音↓
「クロノ曲」ピアノアレンジ
「ショパン」の曲


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