ハヤシのブログ

物語創作、ピアノ・ショパン、漫画、クロノトリガー、社会問題などについて語ります。

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この「告白」を読んで・・・なんか開き直っているようにも見えた。

坂東さんが言うには・・・

ネコを飼うのも自分勝手な傲慢
避妊手術をするのも傲慢
殺すのと同じである。

・・・と、罪悪感抱きながら殺し、己の傲慢さの嘆いているらしいが・・・

だから「子ネコを殺しても仕方ない」ということなのだろうか?

いやあ、愛するべきネコに避妊手術はできないのに、生まれた子猫を殺すことはできるのか・・・と疑問に思った。

「避妊するなら、殺しも同じ」、究極的には「罪悪感を持ち、己の傲慢を嘆きならであれば、殺すのも仕方なし。そして自分は罪深いのだと悔いながら、またネコを飼い続け、避妊させずに、生まれた猫を殺す。傲慢だけど仕方ない、私はそういう人間なのだ。人間は罪深いのだ」といういうことなのか・・・。

でも、「子猫を崖から落として殺す」というのが、不愉快である、という人が多いだろう。
当然だろうし、そういう気持ちが大切なのだと思う。

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今、ちょうど「国家の品格」という本をよんでいる。

んで、論理の落とし穴について書かれていて、「なるほど」と思っている。

論理だけでは世界は破綻する。
「人殺し」でさえ、「なぜいけないのか」論理的に説明するのは難しいし、できないという。

けど「いけないものはいけない」、頭ごなしに押し付ける、これでいいのだと、書かれている。



「子猫を殺すこと」は感覚的にとても残酷で不愉快、やってはいけないこと、これでいいのだと思う。

それを論理的に「では避妊手術はどうなのだ?」「増えまくっても共存していくべきでは?それができないのなら、殺しも同じことだ」となっていくのは、なんだか危険な気もする。

もちペットの避妊手術は人間の傲慢、飼うのも傲慢、それはそうなのだろう。だからといって「同じ傲慢だから殺す」というのを「あり」にしてしまうのは・・・ちょっとなー、と思う。

(傲慢さを嘆こうが、悔いていようが、「あり」ということになるだろう)

この「作家のネコ殺し」の件を読んで、
論理だけでは世界は破綻するという「国家の品格」に書かれていたことを思った。
(もち論理も必要と書かれている)

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「それは傲慢だ」というのは、結構簡単なことかもしれない。これこそ論理の落とし穴かもしれない。

すべての人間の行為が傲慢だと言えちゃうかもしれないわけで、だから殺していい、というのは、やっぱりおかしい。

人を殺すのは悪いことだ、というと
じゃあ堕胎はどうなのだ?日本ではある程度の期間までは許されているし、死刑だってある・・・

と、「じゃあ、これはどうなのだ?」と攻めていけば、説明がつかず、でもだからといって「人を殺していい」と認めたら、殺伐とした世界になるだろう、と思ってしまう。


作家は子猫を殺したことを告白し、その行為はとても愚かであった、やってはいけない行為だったと、素直に認めればいいのに、「避妊手術はどうなのだ?」と、飼っている人たちや避妊手術をペットにさせる人たちも「殺した自分と同じだ」と自己正当化しているように思う。

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論理でいくらでも、自分が「そうしたい方向へ」転がせます。
>「国家の品格」にも書いてありました。

だから坂東さんを擁護する人もでてきたり・・・
結局、これは「どうして人を殺してはいけないのか?」というのと、根は同じような問題かも、と思います。

「堕胎」や「死刑」や「他の動物は殺している場合がある」などの問題を出され、すべて論理的に説明できないから、じゃあ「殺してOKなのか」というと、やっぱりそれを認めたら終わりだと思います。

論理は絶対ではなく、感覚的に「それはダメなんだ」という情緒の部分が大切なのだと、「国家の品格」にも書かれてます。

坂東さんの論を認めてしまえば、「傲慢な人間は殺していい」という論にまで、転がそうと思えば転がせると思います。

子猫を崖から落として殺し、、それを「避妊手術はどうなのだ?」と、論を摩り替えてしまう大人がいるから、
「なぜ殺してはいけないのか?」と聞く子供が出てくるのかもしれない。


ま、自分も「自己正当化」のため論理(つうか理屈)をこねているところあるので、ちょっと反省しつつ・・・よって、人のことは言えないのだが・・・

んで、坂東さんの言い分というか、告白文と、その批判に対する回答文をすべて読んでいるわけではないので、どこか勘違いや読み違いをしているかもしれないので、「ネコ殺し」について批判する資格はないかもしれないが。


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追記として、某所にて、この件について書いた自分のコメントコピペ↓


追記1

この件で、他の方の日記にも書いてありましたが、ある程度の地位のある作家が「子猫殺しを正当化するエッセイを全国紙に載せた」というのが問題だということで、たしかにその影響力は大きく、危険だと思いました。

その影響を受け、作家の歪んだ論理のおかげで「子猫や小動物を罪悪感なく殺す人」が増えるのではないか、と。

そして動物虐待を繰り返した後、次は弱い人間(子供)がターゲットになるかもしれません。

その方の日記にも書かれてましたが、ある程度の世間に影響力を与える人間(この場合、権威ある賞を受賞した作家)が情報を大きなメディアに発信するとき、その影響力と責任を考えるべきなのではと思いました。


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追記2

世間が騒ぎすぎ(私も含め)という意見もあり
たしかに、それは結局「坂東さんの行為と言い分を宣伝」してしまっていることになり・・・けど、やはり無視できない問題でもあるような気もします。

作家大石氏のシンプルな意見
「物書きは人間のエゴを追求するのも仕事のうちですけど、子猫を殺すような人は、そもそも猫を飼わなければ良いだけの話ですよ。他の動物の生命をどうのこうのという崇高な考えがあるんなら、私はそもそも他の生命を「飼い慣らす」という行為に手を出すべきじゃないと思う。」

に同感します。

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追記3

「ある程度の地位のある作家が「子猫殺しを正当化するエッセイを全国紙に載せた」というのが問題だということで、たしかにその影響力は大きく、危険だと私も思いました。

その影響を受け、作家の歪んだ論理のおかげで「子猫や小動物を罪悪感なく殺す人」が増えるのではないか、と」

ということで、これに対し、もうちょい考えてみます。

例えば、残虐シーンの多い漫画やゲームなど、子供に与える影響は良くない、残虐なことをする子供が増えるのでは?、とよくいわれる。

でもゲームや漫画の影響だけでそうなるのでなく、そういう資質を最初から持っているのでは、どの程度影響を与えているのか測ることは難しい、ということで、

坂東さんの件も、これに影響を受けて小動物殺す人が増えるのでは?というのでなく、そういう人は最初からそういう資質を持っているとの意見もあり、
たしかにそうなんですが、

これはゲームや漫画などのフィクションでなく、地位ある作家が実際に殺していること、その行為を正当化した言い訳を発表したことにより、動物を殺す人たちへ「言い訳」を与えてしまう危険性がある、ということを、言いたかったわけです。

たしかに、坂東さんが今回の件を発表しなくとも、小動物を殺す人はいるでしょう。

で、おそらく、本当は言い訳はなく、ただ虐待したかったから、鬱憤晴らし、趣味、が、その多くの理由だと思います。

で、もしも後から罪悪感が生まれたとしても、
「いやいや避妊手術も同じことだからいいのだ」
「どうせ保健所で始末されるのだから、結果は同じ。自分の手を汚して、自分がやっただけのこと」
というような「論理的言い訳」により「感覚的罪悪感」は打ち消されてしまうかもしれない

もち、最初から罪悪感など持ち合わせていない場合も多くあるでしょう。

そして「避妊手術はしなくていいか」と考える人も出てくるかもしれない。それは「金銭的な面」「ただ面倒くさいから」が本当の理由でも、「避妊手術は人間の傲慢云々」と、言い訳を与えてしまうかもしれない。

そして避妊をさせなかった結果、産ませて、面倒見切れないから、殺すか捨てる(捨てても保健所で殺される)ということになる。

やはり避妊手術は飼い主の責任、ペットと共生する妥協点(人間の傲慢と言われようが)ということになり、産ませて殺すよりははるかに良い、ということなのだと思う。

まあ、でもこれは、あくまでも自分が勝手に思う推測と憶測です。
絶対ではないですし、従って、証明もできません。

世間がヒステリックに騒ぎ立て、さらに「坂東さんの行為と言い分」を宣伝している、お前も加担しているのだ、と言われれば、それは確かにそうなのかもしれないです。


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追記4

この件で「擁護派」にというか、
坂東さんの行為を批判する人たちへ「さわぎすぎ」とか「偽善者」とか「正義を盾に坂東さんを非難しすぎ」などの言い分に対する自分の言い分です。

この「避妊させずに産ませて子猫を殺す行為」は
食用としての動物、人間社会に害を及ぼす動物、保健所で殺される動物とは、また別次元の問題だと思います。
「避妊手術」と「子猫殺し」を同列で語れないことと同じだと思います。

それを混合したり、「人間の傲慢」というのは簡単です。
が、だから「子猫を自らの手で殺すことも同じことだ」ということになるのは、おかしいと思ってます。



と、いうわけで、いつもは、世間様に対し、なにかとイチャモンつける自分だけど(笑)、今回は、世間大半の人と同じような意見になってしまいました。

けど「騒ぎすぎ」といっても、亀田君ほどじゃないような・・・
いや、テレビあんまり見ないので、分からないのだけど、テレビではそんなに取り上げられていないような気がします。

テレビの影響力はやっぱ大きいので、テレビで時間をかけて取り上げていない今回の件は、「騒ぎすぎ」なんだろうか?とも思ったり・・・


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他の人の意見↓

ハヤシさんの言われるとおり、この作家さんは地位がある人で(若者に有名なホラー映画の脚本家で直木賞作家)その影響力を考えると、危険な影響やおっしゃるとおり地位のある人もやっているではないか、と言い訳を与えてしまう気がします。多くの人が記事に対する意見を書いているのは、そういう危険を察知したからだと思います。騒ぎに加担というより、一方的なメディアに対し、それに対する意見をネットやブログに載せることは、今は正当な意見の書き方ではないでしょうか。いろんな方達の意見を貼って下さって興味深く読ませていただきましたが、中にはかなり偏った論理が見られるように感じました。普通の人のほうが普通に感覚を持ち合わせているような…それは論理の落とし穴(でしたっけ;)なのかなと思ったり。。例えば動物虐待をする人はサディスティックな資質を持った人だと思いますが、実際の行動の引き金があるわけで、その壁は高いほうがいい、と聞いたことがあります。しかし今回のように、子猫殺しを正当化する言い訳の材料ができることは、その行動をしやすくしてしてしまうということ、特に模倣犯はインパクトのある形だけ真似た中身(この場合は坂東さんの論理ですが)のない粗悪な模倣を生むと聞いたことがあります。すみません長くなったので改めマス…;

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ハヤシ

Author:ハヤシ
2003年から8年間、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)のサイトで、マンガ「ショパン物語」を連載してました。

商業誌でマンガ連載経験あり。

主な作品 
「音吉君のピアノ物語」(小学館・少年サンデー) 
「ご令嬢金崎麗子」(集英社・スーパージャンプ) 
「スカイプレイ」(秋田書店・ヤングチャンピオン)
ほか読み切り多数。

ちなみに「音吉君のピアノ物語」(全6巻)が欲しい方はこちらへどうぞ↓
小学館コミックス「音吉君のピアノ物語」オンデマンドのページ

書き下ろしピアノ漫画「ピアニスト」(彩図社)は現在、中古本としてアマゾンなどで流通。

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RPG「クロノトリガー」に、はまったので、「クロノ関連ネタ」もあります。

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