新しい記事を書く事で広告が消せます。
スポンサー広告 |
前日記で、映画「カッコウの巣の上で」の感想を書いた。
病院側(婦長)は精神病患者を「支配する強者」として描かれていた点について、ふと思ってしまった。 (物語内容にも触れるので、「カッコウの巣の上で」ネタばれありです)
(もちろん、そう描かないと、テーマが伝わりにくいし、実際に「精神病患者に対する扱いは酷かった時代があったのだろうし、今もそういうところがあるのかもしれない)
患者側の立場としては、偏見持たないでくれ、自分たちにも人権があるのだ、と訴えたいし、対応する病院側や周りの人たちに不満もあるだろう。実際、酷い、差別もあるだろう。
周りの人たちも、もっと理解しなくてはいけないのかもしれないが・・・
一方で、患者と付き合うのはキツイ時もあり、ストレスがたまるのは、想像に難くない。(まあ、医者は専門家で、それが仕事なのだから我慢するのが当然だろうけど)
患者に対して、いちおう健常者と言われる立場の者は「強者」に仕立て上げられがちで、
でも健常者は・・・恵まれているとはいえるが、本当は強くともなんともない弱い人間なので、
そういった病気の人や障害をもっている人との付き合いに、普通にストレスがたまり、苛立ったり・・・
あるいは逃げたり、怖いと思ったりするのは、仕方ないのかもなー・・・
それを「差別だ、偏見だ」というのも酷なような気もする。
で、「救いたい」という「上から目線」だと、傲慢だと思われるし、
もち、たしかにそれは良くないのだけど・・・
では対する者も弱い人間であることを理解してくれるのだろうか?
でも対等に接するということは、相手にも権利があり・・・
コミュニケーションがずれてしまうので、苛立ち傷つける言葉をぶつけてしまったり、逃げてしまったりするのも、仕方ない、ということになる。
いや、難しい問題ではあるが・・・
なんだか、「精神上の病気、障害」について、いろいろ見聞きすると、そんなことを思ってしまった。
もち、自分が患者側になることもありえるし、
うつ病はポピュラーな病気だし、
この頃の「気力のなさ」が、もしも回復しなかったら、「これをうつ病というのだろうな」と、うつ病がどういう感じか、なんとなく想像できるし・・・
大変だなーーーーと、つくづく思う。
患者側ももちろんだけど、患者と付き合っている立場の人も(専門家だけではなく、家族や友人、周りの人々など)
患者の立場とそれに対する立場・・・
いや、患者(それい近い者、境界線上の人)の立場からは、けっこういろいろと叫ばれている場が多いけど、
付き合う側の方の思いは、難しい問題だけに(差別問題になりがちだし、患者側が見たら傷つくだろう)本音を叫ぶ場所が少なめだなと。
でも対等だというのなら、その人たちもいつ精神が壊れるか分からない弱者であり、そういう人たちもストレスや「心の闇」が相当たまることを理解するべきだとも思ったり・・・少なくとも、その人たちの発散の場は必要かもしれない。
いやいや、「カッコウの巣の上で」で、患者に対する側の人たちが「傲慢で強者で支配的」に描かれたので、気になったのだ。
(もち、「カッコウの巣の上で」は1960年代を舞台にしているので、今と違い、そういった患者の人権が、相当ないがしろにされたと思う>危険なロボトミー手術もあったのだから)
障害者問題 |
| TOP |