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物語において、敵の描写について、考えてみた。
(物語内容にも触れるので、「カッコウの巣の上で」「チュモン」ネタばれありです)
「カッコウの巣の上で」「チュモン」を例に。
>作品を知らない人でも、いちおう分かるように書いているつもりです。
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まず「カッコウの巣の上で」
前のほうの日記でも書いたけど・・・
青年患者を精神的に追い込んでしまい、自殺させてしまい、怒った主人公に殺されかけた婦長さん。
敵というわけではないが、主人公から敵対する立場になるだろう。
が、婦長さんは決して「自殺に追い込んでやろう」としたわけではない。
なので、自殺してしまった青年の姿に驚いていた。
けれど、騒がしくなった周りに対し、冷静に対処しようとしたところ、主人公に殺されかかったのである。
さて、たいていの人ならば、婦長さんのようなそんな目にあったら、精神的に相当なダメージを受けるだろう。
なので物語上、婦長さんが平然と職場復帰するのではなく、婦長さんも精神的ダメージを負ってしまう場面を入れたほうがリアリティあったのでは、などと思ってしまったのである。
婦長さんも、精神病患者たちとそれほど変わらない、何かショックなことがあれば精神的に病んでしまうことがある弱い人間、人間ならば誰でもそういう病気になる可能性があるのだ、ということで。
けれど、そうすると、婦長さん、つまり敵=病院側の「悪度」が下がってしまう?
もしも敵(婦長さん)が、主人公により精神的ダメージを負い、同情される立場になってしまうと・・・
(だって、あくまでも婦長さんは自分の仕事を忠実に行ったわけで、凶暴な主人公の行動はやはり認められない)
主人公側への共感度が下がってしまう。
主人公=精神病患者側に共感しづらくなるから、婦長さんを「ロボット」のように描いたのか・・・
そう、この話は、精神病院に入院してきた主人公により、感情が乏しかった他の精神病入院患者たちが、生き生きしてくるのだが・・・
対する婦長さんは表情が乏しい。
そう描かれている。
精神病患者のほうが人間的、
婦長はロボット的・・・
ちなみに、主人公は、「精神病」を装っている、という設定。
「婦長は、主人公の暴力によって精神的ダメージを負った」ということにしても、「だから精神病患者は怖い」ということにもならない。
主人公は「病気を装っていた」のだから。
それでも、婦長さんを、あんな目にあっても平然と仕事を続ける「強い人」にしたのは、
暴力を行った主人公を、あまり悪人にしたくなかった、からなのだろうか・・・
けど、そのあと、主人公は「手術で脳を壊されてしまう報い」を受けるのだ・・・
いや、病院側のこれら酷い扱いが、薄まってしまうから、病院側の婦長さんに、後々まで引きずるであろう精神的ダメージを負わせず「あくまでも強い人」に描いたのか・・・
婦長さんがダメージを負うと、最後、主人公が酷い目に合っても、「主人公に対し病院側は酷いことしたけど、婦長さんも心にダメージ負ったのだし・・・」ということで、やはり病院側の「悪性度」が下がってしまう印象を与えてしまうのかもな・・・
そういえば「チュモン」では、
主人公チュモンと敵対しているテソ兄は悪いことや卑怯なことはするのだけど、でも絶対的な悪というわけでなく、それほどの強者というわけでもなく・・・
むしろ、敵のテソ兄は、「正義の道を行くカッコいい主人公」よりも人間的で、私は主人公よりもテソ兄に共感してしまうし応援してしまう。
もしも、敵がもっと悪役度が高く、もろさがない強者で、あまり人間的でなかったら(それはそれで魅力的な敵である場合はあるが)、主人公側を応援したいと思ったかもしれない。
いやあ、敵の描き方って、奥が深い。
物語において、敵の描き方って、ほんと重要だよなー、と改めて思った。
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