ハヤシのブログ

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前日記「坂東真砂子さんの子猫殺し」について・・・続きです。

いちおう「子猫殺し」に対する批判でなく、「国家の品格」に書かれていた「論理と情緒」について考えてみようと思い、例として、今回の「子猫」のことを出しているのである。

坂東さんを批判しようというのがテーマではない・・・が、結局、批判していることになるのかもしれない。
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自己正当化するのに、よく使われるのは「じゃあ、これはどうなのだ?」とほかの事へ論点をずらしていく手があるかもしれない。



今回の「子猫殺し」も、猫を避妊させず殺すなんて酷い、かわいそうだ、やってはいけないことだと感覚的にいうと

じゃあ「避妊手術はやっていいのか?」「あなたは去勢されていいんですか?」「保健所で動物はたくさん殺されている」「捨てている奴も同類だ」「ほかの世界の地域では人間がたくさん殺されている。子供が間引きされているとこともある。猫が殺されたくらいで騒ぎすぎ」「もっと他の深刻な問題があるだろう」などなど・・・

まあ、いくらでも論点のすり替えが可能である。

自分も「自己正当化」のために、よくこの手を使うのだ。いや、意識して使っているつもりはないが、後々よく考えれば使っているかもしれない。

「もっと他の深刻な問題があるだろう、騒ぐことの程でもない」と言ってしまうのは、
例えば「私は○○の件で悩んでいる」と相談したら「世界中にもっと他に不幸な人はたくさんいる。あなたの悩みなどたいしたことない。」と言われているようなものである。
実に簡単な答えである。けど、まるで解決にはなってないだろう。

相談したほうにしてみれば、遠い世界の恵まれない人の話を持ち出されても納得できないだろう。頭では分かるが、心では納得できないと思う。

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というわけで「この件」も理論でなく、感情・情緒で考えてみると、ちょっと分かりやすいかもしれない。


もしも周りに

1 保健所で働いていて、動物を殺す仕事をしている人

2 食用の動物を飼育していて、動物を殺す人

3 人間社会を脅かす動物を殺す人(人間を襲う猿、カラスなどなど、ゴミをあさったり、病気を運ぶような、衛生上、害のある動物)

4 ペットとしてどうしても飼えなくなって捨ててしまった人(保健所で殺される運命になる)

5 ペットとして飼えなくて殺してしまい、でもそれは「仕方ないこと」で、今も動物を避妊させずに殺している人

が、いたとしよう。
私個人は、4までは、偏見はない。
そりゃあ、4は「無責任」であろう。けど「・・・わ、おかしい、近づきたくない、怖い」とは思わない。

けど、正直5は「近づきたくない、怖い」と思う。
いや、「殺したことはあるけど、それはやってはいけないことだった。後悔している。猛省している。今はやらない。だから動物は飼っていない」ならば「怖い」とは思わないが。


「1から4だって殺していることに変わりはないじゃないか。やっていることは同じではないか」と言われても、ピンとこない。

「去勢させている奴らも動物に対し、かわいそうなことをしているのだ、5と同類だ」言わせても、ピンとこない。

感覚的にとらえると、そういうことになる。

「近づきたくない」
え?そういう感覚はいじめだって?
でも、人が怖がること、不愉快なことをやっているのだから仕方ないのである。

そういう感覚の人が多ければ、少数対多数になり、「いじめの構図」という人も出てくるが、認められないものは認められないのである。
論で説明せよ、というのでなく、感覚的に。

んで「それは差別だ、偏見だ。お前の感覚は正しいといえるのか?世間の常識に縛られていないか?正義を振りかざしている偽善者だ。本当の正義とは何だ?」と言われようとも、感覚の問題なので仕方ないのである。
感覚(情緒)の問題だと正しい、正しくないで議論しなくいいわけである。


で、論ですべて説明つく、感覚は不確かなもので、感覚で物事を決めてはいけない、と今まで思っていたが、こうしてみると「そうでもないか」と、改めて「国家の品格」に書かれていたことに「なるほど」と思うのであった。

もち、感情も、論理的に「こうこうだから、こう思うのである」と説明できたほうがいいだろう。

「国家の品格」にも、論理も大切だと書かれている。>情緒も論理も、両方、大切なのだ。


ちょうど「国家の品格」を読んでいたので、しつこく取り上げているのである。
この話題に粘着しているお前こそ底意地悪い、いつまでやってるんだ?と思われるかもしれないが。

もうとっくに他の方の日記はほかのことに話題を移している。
「騒ぎすぎだ」といっても、そんなもんである。

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追記1

感覚と論理について


自分もこれまでは「論理は感覚よりも上。感覚で物事を判断してはいけない。論理で判断すべき」と思っていたので、この件を粘着して取り上げているのかもしれない。

つまり、自分が今まで語ってきたことも、再確認してみると、
たとえば「過激な性・暴力表現の作品」について、自分はどっちかというと擁護派で、
それらは犯罪に結びつくといって「規制」しようとする世間に対し、
「本当に犯罪に結びつき悪影響を与えるのか分からない」ということで疑問を語ったことがあり
その中で「感覚など当てにならない」と言ってしまった。

でも、感覚も大事、当てになる、ということで、「そうともいえない」ということに・・・

過激な表現に嫌悪感をもつことは当たり前で、自分も嫌悪する作品があるし、そういう作品は読まないし、ほかの人(とくに子供)に勧めることもしないが。


感覚とは、その個人の経験や常識で変わっていくので、そういう不確かなもので判断するなと言ったことがある。
これを撤回しなくちゃいけない、と思ったり。

なので、この件(ネコ殺しというより、感覚と論理)について、しつこく語っているのかもしれない。


もち、論理で割り切れない場合、感覚に従うのもあり、だろうが。

で、たしかにその時代の常識があって、その中で生きるのだから、正しいとか正しくないとかでなく、そのときに合った一番良いと思われる判断をすればいいのかもしれない。

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追記2

この坂東真砂子さんに興味をもった。
それは坂東さんの言い分を認める、というのではなく、なんでそのような思考をし、趣味をもってしまったのか、ということで。

やはり今回の坂東さんのお書きになった記事を読んでみると、世間一般の人とだいぶ感覚が違うというか・・・
世間常識から見れば「歪んでいる」ということになるだろう。

自分も、自分のことがやっぱどこか歪んでいると思うので(動物は殺さないが・・・そんな黒いエネルギー持っていたら、自分を殺したいと思う)、その孤独感とか、世(人)に背を向けているようなところが、どこか共鳴するところもあるのだ。
が、作家として記事を発表するのだから、やはり世に(人に)認めて欲しい願望もあるだろう。

そんな作家の心理状態に興味を持っている。


というわけで・・・もう少し語る。

↓この「子ネコ殺し」について、このような記事を見つけた。

圧倒的な批判意見の中、ノンフィクション作家 の小林照幸さんの意見↓
「責任感の無い飼い主が保健所に持ち込み、 殺処分されている犬猫が年間40万匹!!
その現実がある中で考え抜いた結果、自ら手 を下すのが飼い主の責任と考える坂東さんの行動に、他人が安易に批判してはいけない」

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では、この記事(意見)に対する自分の感想。


・・・ならば「避妊手術をするべき」なのに、そのことについては触れていない。
「保健所で殺される動物の数を思えば、たいしたことではない」「捨てるのと殺すのと、結局は同じだ」というふうに捉えてしまう人もいたり、論点がずれていく様子があったりして、

自分もそう攻められると「それは別次元の問題だ」としか言えない。
そもそも「論理的とはナンなのか?」といわれると、分からないが(汗)

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さてさて
「子猫殺し」の件で、いろいろと語ってきたが・・・

そうそう、昔、うちのサイトのBBSで「矛盾があるうちは語らないほうがいいんじゃないですか」というようなことを言われたことがあるが・・・

一貫して矛盾なく語る、というのも難しい、と思った。
「語っているうちに矛盾してくる」のは、よくあることかもしれない。

けど、やっぱ語らないと整理つかないこともある、と、いうことで。


結局、すべての問題を、総合的にとらえて矛盾なく語るのは難しく、その時々で、変わってしまうのは仕方ないことなのかも。

やはり「殺す」というのは、まず「ダメだ」と無条件に感覚的に思う。
もちろん「仕方ない場合がある」ということで、それは食用だったり、人間社会にとって害になる場合だ。

飼い猫は食用でもないし、害でもない・・・でも捨てれば「野良猫」となって人間社会に害を及ぼす。
だから「避妊手術」ということになるわけで、その避妊手術を否定するのなら、やはりどんなに増えようと最後まで責任もって飼うべきで、それができないのなら最初から飼わない、これが今の社会にとって、人間の傲慢と言われようが、考えられる一番良いルールだと思う。

絶対的に正しいとは言えなくとも、今考えられる最適な方法として、このルールに従うべきだと思う。

それを坂東さんが認めない限り、やはり坂東さんは批判されるのかもしれない。


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追記3

その後・・・テレビで「犬の救出劇」で騒いでいて、無事に救出できたようであるが・・・

この犬は、人間慣れしておらず、おそらく野良犬、雑種であろう・・・

いや、救出するのはいいことである。
が、一方で野良や捨てられた動物たち、面倒見切れず飼い主に持ち込まれた動物たちが、年間30万匹(だったと思う)、保健所で殺されるのを思うと、素直に「よかった、よかった、めでたし」というふうには思えないのであった。

「早く助けろ、なにやってんだ?」とテレビで怒っていた方もいたが(救出が始まってから6日たっていたらしい)

んで、この助けられた犬、引き取り手がなかったらどうなるのだ、または引き取られても、面倒見切られずに結局保健所へ、ということもありうるかも?

この野良犬は、例えば、ふつうに道をうろつき歩いていたら、つかまって、保健所送りになり、殺されていたかも?

いや、こういう矛盾があるのは仕方ないことだと思うし、自分だって「坂東さんの件」で、突っついてしまった。
もし「保健所で殺される動物」のことを持ち出すのなら、坂東さんの件も何も言えなくなってしまう。

救出はいいことである。
が、テレビで、こういった救出劇の後で、並べて、こういう保健所で殺される動物のこともとりあげてほしい、とも思ったりした。

だから、坂東さんのことが騒がれたときも、「保健所で殺される動物の問題」が取り上げられたのだな、と、今にして思う。

と、ついつい意地悪く見てしまった犬の救出劇・・・さすが、ダークな自分。
いや「早く助けろ、何やってんだ?」と怒っていたテレビの人がいたから、ますますダークに思ってしまったのであった。

いやいや「早く助けろ」とお怒りの人も、坂東さんの件でしつこく突っついた自分も、同じ穴のムジナであることは、十分承知・・・

もちろん、保健所で殺される動物のことを持ち出して、「救出したって仕方ないだろ」というのも、なんだかなーとも思ったり・・・ギスギスした世の中になりそうですね。

ま、難しい問題である。

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ハヤシ

Author:ハヤシ
2003年から8年間、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)のサイトで、マンガ「ショパン物語」を連載してました。

商業誌でマンガ連載経験あり。

主な作品 
「音吉君のピアノ物語」(小学館・少年サンデー) 
「ご令嬢金崎麗子」(集英社・スーパージャンプ) 
「スカイプレイ」(秋田書店・ヤングチャンピオン)
ほか読み切り多数。

ちなみに「音吉君のピアノ物語」(全6巻)が欲しい方はこちらへどうぞ↓
小学館コミックス「音吉君のピアノ物語」オンデマンドのページ

書き下ろしピアノ漫画「ピアニスト」(彩図社)は現在、中古本としてアマゾンなどで流通。

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RPG「クロノトリガー」に、はまったので、「クロノ関連ネタ」もあります。

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