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死刑制度賛成派VS死刑制度反対派
ほかのところで、見聞きした議論を紹介しよう。
今回、光市母子殺人事件で、今までの判例にない「死刑判決」が加害者元少年に出て、世論に左右され由々しきことだ、という死刑判決を批判する人もいたが、
「死刑やむなし」「死刑が当然、妥当」という意見の人が圧倒的に多かった気がする。
また、このことに対し、少年への死刑賛成の人や、死刑制度賛成派の人を「死刑を声高に叫ぶ集団ヒステリー」という死刑賛成者に対する批判感想もあったりする。
しかし、多くの人が死刑支持を表明しただけで、「集団ヒステリー」とは・・・
多数派の人と意見が一致し、自分の意見を述べると「集団ヒステリー」「世論に支配されている、洗脳されている」と言われてしまうのも、また違う気もするのだが・・・
というわけで、あっちこちで、このように「死刑制度」に対する議論が見られた。
そこで、「なるほど」と思った議論を、自分なりに要約して紹介する。
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死刑は、国が人殺しをしている=それは「人殺しを容認していることになる、矛盾だ」と死刑反対派はいうがそれに対し、死刑賛成派はこう返す。
じゃあ、罰金刑は、国が犯罪者からお金・財産を取り上げるので、国が窃盗・強盗をしているということで、窃盗や強盗を容認していることになるのか?
懲役刑は、国が犯罪者を拉致監禁をするので、国が拉致監禁を容認していることになるのか?と。
となると、国は、犯罪者に対し、罰は一切与えられないことになる。これは、おかしいだろう。
つまり、法を犯した人間を罰するのは、法治国家として当然のことであり、
罪を犯した人を罰することが「人権侵害だ」というのは、法治国家は成り立たなくなる。
そう、死刑が人権侵害だ、というのなら、懲役刑も人を国が拉致監禁する人権侵害であり、罰金刑も国が個人の財産を奪う人権侵害である。
法を犯した犯罪者が「国によって罰を受ける」のは当然のことであり、犯罪者の人権・権利は国によって制限されるのである。
死刑制度が「人権侵害」ならば、あらゆる刑罰が「人権侵害」である。
が、罰のない社会は、法治国家としてありえない。罰のない=無法社会、完全自由社会・・・そんな社会で安全な生活が送れるか?というと、それは否だろう。
犯罪を犯した者には、人権は制限される。このことを人権侵害とは言わない。
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冤罪についての議論を紹介。
「冤罪の可能性がゼロではないので、死刑は良くない」と死刑反対派はいうが
死刑に限らず、懲役刑であろうと、罰金刑であろうと、冤罪はなくしていかないといけない。
死刑制度と冤罪の問題を一緒にするのは論点がずれている。
そして死刑があるからこそ、冤罪はあってはならないと、慎重になる。
少しでも冤罪の可能性があれば、死刑判決は出ないだろう。
あのロス疑惑のMさんも、状況証拠は黒だが、物的証拠が足りないので、妻への保険殺人事件では日本では無罪となった。
反対に、微罪、軽罪に対しては、冤罪はけっこうあるようである。(痴漢など、状況証拠だけで決まってしまう)
それは、罰金刑や短期の懲役刑で済むので、簡単に有罪にしてしまうのかもしれない・・・
死刑かどうかの重い判決の場合は慎重に慎重を重ねるだろうが、それ以外の場合は、慎重さが足りなくなるのかもしれない。こっちのほうが、ゆゆしき問題だと、私も思う。
冤罪があるかもしれないから死刑反対というのではなく、冤罪を限りなくゼロにするためのシステムを考えるべきである、というのが「死刑賛成派」の人たちの考えである。
被害者遺族は、加害者に死刑を求めるが、殺された当の被害者が死刑を求めているか分からないし、生き返るわけではない、と死刑反対派の人からよく聞かれるが、
殺された被害者が何を思っているかなど誰にもわからないことであり、
そもそも「自分が殺される」などと夢にも思ってないので、もし自分が殺されたら加害者を死刑にして欲しい、または、たとえ殺されても加害者を死刑にして欲しくない、などと考えたこともないだろう。
また、被害者遺族が、加害者に極刑を求めるのは当然のことであり、それをしつこく求める被害者遺族に対し、批判はしてはいけない。
それどころか、死刑を求める被害者遺族に対し、「あなたも加害者と同じ事をしている、殺人者だ」などと言うのは、もってのほか、だと思う。
>本村さんに対し「世論を利用し加害者を死刑に導いた」「死刑判決が出たことに対し、死刑を求め続けた被害者(本村さん)を殺人者にしてしまった国の責任は重い」(国を批判しているようにみえるが、本村さんを殺人者呼ばわりしている)という酷いことを言う人もいるようだ。
なので、死刑制度反対派の人たちが、死刑制度賛成派の人たちに向けて言っていることは、論点がずれていたり、ちょっと筋が通らない気がするのだ。
しかし、だからといって、死刑制度反対派を非難しているわけではないのだ。
死刑反対派の「死刑」に対する嫌悪の感覚って、大切だとは思う。
そして、死刑賛成派が「死刑を賛美」しているわけでもない。必要悪だと思っている人が大半なのでは、と思う。
で、私が死刑賛成である理由は以前に述べたとおり、公平性=社会正義、と考えているからである。殺人犯罪抑止力については正確なデータが存在しないと思うので、なんともいえないが、有効であるのでは、と思う。
死刑制度は、「国が殺人を行う刑罰であり、人権侵害だ」と死刑反対派の人は考えるが
死刑制度賛成の私は、死刑制度は、国が「殺人は許されないとりかえしのつかない犯罪だ」という姿勢を示すものだと考える。
終身刑については・・・刑務所は常に定員いっぱい、満員らしく・・・
そのうえ、受刑者1人つき22万ー27万、年間280万くらいかかるわけで・・・
一人の生活保護受給者よりも高い額が、一人の受刑者へ使われ、ましてや被害者側への保障のことを考えれば、不公平感がある・・・
生活保護も受けることが出来ず浮浪者になったり、餓死したり、ワーキングプアの問題もある中、「福祉などほかの社会問題に対し、まずは税金を使って欲しい」と考える人も多いだろうから、難しいだろうと思う。
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ちなみに、電車などの痴漢冤罪について。
この前、映画「それでも僕はやってない」とか、「痴漢冤罪」を扱ったテレビ番組やっていた・・・ 「これは無罪だろう」というような状況証拠があっても、有罪になってしまうらしい。
冤罪はわりと多いのかもしれない。
で、物的証拠はなくても、高い確立で有罪にすることができるので、あげくに、「示談金まきあげようと痴漢でっちあげ」事件も起こるのだろう。
かといって、やっぱり痴漢被害に遭う女性は多いだろうし、「被害にあったという確実な物的証拠を見せろ」といわれても困る。
痴漢犯罪、冤罪を防ぐためにも、結局は、ラッシュ時は、女性専用、そして男性専用の車両を設けるのが、とりあえずの手っ取り早い解決策になるのだろう。
女性専用だけでなく、男性専用もないと不公平だし、冤罪を防ぐには「男性専用車両」も必要である。男性専用車両は、痴漢冤罪をなくす有効策だろう。
もちろん、男女グループ、家族連れやカップルも乗れる「男女兼用車両」も必要だろうが・・・
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