ハヤシのブログ

物語創作、ピアノ・ショパン、漫画、クロノトリガー、社会問題などについて語ります。

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「ガッシュ」の作者が提起してくれた編集部と漫画家の問題について、ちょっと整理。

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●仕事ができる編集者、できない編集者とは・・・

よく考えてみれば、仕事ができる、できないの線引きも難しい。
どこから「仕事のできない編集者」とするのか。
そもそも編集の仕事とは一体何か?というのも、曖昧といえば曖昧だ。

まあ、少なくとも
罵倒しない、連載作家との打ち合わせを優先しおざなりにしない、原稿をなくさない・・・

これだけできれば良いのでは、と私は思う。

仕事が出来る編集者を・・・
「企画をたて、連載を起こし、漫画家をやる気にさせ、サポートもバッチリ、ヒットさせることが出来る。さらに新人漫画家の発掘、育成もできる」とするなら、「仕事が出来る編集者」は、もちろん、ごくごく一部だろう。

仕事が出来ない問題がある編集者を・・・
「罵倒するなど非常識なふるまいをする。打ち合わせは適当。打ち合わせを面倒くさがる。原稿をなくす。ミスが多い」とするなら、そういう編集者も、一部だろう。


●「少数の問題があった編集者だけをあげつらって、編集部全体を批判をするのはおかしい」という意見について

では、「漫画家から見て、問題のある編集者はどうしたらいいのか?」ということで

「担当を替えることは可能か?そういう余裕はあるのか?新人でも交渉できる空気が編集部にあるのか?問題ある編集者を編集部が指導できるのか?」というわけで、やはり編集部の問題になるだろうと思う。

「漫画家から担当が気に入らないからと替えられては困る。漫画家は仕事ができないのを、編集者のせいにして増長する」といっても、仕事ができなくて切られるのは漫画家なので、漫画家のほうもその辺はよく考えるだろう。



「ガッシュ」の作者のおかげで、問題点が見えてきたときに、
「問題のある編集者は少数だ」「組織とはそういうものだ」「そういうことも分からず、モンクを言う漫画家が世間知らず」というのは簡単である。

けど、新人漫画家にとっては、問題のある編集者に当たってしまった場合、死活問題にもなるから、
「組織とはそういうものだ」と言われても困るだろう。

サラリーマンにとっては「仕方ない」ことでも、自由業である漫画家にとっては「仕方ない」では済まされない問題だと思う。


「そのリスクを背負って選んだ仕事だろう」
「どんなに問題ある編集者が担当になっても、実力さえあれば、なんとかやっていけるもの。漫画家の実力のなさのせいだ」というのは、ちょっと厳しすぎる気がする。

「罵倒するなどの非常識な振る舞いをする問題のある編集者」「仕事への熱意がなく打ち合わせをおざなりにする編集者」に当たるかもしれないリスクを背負えというのは酷だ。

連載となれば、精神的にもしんどい時がでてくるだろう。

人気が取れずに打ち切りになり、失業するリスクを背負うだけで充分だとも思う。

「そんなことで逃げるなら逃げるがいい、甘くはないのだ」と言っているうちに
漫画家を目指す者が減り、あるいは漫画家になれたとしても長続きせず、そのうち、この世界は衰退していくかもしれない。





●「漫画家も悪いところがある。編集者も大変なんだ」という意見について

漫画家の悪いところは、べつの問題として提起し、批判すればいいし
編集者の大変さ、オーバーワークの問題は、会社側の問題である。

担当を持たせられない編集者がいるのは、組織として仕方ないというのなら、週刊連載誌の編集部の人員を増やし、担当を持たせられる仕事のできる編集者の割合を多くすればいいだろうし、

そんな経費はかけられない、社員の配属、採用も見直さない、というのなら、それが会社の方針ということである。
そういった情報も、ネットであれば、集められるかもしれない。
どういった編集部を選ぶのかは、あるいは本当にマンガを仕事にしたいのかは、漫画家志望者が決めればいいということなのだろう。

もちろん、漫画家志望者にとっては、どんな編集部であろうが、チャンスは欲しいだろうから、あまり気にしないかもしれない。
ただ、そこで長続きできるか、ということになるのだろう。





●「編集者は会社をクビにもならないが、漫画が売れたからといって印税が手に入るわけでもなく、漫画家に協力しても恩恵にありつけない編集者にいろいろ望むほうがおかしい」という意見について

編集者の仕事について、どこまでがやるべき仕事なのか、ということだが・・・

とりあえず、最低限のことができればいいのでは、ということで
上にも書いたとおり、連載作家との打ち合わせをおざなりにしない、罵倒しない、原稿をなくさない、ということでいいのでは、と私個人は思う。

ただし、打ち合わせをおざなりにしても、漫画家に自由に描かせるのであれば、それもあり、とも思う。

漫画家が納得してないのに、打ち合わせする暇がないと言って、編集の指示通りに描かせるのは、いかがなものか、と思うのである。人気がとれなくて打ち切りになり、クビになるのは漫画家なのだから。

あるいは、最初から「話作りには口出しさせない、作画作業のみ」という条件を示せばいい。
その条件で仕事を請けたのなら、漫画家は「話作りの打ち合わせ」をおざなりにされても仕方ない。
けど、きちんと打ち合わせをし、漫画家がストーリーに納得すれば、作画に力が入るだろう。


また、漫画家が作品の連載を終わらせたいと言っているのに、引き伸ばしをさせるのなら、その作家との打ち合わせは最優先し、漫画家が納得するようなアイディア、ストーリー展開を考え、とことん話し合うしかないだろう。
それでも、漫画家が納得できなければ、漫画家の思い通りに終わらせてもいいのでは、と思う。




で、原稿もなくすことについても・・・
「なくしたくて、なくしたわけではない。ミスは誰にだってある」けれど

だからといって、原稿をなくていいわけではなく、なくしたらなくしたで、それなりの後始末の仕方があるだろう、ということであり、

誠意ある謝罪があれば、おそらく「ガッシュ」の作者もあれほど怒らなかったのではないか、と思う。


漫画家へのサポートについては・・・どの程度サポートすればいいのか、というのは難しい。編集者にあまりにいろいろ望むのも、それは編集者が酷だ、と私も思う。






●編集部側の言い分とは・・・

もしも、「ガッシュ」の作者の言い分を批判するなら、
「漫画家側にも問題があって、こういったトラブルになった」といって
「漫画家側の被害妄想だ、話を脚色している」と訴えるのかもしれない。

「ガッシュ」の作者が言っていることに対し、小学館は「事実ではない」と言っている。
というか、小学館側は「事実ではない」と言うしかないのだろう。
>これは「ガッシュ」の作者の思惑通りらしい。だから陳述書として公にしたのだとか。

「ガッシュ」の作者の言い分を突き崩すには、「事実ではないことの立証」ということになるのだろうが・・・週刊新潮で、小学館側の意見、言い分が載るのだとか?

あるいは「事実ではない」ということだけを言い張り、この話題が下火になり、うやむやになって終わるのを待つのか・・・

もしかしたら、これを機にいろいろと改善もされるのかもしれない?
編集者だって、会社側に改善してもらいたいことはあるだろうと思う。

いい方向に変わるかもしれないし、あるいは全く変わらないかもしれないが、
「ガッシュ」の作者のやったことは、多くの人たちの関心をひいたということである。

>これだけブログのネタにしている私も、もちろん大いに関心あり。


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追記
「ガッシュ」問題を載せた週刊新潮の記事の感想


「雷句氏の奇行ぶり、性格、言動に問題があった」という週刊新潮の記事は、ゴシップ的なノリで、信用度があまり感じられない印象を、私は持ちました。

小学館側も、社員である編集者が週刊新潮の取材に応じ、あのような感じの記事になることを認めたということで、 小学館側の姿勢と捉われても仕方ないだろうと、思います。

とすると、あれが「小学館側の姿勢なのか?」と首をかしげてしまいます。

「雷句氏の言い分も感情的で一方的なところもある」というのは、あのブログで公にされた陳述書「編集者がガンつけてくる」「ケンカを売ってくる」などを読めば分かります。
それは、雷句氏が悪く受け取りすぎなのでは?と、たいていの人は思います。

週刊新潮の記事は、雷句氏が発言したことへの反論ではなく・・・・
「雷句氏はいかに非常識で奇行が目立ったか」ということだけを書き立てただけで
かえって小学館に不信感を抱いてしまう人が多かったのでは、と感じました。


しかし、こういった小学館側の編集部批判が多い中、それに疑問を投げかける貴重なコメントをいただき、私も改めて、考え直してみました。

たしかに、編集部の体制など「全体的な問題」と、雷句氏が行った「編集者の実名をあげた暴露問題」とは、別に捉えるほうがいいのかもしれません。

が、私は、雷句氏のこの「問題提起=衝撃的な暴露発言」のおかげで、「このままでマンガ業界は大丈夫なのか?改革をしたほうがいいのでは?」という声が出てきて、「業界全体の問題」として注目され・・・
編集者の方も、改革を望んでいる人もけっこういるのでは、と思うので、改革のきっかけになれば、ということで
「雷句氏の行ったことも意味がある」とも思ってました。


ただ、「雷句氏の担当編集者は、実名を曝されてネットでプライベートまで明かされるほどの過失はなかったのでは?」という意見には、

たしかに、それはそうかもしれない、とも思ったり・・・

私が問題にした「罵倒し、打ち合わせをおざなりにした編集者」は、雷句氏の担当ではなく、後輩漫画家の担当の話でもあるし・・・

雷句氏が陳述書にあげている「雷句氏の担当編集者」の話に関しては、「原稿をなくした」というミスはありますが・・・特別に「問題がある」とは思いませんでした。

漫画家と編集者、誤解と、双方の意思疎通がうまくいかず、このようなトラブルに発展してしまった、という感じに受け取ってます。

だから、雷句氏は、「自分の担当ではない、後輩漫画家の担当の話」まで出してきたのかもしれません。

これに対し、「雷句氏は担当でもない編集者の実名をあげて批判した。これはいかがなものか」という意見もあり、これは、頷くしかありません。


「当の編集者は反論することを会社から禁じられている」とのことですが・・・

小学館は、週刊新潮でのあのようなゴシップ的な記事に頼るよりも、 雷句氏に名前を出された編集者たちにきちんと反論させるほうがいいのに、とも思ってしまいました。



「編集に対し、雷句氏の要求が高すぎた、そのためにトラブルに発展した」
「週刊連載のキツさで、雷句氏も精神的に追い詰められてしまった」
「それをサポートするにも、編集者も激務で、そのような余裕はない」
「週刊連載は、編集者も漫画家も大変である。会社=出版社側は、改革を考えたほうがいいのでは」

・・・と、この問題を追ってきて、いろいろと考えさせられました。

そして、たしかに、雷句氏は編集者の実名をあげなくても、問題提起できたのでは?とも思います。
が、実名をあげたから、ここまで話題になり注目された、ともいえます。

・・・だけど、そのために編集者の実名をあげて批判していいのか?となると、やはり、それはいただけなかったかも・・・と考えさせられる問題です。
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ハヤシ

Author:ハヤシ
2003年から8年間、ピティナ(全日本ピアノ指導者協会)のサイトで、マンガ「ショパン物語」を連載してました。

商業誌でマンガ連載経験あり。

主な作品 
「音吉君のピアノ物語」(小学館・少年サンデー) 
「ご令嬢金崎麗子」(集英社・スーパージャンプ) 
「スカイプレイ」(秋田書店・ヤングチャンピオン)
ほか読み切り多数。

ちなみに「音吉君のピアノ物語」(全6巻)が欲しい方はこちらへどうぞ↓
小学館コミックス「音吉君のピアノ物語」オンデマンドのページ

書き下ろしピアノ漫画「ピアニスト」(彩図社)は現在、中古本としてアマゾンなどで流通。

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RPG「クロノトリガー」に、はまったので、「クロノ関連ネタ」もあります。

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